2021-06-11 第204回国会 参議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第3号
加藤長官にお聞きしたいんですけれども、蓮池薫さんが、今年の、もう過ぎてしまいましたけど、第八回党大会で新しい経済発展五か年計画を策定したわけですが、これに関連して、日本としてこの具体的な支援策を北朝鮮側に見せる、そういうことも必要なんじゃないかというアイデアを披露されていましたけれども、こういうことについてはどのようにお考えですか。
加藤長官にお聞きしたいんですけれども、蓮池薫さんが、今年の、もう過ぎてしまいましたけど、第八回党大会で新しい経済発展五か年計画を策定したわけですが、これに関連して、日本としてこの具体的な支援策を北朝鮮側に見せる、そういうことも必要なんじゃないかというアイデアを披露されていましたけれども、こういうことについてはどのようにお考えですか。
○西岡参考人 九月十七日に平壌でどんなことがあったのか、蓮池薫さんに聞きました。朝からマンションで待たされていた。昼に日本政府の関係者が来た。蓮池さんは、ズボンをまくって、交通事故のけがの跡を見せた。小学生のときに交通事故に遭っていたんですね。これが自分が蓮池薫である証拠だと。
蓮池薫さんもお帰りになってよく御講演をなさっておりますけれども、私は命以外の全てのものをこの拉致によってなくしましたとはっきりとおっしゃっておりますように、もう返ってこないんですね、彼の青春も返ってこないし、いろんな思い、これからこうしたい、ああしたいと思っていたことも全部もう。
それともう一つなんですけれども、蓮池薫さんがインタビュー等で答えられておられますけれども、国際社会がこういう今圧力を高めていて、経済政策、経済の圧力を今最大限に強めている、今まで中国なんかもやはりまだまだ北朝鮮寄りのようなイメージでしたけど、今回、国際社会の中でこちら側に立ったような状況の中で、そういったいわゆる日朝関係というのは北朝鮮にとって一つの突破口になるんじゃないかというようなこともお話をされている
今で大枠お答えをいただいたかと思うんですけれども、最後、蓮池薫さんのインタビューの中で、そういった経済制裁を強めていく中で、それが突破口にして拉致問題の解決にしていくということはどうですかという。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 私も、生還を果たされた蓮池薫さん、あるいは地村さんや曽我さんと随分、何回もお食事も共にしましたし、お話も伺ってまいりました。
例えば、蓮池薫さんが「拉致と決断」という本を書かれました。お読みになったかと思いますが、この中でもいろいろ書いております。
ですから、今後交渉していくときにはそうしたところも明確にしながら進めていっていただきたいということと、そしてこの問題の最後に、蓮池薫さんが、日朝問題にどのように取り組んでいったらいいのかということをあるインタビューでこう答えています。 北が国際的に孤立していく中、日本も厳しい姿勢を取りつつも、いずれ対話ムードが生まれたときに向こうが乗ってこられるよう、積極的な支援策も提示しておくべきなのです。
○安倍内閣総理大臣 まず、例えば、蓮池薫さんの話をあなたは全く聞いていないわけですし、両親の話をあなたは全く聞いていない。その本の引用だけじゃないですか。その本の引用だけで、あなたは独自の取材は全くせずに、ここで私の名誉を傷つけようとしている。極めて私は不愉快ですよ。こんなことをやっていること、何の意味があるんですか。
二〇〇二年、小泉総理の訪朝時、蓮池薫さんたち五人が戻ってきたときのことですが、当時、当初は、これは一時帰国であるとされまして、その後一旦北朝鮮に戻す約束になっていたと言われています。
会場で、安倍首相と細田候補から、「拉致被害者、蓮池薫さんのご両親も来ておられます」と紹介を受けたのだ。 「結局、安倍さんのダシにされただけだね」と、母は嘆いていた。 これは政治利用ではないですか、安倍総理大臣。
拉致被害者であります蓮池薫さんが最近の講演の中で、北朝鮮が最終的に求めているのは日本との国交正常化、さらには多額の経済協力と指摘した上で、誠実に対応し解決した場合の経済協力というカードを提示すべきと、このように御提言をされています。 制裁の強化と併せて、北朝鮮が問題解決に動くための誘因、インセンティブも必要なんじゃないかという考え方、これについて政府として今どう受け止めているのか、お伺いします。
昨日、日比谷公会堂で大きな集会をしたんですが、そこで横田早紀江さんが蓮池薫さんに久しぶりに会って聞いた話を紹介していました。
御承知のように、拉致被害者のお一人で日本に帰国した蓮池薫さんがその著作、例えば「拉致と決断」あるいは講演の中でしばしば述べられているわけですけれども、自分たちがどうして日本に帰ってくることができたんだろうかと、そういうことを振り返ってみたときに、一つは、一九九〇年代後半の北朝鮮国内におけるあの苦難の行軍、経済的な困窮状況が自分たちの日々の暮らしのところにも、配給が減ってきたとかそういうところで経済問題
○小池委員 さて、そこで、最近、蓮池薫さんの「拉致と決断」という本が大変なベストセラーになっております。拉致問題、蓮池さんを含む五名の方々が帰国をされましてから、私も空港にお迎えに行ったことをきのうのように思い浮かべますけれども、でも、ああ、もう十年もたってしまったんだ、そういう思いでいっぱいでございます。この拉致問題は、決して終わったわけではなく、何も終わっていないと言うべきかと思います。
