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8202件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1950-07-31 第8回国会 参議院 本会議 第12号

   小川 久義君  境野 清雄君    木内 四郎君  稻垣平太郎君    三浦 辰雄君  松原 一彦君    平林 太一君     —————————————  反対者青色票)氏名  八十二名    溝口 三郎君  高良 とみ君    楠見 義男君  加賀  操君    奥 むめお君  飯島連次郎君    中田 吉雄君  村尾 重雄君    門田 定藏君  清澤 俊英君    カニエ邦彦君  藤原

佐藤尚武

1950-07-27 第8回国会 参議院 厚生委員会 第6号

委員長     山下 義信君    理事            小杉 繁安君            有馬 英二君    委員            大谷 瑩潤君           池田七郎兵衞君            中山 壽彦君            河崎 ナツ君            堂森 芳夫君            藤原 道子君            常岡 一郎君            藤森

山下義信

1950-07-27 第8回国会 参議院 厚生委員会 第6号

藤原道子君 只今の御答弁によりますと、まだはつきりしていないという御答弁ではございましたが、この新聞記事はそれでは事実と相違するということになるのでございましようか。今年の十月頃にはすでに勧告を行うということがはつきり出ております。そうして十月といえば今月七月ももう終りでございますので、相当進んでおると考えられるのでございますが、その点について……。

藤原道子

1950-07-27 第8回国会 参議院 厚生委員会 第6号

委員長山下義信君) 只今藤原委員緊急質問は通告がございましたので、地方行政調査委員会議政府関係者を呼んでございます。それらの点につきまして先に地方行政調査委員会議事務局の関連しての説明といいますか、答弁というものを求めたいと思いますが、御異議ございませんですか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

山下義信

1950-07-26 第8回国会 参議院 厚生委員会 第5号

午前十一時四十九分散会  出席者は左の通り    委員長     山下 義信君    理事            小杉 繁安君            井上なつゑ君            有馬 英二君    委員            大谷 瑩潤君            中山 壽彦君            河崎 ナツ君            堂森 芳夫君            藤原 道子君            

山下義信

1950-07-21 第8回国会 参議院 厚生委員会 第3号

委員長     山下 義信君    理事            小杉 繁安君            藤森 眞治君            有馬 英二君    委員           池田七郎兵衞君            長島 銀藏君            中山 壽彦君            河崎 ナツ君            堂森 芳夫君            藤原 道子君            井上

山下義信

1950-07-21 第8回国会 参議院 厚生委員会 第3号

藤原道子君 金の面からというお答えでございますが、病人が出たときに、やはり金を相当かけておるわけです。チブスに罹つても、疫痢に罹つても……。こうものこそ、全額国庫負担でやつて、そうして予防の面に重点を置くならば、全額国庫負担にするのが、私至当だと思いますので、十分その点は考慮しなければならない問題だと思います。  

藤原道子

1950-07-20 第8回国会 参議院 厚生委員会 第2号

委員長     山下 義信君    理事            小杉 繁安君            藤森 眞治君            有馬 英二君    委員           池田七郎兵衞君            長島 銀藏君            中山 壽彦君            河崎 ナツ君            堂森 芳夫君            藤原 道子君            井上

山下義信

1950-07-17 第8回国会 参議院 厚生委員会 第1号

池田七郎兵衞君            大谷 瑩潤君            小杉 繁安君            長島 銀藏君            中山 壽彦君            河崎 ナツ君            堂森 芳夫君            藤原 道子君            山下 義信君            井上なつゑ君            常岡 一郎君            藤森

会議録情報

1950-07-17 第8回国会 参議院 厚生委員会 第1号

午後一時二十三分散会  出席者は左の通り    委員長     山下 義信君    理事            小杉 繁安君            藤森 眞治君            有馬 英二君    委員            大谷 瑩潤君            中山 壽彦君            河崎 ナツ君            堂森 芳夫君            藤原 道子君            

山下義信

1950-07-12 第8回国会 参議院 本会議 第1号

荒木正三郎君    高田なほ子君  永井純一郎君    成瀬 幡治君  若木 勝藏君    和田 博雄君  梅原 眞隆君    高良 とみ君  鈴木文四郎君    堀越 儀郎君  山本 勇造君    木内キヤウ君  谷口弥三郎君    矢嶋 三義君  岩間 正男君  厚生委員    長島 銀藏君  大谷 瑩潤君    中山 壽彦君 池田七郎兵衞君    小杉 繁安君  河崎 ナツ君    堂森 芳夫君  藤原

