2021-03-02 第204回国会 衆議院 財務金融委員会 第8号
長岡藩の小林虎三郎、米百俵、総理も御存じだと思います。何と言われたか。百俵の米も食えばたちまちなくなるが、教育に充てれば明日の一万俵、百万俵になる。国が興るのも、町が栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ学校を建て、人物を養成するのだ。 どうですか、総理。デジタル化とかグリーン化とかいうものをやるために、やはり人の潜在力を引き上げて、能力を引き出す。
長岡藩の小林虎三郎、米百俵、総理も御存じだと思います。何と言われたか。百俵の米も食えばたちまちなくなるが、教育に充てれば明日の一万俵、百万俵になる。国が興るのも、町が栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ学校を建て、人物を養成するのだ。 どうですか、総理。デジタル化とかグリーン化とかいうものをやるために、やはり人の潜在力を引き上げて、能力を引き出す。
しかし、先ほど小林虎三郎の言葉を例に挙げて申し上げたように、やはり人への投資というものが国を興すんです。そして、もちろん安定財源を将来考えなきゃいけませんけれども、やはり今、日本の凋落傾向をとどめるには、人に対する投資が必要である。そういう意味においては、こういった教育国債というものを真剣に検討していただきたい。 そのことを申し上げて、私の質問を終わります。ありがとうございます。
小泉総理が所信表明演説のときに米百俵のことを話題にしたので、この話は結構全国で有名になったんですが、簡単に言うと、窮乏している藩に対して百俵の米を送るけれども、その百俵を使わないで、学校をつくるために使おうといって、当時の長岡藩の小林虎三郎がそういう判断をした。その虎三郎がこう言ったんですね。百俵の米も、食べればたちまちなくなるが、教育に充てれば、あすの一万、百万俵となると。
私の地元新潟県には、百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育に充てればあすの一万、百万俵となるという、教育の重要性を説いた長岡藩の藩士小林虎三郎の故事があります。 二〇〇一年、当時の小泉純一郎総理は、所信表明演説の中で、今の痛みに耐え未来に投資する米百俵の精神を引用しました。 その小泉氏が、今月四日、都内で開催されたある会合に出席され、祝辞を述べられたと報道されています。
国が興るのも町が栄えるのもことごとく人にある、学校を建て、人物を養成するのだ、小林虎三郎長岡藩大参事、一八七〇年。 以上です。ありがとうございました。
国旗・国歌につきましては、私自身、京都のいわゆる昭和二十四年から昭和五十三年まで七期二十八年間、蜷川虎三という一人の知事で、最後には、共産党を骨まで愛するという本会議場の答弁まで出てくるようなそういう知事の下でおりましただけに、教職員組合を始め激しいまた組合活動に直面をいたしまして、必ず町長時代から国旗・国歌について交渉の矢面に立ち、また非常に苦い思いを続けてきた人間でありますので、この校長さんの痛
先生がお出ましになりました京都は、長い間、蜷川虎三さんが七期二十八年間おやりになったところでございますが、あの頃、京都府下に掲げられた表現は、憲法を暮らしの中に生かすという垂れ幕があらゆるところにございました。
そうすると、藩士たちはこれはもういっときの生活が楽になるなと喜んだんだけれども、長岡藩の大参事の小林虎三郎が、今米を食べたらもうそれで終わっちゃうけれども、それを将来の教育のために投資すれば、つまり新しい学校をつくるためにその金を使えば、将来の一万俵、百万俵になるんだと言って、学校をつくったんですね。
といいますのは、私、この一年、二年の予算委員会でよく使ったのは、小林虎三郎のまさに米百俵の精神でございまして、小泉さんは一番最初の所信表明で使われたわけでありますが、どうもそのことを実行しなかったなと。
そのときに、学校をつくることが大事だと小林虎三郎が言ったという話は八年前の小泉さんの所信表明演説にも出てくるわけでございます。 長岡というところからは、私も暮らしたことはありませんが、立派な方がたくさんその後出ておられる。
○麻生内閣総理大臣 佐久間象山の弟子に、二トラと言われた一人が吉田寅次郎、後の吉田松陰、もう一人が小林虎三郎、その話ですね、今の話は。全然おまえ知らないだろうと言われたので、ちょっと知っているということをちゃんと確認しておかぬとね。
小泉さんが、二〇〇一年の五月七日、総理大臣になられて初めて所信表明演説をしたときに、皆さん方も覚えていらっしゃるでしょう、いわゆる、小林虎三郎の米百俵の精神について説かれたわけです。つまり、ちまちましたものをもらう、そんなことを考えないで痛みに耐えろという演説をした。所信表明をやった。 麻生さん、総理大臣もそのとき政調会長だったからよく覚えていらっしゃいますよね。
