1999-08-12 第145回国会 参議院 本会議 第45号
江藤新平は薩長藩閥と戦い、まさに秋霜烈日の言葉どおり厳しい自己規律のもとに明治の司法を確立しようとした。そこに新しい明治という国家が生まれてきたわけであります。 どうか大臣はこの江藤新平さんの秋霜烈日の精神をよく学んでいただくよう心からお願いを申し上げまして、私の提案理由の説明とさせていただきます。 御清聴まことにありがとうございました。(拍手) ─────────────
江藤新平は薩長藩閥と戦い、まさに秋霜烈日の言葉どおり厳しい自己規律のもとに明治の司法を確立しようとした。そこに新しい明治という国家が生まれてきたわけであります。 どうか大臣はこの江藤新平さんの秋霜烈日の精神をよく学んでいただくよう心からお願いを申し上げまして、私の提案理由の説明とさせていただきます。 御清聴まことにありがとうございました。(拍手) ─────────────
岩手県人といいますか、むしろアイデンティティーとしては、岩手というのは薩長藩閥政府に与えられた枠組みですから余り岩手というような実感がわかないで、むしろ奥州とか陸奥とかそういうので千年以上やっていたのでそういうアイデンティティーの方が強いんですけれども、東北人ということにします。
かつて外国人だった日本人、かつて植民地化された日本人もあるわけで、日本というのは単一民族で一枚岩というのは薩長藩閥政府がつくった虚構でありまして、決してそんなことはない。実態としてはいろいろな日本人がいるんだということでありまして、それは外国人とも共生できる日本人だし、また、外国人がどんどん日本人になってくれても、日本国民として歓迎したいというふうに思っております。
それだけでなく、百年の計は、貧乏人でも勉強ができるような、日本のインチキ教育と違って、本当の教育を大衆に、政府が責任を負うようなものをつくり上げなけりゃならぬというところへ発想の転換が来たということは、苦労したかいがあって、中国は、日本の明治維新の後におけるああいう官僚、軍閥の、薩長藩閥の明治政府の自由民権をつぶしてきたものと違って、中国革命の進展過程において幾多の試行錯誤はあったけれども、現在、内部調整段階
そういうのを見た場合に、どうして改元の日を選んだかということ、それから百年祭の意義は何なのか、ずばり言いますと、あなたは長州の出身だからね、まあまあめでたいかもしらぬけれども、あれは薩長藩閥政治の起点なんです。その陰には作人、労働者がどんなに泣かされたか。明治から大正にかけての女工哀史もその中にあるのです。そして百年を見た場合に、いわゆる旧憲法下の時代と新憲法下は違うと思います。
みかどをゴツドとして、教育勅語をバイブルとして、小学校の校舎をチヤーチとして、校長さんが牧師となつて、薩長藩閥が中心となつて、宣伝しておるために、今では一つの宗教というものができた。なかなかおもしろい説で、私は数十年前に読んで感心したのでありますが、私は教育勅語は相当の程度まで訂正しなければならないと思う。
インデイヴイデユアリテイというものがシユープリームであつて、ドイツの国法学者が考えるようなステート、国家というものに主権がある、或いはそれを代表するところの君主というようなものに主権があるのではないという全く対蹠的な考えに立つて、曾つての自由党の諸君が運動せられたんでありますが、併しそれは薩長藩閥政府、山縣有朋、伊藤博文等を中心とするところの藩閥政府の官僚的な精神によつて、明治憲法の制定と共に圧伏せられてしまつた