1998-05-21 第142回国会 参議院 農林水産委員会 第14号
○和田洋子君 かつて、藤坂五号という耐冷品種が東北地方の冷害を救ったということは有名な話ですが、近年では、コシヒカリやササニシキなどの品種が皆さんの大好きなお米という食味を抜本的に改革してすごく米の評価が上がってきたというふうに思っています。
○和田洋子君 かつて、藤坂五号という耐冷品種が東北地方の冷害を救ったということは有名な話ですが、近年では、コシヒカリやササニシキなどの品種が皆さんの大好きなお米という食味を抜本的に改革してすごく米の評価が上がってきたというふうに思っています。
そこで、例えば青森県の藤坂試験場におきまして画期的な耐冷品種として発明されましたのが昭和二十五年の藤坂五号です。藤坂五号というものをもとにしましてたくさんの奨励品種ができている。むつほまれであるとかキタオウであるとかアキヒカリであるとかレイメイであるとか、それが全部試験場の圃場になっている。ところがことしの天候は、無残にも、不穏率がレイメイの八四%というのが一番低い。
第二日目の十月六日には、青森県庁において、県下の被害状況の説明を受け、十和田市の県農業試験場藤坂支場、三沢市の淋代地区を視察いたしました。その後、陸路岩手県に入り、岩手県庁において、県下の被害状況の説明を受けました。 最初に、青森県当局から説明を聴取いたしました概要を申し上げます。
また、品種改良につきましては、昭和初年の冷害を契機に設けられました藤坂試験地を中心といたしまして、耐冷性の品種の育成に努めてきたわけでございます。なかなか難しい問題も多いわけでございますが、我が国におきますいろいろな品種の収集、その遺伝子の導入ばかりではなく、雲南やインドネシアからも耐冷性の遺伝資源を取り入れて研究し、品種の育成をしておるところでございます。
稲の品種改良、特に耐冷性の品種の育成につきましては、昭和初年の冷害の後で藤坂試験地が設けられまして、そこを中心に東北地方の各試験研究機関が連携をとりながら耐冷性品種の改良を進めてきたわけでございます。 ただいま御指摘がございましたように、耐冷性と同時に、最近のお米に対する需要の動向から申しますと、食味がいい、おいしいかつ多収であるということが一般的には求められるわけでございます。
やませ等冷害の克服につきましては、今御指摘がございましたように、耐冷性の品種の育成が一つは極めて重要でございまして、これらにつきましては藤坂試験地を初めといたします東北地方の各試験研究機関を挙げまして、その品種の育成に努力をしてきているところでございます。なかなか良食味で、多収でかつ冷害に強い品種というものの育成につきましては大変難しいところがございます。
昭和初期の冷害に対しまして藤坂に試験地が設けられまして、藤坂試験地あるいは各県、さらには北海道の試験地等を用いまして耐冷性の品種の開発を行ってきたわけでございます。いろいろの品種が既につくられまして、かなり品種の力といたしましては耐冷性が全般的には水準として向上してきているわけでございます。
ただいま御指摘がございましたように、青森県の藤坂試験地におきましてはいろいろの耐冷性の品種が作出をされて、それぞれ普及に移してきたわけでございますけれども、耐冷性と食味あるいは収量と申しますものは必ずしも、これが両立することが非常に困難である、こういうこともございまして、なかなか根本的な解決になってきていないわけでございます。
農水省も、やはり徳川時代から東北方面には常に凶作と被害があって哀れなことが随分続いている、これについて技術会議は努力をされて、藤坂五号であるとかいろいろな品種の改良をしてきたけれども、依然として品質のいい多収穫の米をつくるという傾向があり、それが今度やられた。問題は、やはり農家の立場からすれば、物をつくることは所得を得ることだ。お金を手にしなければならない。
これは、そのチームの団長は東北凶作の際に、あの東北の凶作をある意味合いにおいて救ってくれた藤坂五号という耐冷出種を育成されました青森の藤坂試験場のかつての場長であり、現在七十九歳か八十歳ぐらいの老指導者でありますが、この人を団長にしまして、ちょうど四年目になりますが、中国に送りまして、その他自治体や研究所などから七名ぐらいの専門家の御協力を願ってやったのでありまするが、これはみごとに、いろいろ困難はございましたけれども
私の県に田中稔さんという人がおりまして、稲の冷害品種をつくった人でございますが、この人は青森県においては、品種には藤坂五号になっておりますけれども、名前はこの藤坂五号即田中稔として種苗の歴史の中に大きく残されているということなどを見ても、決してこういう技術者に対しての待遇は冷たいものじゃない、むしろもっと温かいもので眺めてやらなければいかぬと考えます。
○田澤国務大臣 先ほどもちょっとお話ししましたが、実は前のセイロン、いまのスリランカでございますが、ここに農林省から技師が二名ほど行っておりまして、藤坂五号の作付をやっておりまして、気候、風土が日本と違いますので、スリランカに合うような農法、あるいはスリランカに合うような営農を技師の方々が研究しておられました。
ちょうど私、東北でございますから、東北は冷害の非常に強い、多い地方でございますけれども、藤坂五号という稲を田中論さんという人がつくられた、定着させたわけです。そのことによって東北全体に冷害がなくなったわけでございます。
あの地帯に藤坂五号というのを田中稔先生がつくりまして、その結果、あの地帯にいわゆる冷害のない農業が定着したわけでございます。最近また冷害がございますけれども、まず藤坂五号によって冷害地帯から冷害というものを克服することができた。