佐藤尚武

1950-04-10 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第23号

これがついて特別列車に乗せられて東京駅に着いて、駅に着くと同時にジープに乗せられて、元の陸軍省復員局の第二外来宿舎に入れられ、これは警視庁の巡査が八名、藤原巡査部長以下八名が書夜交替でここから一歩も出ることはならない。便所へも行けない。毎日のように郵船ビルに連れて行かれて、向うの軍事施設、あるいは日本新聞組織だとか、そういう問題について言え、言わなければ軍法会議にかける。

高山秀夫

1950-04-06 第7回国会 衆議院 議院運営委員会 第42号

次はこの前お手元に差上げておりました証券取引委員会委員長、並びに委員二名、委員長徳田昂平さん、委員島居庄藏さんと藤原國之助さん、この三人の任命に関する衆議院の同意を内閣から求められておるのでありまして、その御三人の履歴はすでにお手元に差上げて、各党で御意見をとりまとめていただくことになつております。

大池眞

1950-03-07 第7回国会 参議院 文部委員会 第9号

その時の造号大使は、最初は藤原小黒麿でありました。次いで和氣清麻呂造号大使となつております。その造号の書記となりましたものは菅野眞道であります。菅野眞道日本後記編纂者であります。これは百済人であります。又その時の木工頭をいたしたのは坂上田村麿であります。これは漢人の子孫、後に征夷大将軍、その時の内閣は参議に大和の家麿がおります。

藤澤衞彦

1950-02-27 第7回国会 参議院 電力問題に関する特別委員会 第5号

それから、その次は電気を使う方の側からの要望を聽くために石炭、それから鉄鋼業方面、或いは化学工業方面中小企業方面一般家庭の方、これには東京電力協議会の人が一人委員会に出ておりましたので、一般需用家として藤原さんのいうのが熱心に調べて来ては意見を述べられました。

大山松次郎

1950-02-24 第7回国会 衆議院 電気通信委員会文部委員会連合審査会 第1号

二万円もとるような藤原義江などが出ても、五千円ということになると、出ない。学問、芸術その他の面から、こういうやり方をやつておりますと、だんだん悪いものだけになつて来るというおそれがあるし、現在そういう方向になつていると思います。ところが一方に、たとえば部課長なんかは非常に多額のものを手当とか何とかいろいろな名前でとつている。

谷口善太郎

1950-02-24 第7回国会 衆議院 電気通信委員会文部委員会連合審査会 第1号

たいていの学者は十分間、あるいは三十分というような時間をやりますと、これは原稿に直しますと、相当收入になるわけでありますが、そういう点が今申しましたように八百円ないし千五百円、藤原義江の例をここにあげてありますが、彼が出ますと五千円、ところが同じことを他の劇場あるいはその他でやりますと、二万円くらいもらうのだそうです。

谷口善太郎

1950-02-07 第7回国会 衆議院 水産委員会 第11号

昨年の秋でありますが、藤原副知事が本庁に参られまして、かつ地元に反対陳情はあつたけれども。しかしながらこれは地元民と折衝し’かたがた県会議員の皆さんと相談の結果、一応放水路の結論を見出した、妥結に至つたということを聞いたのであります。しかしながらこの問題は後に及びまして地元民はそうした方面に対して承認を與えたという事実なしというふうなことを、重ねて水産庁の方に御意見存を得たのであります。

志道吉次

1950-02-04 第7回国会 参議院 文部委員会 第2号

藤原後期定朝系の名品であるということが発見されておるのでありますが、附近の人々は、まあ漁村関係というようなこともありますが、非常に認識が不足でして、小さな壊われそうな小屋の中に大仏、大きな像を安置しまして、番代りには疎開者を入れて仏像の前に寢起きして、煮炊きしておるというような状況でありまして、これ等なども早く適当の措置を取る必要があると思つて参つたのであります。  

鈴木憲一

1949-09-22 第5回国会 参議院 文部委員会 閉会後第8号

学識経驗者としては、内海さん、久保田さん、鈴木さん、それから藤原さん。それから経済安定本部としては高野さん、雨森さん、伊藤さん、菊池さん、山岡さん、畠山さん、川勝さん。それから文部省といたしましては小林さん、平山さん、武田さん、中井さん、本田さん、鏑木さん。厚生省といたしましては石神さん、田村さん。農林省といたしましては櫻井さん、加藤さん。建設省では伊藤さん、村さん。

山岡包郎

1949-07-05 第5回国会 参議院 大蔵委員会 閉会後第5号

これは非常に滑稽な話でありますが、これに関連して思い出されるのは昭和十五年頃と思いますが、これは私の記憶違いかも知れませんが、総動員法がこの議会に提案されたときに、統制は困るという主張に対して、当時の商工大臣藤原さんが今は統制は困るかも分らないけれども、将来物資が豊富になつて行くというような場合は、むしろ財界を保護する役目をなすことを考えなければいかんというような答弁をしております。

圓城寺次郎