1948-05-20 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第22号
そういつたことが前にありましたので、私は挾間祐行という小説家を通じて、家曽根幾太郎、塩月参與官、藤川文六、その人たちにお会いして、結局同じようなことを言われたわけです。隠退藏物資処理委員会ができるから、その方から出す、それについては、世耕さんも自由党であるし、塩月さんも自由党である。
そういつたことが前にありましたので、私は挾間祐行という小説家を通じて、家曽根幾太郎、塩月参與官、藤川文六、その人たちにお会いして、結局同じようなことを言われたわけです。隠退藏物資処理委員会ができるから、その方から出す、それについては、世耕さんも自由党であるし、塩月さんも自由党である。
○武藤委員長 もう一遍繰返しますと、來ると言われたのは厚生大臣芦田均氏、代議士中島守利、同花村四郎、同外務参與官塩月學、中曽根幾太郎、前代議士藤川文六、前檢事長石塚揆一、前判事弁護士小暮勝利、屋代檢事、こういう諸君たちですね。
そのうちに三百万ばかりあればいいということになつたものですから、その金を私が持つて塩月學さんと、藤川文六さん、中曽根幾太郎さん、三人のおられるところでお渡ししました。ところがそれがあとで伺いますと、自由党に行くのだということは、その日にその金を持つて行きさえすれば、自由党から感謝状が出る。これはちよつと常識では判断できなかつたのですけれども、そういうことは別に氣にも留めずにお渡ししたのです。
中曽根君とは昨年の二月ごろ、藤川文六君から紹介されて初めて会つた人でありまして、私の中学校の後輩ということで、それから衆議院議員に群馬縣から出たいからよろしく頼むというようなことがきつたけになつて知合いになつたわけです。
○塩月証人 それは、私は彼が政界に出たいというそもそもの話のときから、藤川文六君を通じて紹介され、知合いになつた関係上紹介したのです。
三十日の午後一時に中曽根幾太郎、塩月学、藤川文六、三木武吉、九鬼千丸、山本英吉この六名を証人として出頭を求めて喚問いたします。
鹽月學から内藤道之助、藤川文六から内藤道之助に二十萬圓及び十萬圓というふうにいつておるのであります。それから中曽根幾太郎のところにはいりました金はまだ完結しておりませんから申し上げかねまするが、鹽月學のとこに百二十六萬圓、辻嘉六に二百五十萬圓というふうにいつておる次第であります。