1999-12-07 第146回国会 衆議院 内閣委員会 第3号
そして退官後はよきゴルフ仲間でもあり、そして薬務局長時代、松下氏は薬務局長室へフリーパスで入れるという間柄であったというふうにお聞きしていますけれども、間違いありませんか。
そして退官後はよきゴルフ仲間でもあり、そして薬務局長時代、松下氏は薬務局長室へフリーパスで入れるという間柄であったというふうにお聞きしていますけれども、間違いありませんか。
○山本(孝)委員 最後に、血液行政の問題点について、先ほども衛藤先生いろいろお聞きになっていましたけれども、御答弁をお聞きしていて、あなたが薬務局長時代におつくりになった血液問題研究会、答申が出たのはもうおやめになった後ですけれども、その答申を評して、答申でいろいろいいことを言われても、現実には血液の原料が足りないのだから、献血量が足りないのだからどうしようもないのじゃないかというような御発言だったと
いろいろ考えると、やはり銀行のバンカーの経営方針というものがかなりミドリ十字の中で、すなわち、あなた、薬務局長時代から薬の安全性については知識が深いわけだけれども、実際のところは、こういうバンカーの、安全性よりも利益を優先するような姿勢がミドリ十字の中にあったのかな、あるいは研究開発がうまくいかなかったのかな、そんなふうにも思うのです。
そういうふうに薬務局長時代、あなたは思っておられたわけでしょう。 だから、私が申し上げているように、なぜ薬務局長時代に答弁している内容が、今度はミドリ十字の社長というメーカーの立場に変わったら、あなたは心の中で、あるいは頭の中で百八十度考え方が変わってしまうのですか、そういうことをお聞きしているのです。