2019-02-27 第198回国会 衆議院 予算委員会第六分科会 第1号
これは、戊辰戦争後、薩長が、山がやはり一財産ですから、どんどんどんどん民間に払い下げて力をつけさせた、こっちは払下げさせないで力を民間人に蓄えさせなかったということも一側面であったのかなと思うのは東軍側のうがった見方とも言われかねませんけれども、実際、でも、西と東ではこれだけの。
これは、戊辰戦争後、薩長が、山がやはり一財産ですから、どんどんどんどん民間に払い下げて力をつけさせた、こっちは払下げさせないで力を民間人に蓄えさせなかったということも一側面であったのかなと思うのは東軍側のうがった見方とも言われかねませんけれども、実際、でも、西と東ではこれだけの。
隣は福岡ですね、だから違うけれども、長州がいれば薩長土肥になるわけですね。 ただ、歴史を見てみると、日本の国というのは、私たちの先祖は、百五十年前に列強に攻め寄せられて、垂直的な統合国家をつくっていったんだと思うんですね。 よく、天つ神、国つ神という話があります。
このような社会背景があり、人々が社会の変化を強く求めた上で、薩長土肥を中心に明治維新が成し遂げられました。明治維新後、明治憲法の制定や内閣制度の導入、心血を注いで議会政治の確立、義務教育の導入、明治政府によって日本の近代化、社会環境の変化が実現しました。
戊辰戦争以来、新政府軍を率いる薩長土肥、薩摩、長州、土佐、肥前側が東北地方を卑下して言った言葉でもありますが、こういう精神が百五十年たった今もまだ残っているのではないかと危惧している人たちがいる。 これは新聞報道にもございました。愛媛新聞の朝刊でございます。宮城の仙台市の出版社の代表である土方正志さんが、今回のこのような東北蔑視の心というのはまさに平成の白河以北一山百文だと表現されています。
それからあと、野村先生に、薩長土肥の連合の話ありましたけれども、あそこまで話されますと、やっぱり奥羽越列藩同盟をちょっと復活させないかぬのかなという、そんな気にもちょっとなったりしたんですけど、僕らもね。そういう意味で、ただ、大臣は連携してやりましょうというお話ししましたので、そこはよろしくお願いを申し上げたいというふうに思います。
まさしく、薩長土肥とよく言っておりまして、維新を遂げたいわゆる三傑でありますが、我が鹿児島、それから山口、高知、この三傑によって明治維新が成し遂げられた、こんなふうに私どもは歴史で習っておるわけでありますが。 今回政府の方から、農水省の方から競争力強化のプログラムが出てまいりました。
○国務大臣(山本有二君) まず、維新百五十周年でございますが、三月五日の日曜日から高知県、土佐維新博というのが始まりまして、また、こうしたことをリードする高知県の知事は、薩長土肥と言われるけれども農業分野では一番後れを取った、だからよその県に学んでいきたいといって、鹿児島や佐賀に、あるいはそのほかに学ぶということを今後はやっていきたいと、こう決意を述べられておりました。
これが理由で幕府が割とたやすく薩長にやられたという説もあるぐらい、そのときはもう地震が連発しています。 それは、改めて今、認識をかなり厳しく持っておられるようなので、事実を繰り返すことはしませんけれども、結局こういうことなんですよ。我が国においては、大きな地震が来たら決して、では、しばらくもう来ないだろうと思っちゃいけないんですよ。来たら、この十年に連発するぞと思わないといけないんですよ。
その朝廷を、最初二十年ぐらいは左大臣も右大臣もいましたけれども、明治政府というのは、朝廷を排除して、そして薩長になり、そして原敬の政党政治になりということで、今は民主党に言わせれば官僚政治だと言うんですけれども。
ですから、会津の問題、薩長の問題ですか、そういうのもどこかで総括をやはりする必要があるなと、それは非常に大事なことと思っているんです。 そして、まず両先生に伺いますが、この種の問題は、やはりエジプトからも大英帝国もたくさん持っていったわけですね。大英博物館を私は見てきたんです、これはずっと前の話ですが。
そういった中で、日本は、じゃ明治維新をどうしていくのか、薩長がどうしていくのかということも含めて、そのとき会津は仲間外れになってはいけない、中に入ってやはり新しい日本づくりをしていかなければいけない、そういうきっかけにしていくことができるのではないか。今までそういった深刻な状況に日本は直面したことがありませんでした。しかし、今は全ての面で直面しています。
