1997-06-16 第140回国会 参議院 臓器の移植に関する特別委員会 第7号
それから、ついでに藤堂先生に会いますかと言われてのぞいてみましたけれども、実はそのときに広報課の方に、あなたのようなジャーナリストは日本から取材に来ませんでしたと言われました。
それから、ついでに藤堂先生に会いますかと言われてのぞいてみましたけれども、実はそのときに広報課の方に、あなたのようなジャーナリストは日本から取材に来ませんでしたと言われました。
そこで、藤堂先生に再度お伺いしたいと思うんですが、今後日本でそういったような移植手術とか移植医療というものが行われる場合に、日本という国全体としてどういったような面を、これは国民の皆さん方に対してもあるいは医学界に対してもあるいは我々政界に対しても、先生がアメリカの社会においていろいろ見聞されたことから教えていただきたい。
○公述人(渡辺環君) 今、藤堂先生がおっしゃられたように、もし脳死は人の死だというふうに言われていなかった場合、とてもじゃないけれども私としてはその方の肝臓をいただくわけにはいかないと思います。志半ばで亡くなられたので初めて私と一緒に生きているという感じになるので、とても、もしそういうふうに言われてなければ、現在私もいないんではないかと思います。
今度は角度を変えまして、藤堂先生に伺いたいと思うんです。 アメリカにおいての幾つかの体験で、私どもではちょっと想像もつかないぐらい非常に多くの体験を積み重ねられたんですが、アメリカにおいては脳死というものについてはもう医学的に定着したとおっしゃいましたけれども、これに対してアメリカの一般市民の方の意識というものはどうなんでしょうか。
それで、国会議員さんたちが視察団でいらっしゃって、ドイツで南教授あるいはスターツル先生、ピッツバーグで藤堂先生にお会いになられたと思いますが、そういう先生方が日本に来て手術するとうまくいかないんです。自分のお城でやるとすばらしい手術をしていらっしゃるという事実を見ても、日本の環境が整備されていないということなんです。
それで、先ほど松本先生でしたか、ピッツバーグの藤堂先生のお話として、やはり水準に達するには百例以上やらなければいけないだろう、一年に一例とか二、三年に一例とかとやっている形では、これは実験医療の領域を出ないのではないかという御批判が常にあるわけです。