そして、この弘道館の、水戸学の精神は、小泉前総理の米百俵の精神にも表れている、小林虎三郎の長岡の国漢学校、こういう思想にもつながっているんだろうと、そう思うわけであります。正に学ぶということはとても大事なこと、これはもう論をまたないところであります。
○内閣総理大臣(小泉純一郎君) 明日というのは将来ということでありますから、人によっては数年先、十年先、二十年先、五十年先、百年先といろいろ解釈できると思いますが、米百俵の精神というのは、そもそも長岡藩の小林虎三郎、今で言うと家老、首相級の人物ですけどね、明治、幕末、大変窮乏、食うものもない、困難にあえいでいた長岡藩に見舞いのお米が送られてきたと。
○小坂国務大臣 委員御指摘のように、資源のない我が国において人材こそ最大の資源だ、こういう認識は持っておりますし、また小泉総理が述べられた米百俵の精神、小林虎三郎の故事に基づくこの精神は小泉内閣発足とともにこの内閣の理念となっておりまして、私自身も、その意味において、教育において人材育成にしっかり取り組んでいく。
私は、ここに小林虎三郎の米百俵のせりふを、最後のところを書き抜いてきました。我々は、新政府に何度嘆願書を出したかわからない、東京へも人を出した。途中略しますが、しかし、新政府にしても目下はそういう余裕がないというのだ、今はのう、どこもかしこも苦しいのだ、けれども、こういうときこそ、こういうときに踏みこらえてこそ本当の日本人だ、このせりふを私は、やはりみんながかみしめるべきだと思うんですね。
小林虎三郎は今言われたとおりで、あしたの幸せのためにここは耐えて、そして何をしたか、学校を造ったんですね。小泉総理は、耐えてくれ、耐えてくれと言って何をしてくれたのかは余りはっきり見えてこない、そこに国民も不安を感じている。
時の長岡藩の大参事小林虎三郎は、この百俵の米を藩士に配分せず売却し、その代金を学校の資金に注ぎ込んだのです。その出来事に含まれている教えは、国が興るのも町が栄えるのもことごとく人にある、食えないからこそ学校を建て、人物を養成するのだ、つまり目先のことばかりにとらわれず明日を良くしようというものです。 初めは、小泉総理もこのような精神を込めてこの言葉を使ったと思いました。
義務教育の基本理念についてでございますが、米百俵について、長岡藩小林虎三郎のことについてもお触れになりましたけれども、私は、教育、国の発展にとって一番重要なものだと思っております。日本を支えていくのは人であります。資源のない日本にとっては、教育、幾ら重視し過ぎてもし過ぎることはないと思っております。
あの米百俵の本は、今のいろいろな、食料が足りないとか飢えで苦しんでいるとかいうときに、あの長岡藩の小林虎三郎が、いや、このもらった米を藩士に分けたら、わずかな量だけれども、何日かで食べてしまえばそれっきりなくなっちゃう。
あのとき、米百俵で、要するに教育に使って我慢するんだという話ですが、小林虎三郎というのは、河井継之助によって越後長岡の町が焼け野原になったんです。焼け野原になって、それを嘆いて、あのとき先の見えた人物がおりさえすれば町が焼かれはしなかった。そして、人々もこんなに飢えに苦しむことはなかった。
そこに小林虎三郎が出てきて、いや、みんなに配るのもいいけれども、配って、腹に、食ったらそれだけじゃないかと。将来を見て、このような惨めな状態にならないためにも、人材育成が大事だ、教育だと。それでこの米百俵を、みんなくれくれと言うひもじい思いをした藩士を制して、米百俵を全部売って、これを資金に学校を建てたという話であります。
○輿石東君 総理が最初の内閣をスタートしたときに、小林虎三郎のを引用されて、米百俵、これは人づくりなくして国づくりなし、これを我慢せよと、そういうふうな引用の仕方をしたと思います。 やっぱり国づくりの基本は人づくり。
明治の小林虎三郎の実話を基にして戯曲したあの山本有三氏の戯曲をドナルド・キーン氏が英訳しているんですよ、英訳。それを長岡市は学校教育に使っているんです。 その長岡市の市長が、小泉さん、施政方針演説でいいことを言ってくれたと。米百俵の話、実は長岡市で既に日本語と英訳、これを両方持ってきてくれたから、ああ、これはいいなと思って、私は、外国の発展途上国の貧困問題が出ると必ずこれ読んでくれと。
小泉内閣の一角を担う遠山大臣も、小泉さんは、この内閣を組織する最初の所信演説で、米百俵という小林虎三郎の言葉を引用して、そして何か精神論を言ったようですけれども、小林虎三郎はそうじゃなくて、学校を作ろうよ、人づくりをしようよと、こういう、人の言葉を使うときに正しく使ってほしいと、いない小泉さんのことをここで悪口言っても仕方ないでしょうけれども、私はそういうふうに思っています。