個人の利益ではなく、日本の将来のために薩長同盟をなし遂げた坂本竜馬のような人材が民主党の中にはいらっしゃらないんでしょうか。極めて嘆かわしいことだと思います。坂本竜馬がいなくても、総理、総理には、江戸城を無血開城した勝海舟に倣って、総理の座を明け渡していただきたいと考えております。一次補正予算案をまとめたら総理はみずから身を引くべきだと進言をさせていただきまして、質問を終わらせていただきます。
いまだに長州、薩摩に対するじくじたる思いがありますので、菅総理が奇兵隊内閣と言ったときには、やはり連立は組めないというふうに判断をさせていただいたところでありますけれども、我々が、私たち会津人がこの百四十二年前にこだわりがあるということは、単に恨みつらみということではなくて、しっかりと過去を検証して、二度と同じような悲惨な争いが起きないために過去を検証していかなければならないという態度で、これからもこの薩長
ちなみに、私は六年前から、今の政府というのは薩長土肥の田舎武士がつくった政府なんだと。林先生もおられますけれども。それはそれでいいんだけど、今度はそれは、中央集権国家をつくったんだから、地方の時代、地方の時代というんで地方から革命を進めるためにこれから政権交代を起こすんだと。 明治、幕末に奥羽越列藩同盟というのをつくりました。簡単にポシャったんですが、これは。
私も、薩長土肥の一番最後の肥が私のところでございまして、坂本龍馬も佐賀藩には随分来ていただいて、二之湯先輩には申し訳ないですけれども、アームストロング砲を持って江戸に攻め上がったのも我が先祖でございまして、そういう意味でも、今新たな百四十年ぶりの国の形を変える改革をやっている。その中心は何か。昨日、委員がお話しになりましたとおり、これは責任の改革なんですね。
薩長連合、政界再編で維新開国を目指します。衰退過程に入ったこの日本を隆盛国家に戻したい人は、みんなの党で竜馬をやりましょう。 明治維新では廃藩置県をやりました。今必要なのは、松下幸之助翁がおっしゃっておられた廃県置州、すなわち地域主権型道州制に変えることであります。
我々のねらいは、覚悟を持って薩長連合、政界再編をやることであります。我々のねらいは、維新開国、これはかつて前原大臣が言っていた言葉をちょっとパクらせていただいておりますが、維新開国によって、衰退過程に入った日本をもう一度隆盛国家にすることであります。 なぜ明治維新が起きたのか。堺屋太一さんによれば、士農工商という身分制はおかしいと庶民が気がついたんですよ。
これは、平成二十二年度に限り従来の児童手当を支給する仕組みを残すものでございまして、私たちは、一方で、地方交付税の大幅増、そして国、地方協議の場、そして義務付け、枠付けの撤廃、こういったものを実行に移してきておるわけでございまして、明治維新に熱い思いを持たれる薩摩の代表として、私も薩長土肥の肥の人間でございますが、地域主権改革を共に進めていくことに御協力をお願いしたいと思います。
まさに私がイメージしている明治維新のときみたいに、土佐から、将来、薩長連盟を含めて世の中変えてやるんやと、おれがやってやるというような風土というものが非常に弱いというところに、私このJリーグのチームをつくるというところのスタートの原点がありました。何をするのも身の丈論です、すべて。だから、世代がこの身の丈論にぶつかって、地方は大変今そこのところで弱り切ってしまっている。
そういう中で、岩手の人間が頑張って生きていこうとすれば、明治でありますから、薩長閥がありますので、賊軍ということで、持てる力を発揮できるところというのはどこかというと、そこは軍隊の中だということになります。
しかし、百四十年前の明治維新のときも、ちゃんと薩長連合できちっと国を、昨日まで干戈を交えた、戦争をした薩長が手を結んで……
この河野広中は、結果的には板垣退助共々、薩長閥を中心とした政府に大変ひどい、日本的にも、重税を課せられると、なかなか意見が通らないと、こういったことがあり、国会開設運動につながるのは、国会の開設運動の原点をつくったということで自由民権運動は評価されるわけですが、その河野広中は、最終的に何をもって彼は自分のことを伝えようとしたかというのは、印刷道具です。
少し話が変わりますが、私は非常に明治維新の勤王の志士たちが好きで、東京龍馬会という坂本龍馬に学ぶ会に入っておりまして、先日、東京龍馬会の方々と皇居内の宮内庁書陵部に保存してあります西郷隆盛と木戸孝允の薩長連合の密約を交わした文書に坂本龍馬が、間違いない、自分がしっかりと立ち会い確認したという裏書をした書簡を拝見しに行きました。