私も研究機関の方々には、できるだけ早い機会にえさ米の研究はしてくれ、このことは日本農業の新しい道を開く大きな動機、原動力になるのであるから、その点をひとつ努力してくれぬかと私は申し上げたのですが、私の県で藤坂五号というのを田中稔という試験場長がつくった。その前は冷害で大変な東北だったのですけれども、藤坂五号という品種ができたために、東北全体の農業は耐冷的に非常に強い農業になった。
脱粒性の強い米を、いまコンバインにかけても脱粒をしないという品種に改良してきた、この技術というものは、日本の米作にとっても非常に大きな技術陣の貢献である、こう思いまするし、さらに去年の冷害では考慮が若干足りずに大被害を受けたわけでありますが、とにかく冷害に強い品種、藤坂系統の種類でありますとかあるいはいもちや病害虫に強い品種、そういう品種をつくり上げてきたこの農業技術というものは、私は非常に高く評価
農林水産省におきましても、かつて藤坂系統の耐冷品種によってある程度の冷害は防げるということで今日まで来ておるわけであります。農家においても、非常に冷害に強い品種というものの研究も進められておるわけでございます。一面、うまい米という奨励も実はいたしてきておったわけであります。その辺のところに今回の冷害の被害を大きくした原因があるのではなかろうかなというような感じも私自身持っているわけであります。
私は、今度の場合、われわれ今日生存しておるどなたも経験したことのないやませによる凶作、私どもの青森県の歴史においてもこういうような凶作はあり得ないであろう、藤坂試験場の耐冷品種というものは、世界的にもすばらしいものをつくったと言うて誇りにしておったわけです。その誇りが無残にも破れたわけであります。
このほかに、北海道の上川、青森県の藤坂、宮城県の古川という公立の農業試験場におきましても、国が全額委託費を出しました指定試験事業で育成をしているところでございます。 すでに大きな成果を上げておりまして、御存じのとおり、藤坂五号とかレイメイとかいう新種を出しておるところでございます。ただ、今回のような、かつてないような大冷害にも耐え得るようなものまでというのはまだできておりません。
御案内のように水稲につきましては藤坂五号ですとかレイメイですとか、いろいろと成果を上げてきているわけでございますが、今年のような大変な冷害に対する対策としてはまだ十分でございません。今後とも力を入れてやってまいりたいというふうに考えております。
このとき逮捕されました中で、十四日に逮捕されました書記長の藤坂隆男君は、体が悪くて当日は脊髄の検査をするということで、京都の市民病院で検査を受けて、その結果では入院をするということになっておったのです。ところが、これも逮捕して、本人自身も体のぐあいが悪いと言ってもなかなか釈放しない。抗議の中でやっと事実確認をして、午後の二時ごろに釈放になったと、こうあります。
○説明員(武士孝君) 藤坂なる被疑者につきましては、逮捕時、私ども本人が病気であるかどうかは存じませんでした。通常の姿勢で歩いておるわけでありまして、逮捕後初めて病気があるということが判明いたしたものでありまして、簡単な取り調べ後、当日釈放をいたしておるところであります。
この点でもう一つ心配なのは、冷温が来たときに、藤坂の試験場ではことしの最高温度が例年の最低温度よりも低いのです。実はこの時期が花粉が造成される時期なんです。したがって、花が咲いた、雄しべにどのくらい花粉があるかということを私は指でこうやってみるのです。いつもならよく花粉がついてくる。ことしはついてこない。花は咲いたけれども何だかみたいなことで、さあ受精させる能力のある花粉がないのじゃないか。
と申しますのは、たとえば青森県の農事試験場の藤坂支所で田中稔先生のグループが耐冷性、耐寒性の品種、フジミノリ系統のものを一生懸命つくってくれました。私が国会に出たのは九年ほど前ですが、四国や九州に行ってみてびっくりしたのです。山間地帯や谷間にこのフジミノリがつくられておる。そして、冷害に耐えるものをつくった。いまフジミノリを超えて新しいものができていますが、このフジミノリの功績は非常に大きかった。
おととしのあの冷害、あれは大正二年の非常に大きな凶作にも似た天候にもかかわらず事なく終わったのは、たとえば青森県の農事試験場の藤坂支所長の田中稔先生初めたくさんの方が耐冷性のものをつくってくださったためにこうなりました。また、リンゴでございますが、「ふじ」という寒さに長くもてるリンゴができまして、非常においしい、そしてリンゴの小売店に聞いてみますと、いま一番長く商売できるのはリンゴだというのです。
やはり試験場の方だって、一生懸命にやって、おれがやっていい稲をつくった、耐冷性のすばらしい藤坂五号とか、これをつくったとかいうような場合に、やはり金銭的にも、名誉もそうですか、ともども両方から厚く扱うのが本当じゃないかと思います。ところが、従来それが行われておりませんでした。たとえば、世界的な優秀な小麦なんかつくった方は二人おいでなんですよ。
あの十和田市の近くに藤坂農業研究所というのがある。これを私は同時にそのとき見た。何を一体やっているか、本当に冷害対策というものに対して真剣に科学的にやっているか。ところが、とにかくいろいろ費用は足りない、人員は足りない、非常に不十分です。この予算、ついでにお聞きしますが、あんな予算で東北、それから全国的に巻き起こってきた昨年の、本当に北の海の漁業と並んで大変な課題ですよ。
で、ただいま御指摘のございました藤坂でございますが、これは青森県農業試験場の藤坂支場ということになっておるわけでございます。