翻ってみますと、拉致被害者である蓮池薫さんが日本に戻ってきてから、何で私たちは日本、祖国に帰ることができたんだろうかということを振り返ったときに、やはり一九九〇年代の北朝鮮経済が非常に大変な状況になり、苦難の行軍というものを乗り越えて、そして経済改革をしなければいけない。
もう時間ですので、最後に一言お伝えをしたいんですが、前にもこの委員会で御紹介をしましたけれども、新潮社という出版社のPR誌に「波」という毎月出ている小冊子ですけれども、そこに拉致被害者の蓮池薫さんが「拉致と決断」という連載をずっとなさっております。 その中で、私は今でも忘れない一節なんですけれども、自分は北朝鮮に行って日本にもう帰ることができないと思ったと。
○有田芳生君 松原大臣が今お話しになったように、アメリカが非常に厳しいならず者国家という態度を堅持する状況の下で、当時、拉致被害者の一人である蓮池薫さんも、どんどんどんどん経済状況が厳しくなっていって、そしてアメリカとの関係が本当に社会レベルでも、指導員レベルではなくて一般のレベルでも不安になっていったときに物事が動いたんではないかというふうに拉致被害者のお一人として評価をされていますから、そういう
皆さん御承知のように、北朝鮮による拉致被害者のお一人である蓮池薫さんは、日本に帰国をしてから様々な努力をなされて、今では韓国の小説の翻訳やあるいは御自身でエッセーなどを書かれております。 その蓮池さんの今力を込めているお仕事の一つとして、新潮社から出ているPR誌に「波」という冊子がありますけれども、そこに「拉致と決断」という連載をなされております。
先ほど御紹介をいたしました蓮池薫さんの手記を読みましても、皆さん御承知のように、二〇〇一年の九・一一、アメリカでのテロがありました。そのとき、北朝鮮の蓮池さんにかかわっている朝鮮労働党の幹部たちは物すごく動揺したというんですよね。
最近、蓮池薫さんが書かれました、皆様もお読みになったと思いますけれども、「半島へ、ふたたび」というのを私ももう一度読ませていただきまして、ここにやはり原点があるというふうに思った次第でございます。 特に私が感動したのは、九十七ページのところに、蓮池さんが、イムジン河という曲を平壌で聞いたことがある、思いも寄らないことだったと。金蓮子さんが北朝鮮のイベントに招待されて平壌で公演を行った。
さて、蓮池薫さん御夫妻ら五名の拉致被害者が帰国を果たされて既に七年が経過をいたします。この間、その他の被害者の方々の帰国、さらには拉致問題の真相究明が進んでいないこと、ひとえに北朝鮮の責任に帰する部分が大きいわけでありますが、まことに遺憾であり、残念なことと思っております。この政権下で拉致問題を解決したい、そしてまた解決すべきだとの思いから、何点か質問をさせていただきたいと思います。
平成十四年九月の第一回日朝首脳会談を契機に、同年十月、蓮池薫さん、祐木子さん御夫妻及び曽我ひとみさんが帰国を果たされた後、県は拉致被害者・家族支援室を設置し、柏崎市及び佐渡市と一体となって帰国した拉致被害者等への支援を行ってきた。県内の安否不明の拉致被害者は、横田めぐみさんのほか曽我ひとみさんの母ミヨシさんがいるが、北朝鮮側は曽我ミヨシさんの入国を完全否認している。
蓮池薫、蓮池祐木子、そして曽我ひとみさんは、おかげさまで帰国を許されました。横田めぐみ、曽我ミヨシ、これは曽我ひとみさんのお母さんです、そして非認定者でありますけれども大沢孝司君は、まだ帰らずであります。新潟に限ったことでございますけれども。
当時学校にいた日本人たちとしては、横田めぐみさん、市川修一さん、増元るみ子さん、蓮池薫さん、田中実さん、朝鮮語が余り上手ではなかったちょっと独特の容貌をした北海道から拉致されたという男性、加藤久美子さんなどなど、合計十一人です。
蓮池薫さんは、北朝鮮にいたときに実は日本の新聞を時々読むことができたと言っています。しかし、日本の新聞の拉致問題に関係するようなところは切り抜かれていた。ただし、時々その切り抜きのミスがあって、北朝鮮当局が読ませてはならない部分も入っていることがあった。そこで、家族会、救う会が結成された、お父さんの写真を見たと言っています。
○松原委員 安さんも危険を冒してこうやって国会で証言しているわけでありますが、そういった安さんの立場から見て、何か蓮池薫さんに対してのメッセージがあったら、簡潔におっしゃっていただきたい。
昭和五十二年九月に宇出津事件が起こりまして、その後、昭和五十三年七月に福井県で地村保志さんそれから浜本富貴恵さんが、そして新潟県で蓮池薫さん、奥土祐木子さんが、同年八月に鹿児島県で市川修一さん、増元るみ子さんが消息を絶つというアベック失踪事件が相次いで発生したわけでございまして、当時としては、警察として事件と事故の両面から捜査を尽くしていたものと考えておりますが、当時におきましては、北朝鮮によります
拉致問題については、拉致被害者である蓮池薫さん、祐木子さんの御家族、地村保志さん、富貴恵さんの御家族、計五名の御家族の日本への帰国が実現しました。 曽我ひとみさんの御家族三名については、私から直接、御主人のジェンキンスさん及び二人の娘さんに来日を強く働き掛けました。
また、その一カ月後には、拉致被害者である蓮池薫さん、祐木子さん、地村保志さん、富貴恵さん、曽我ひとみさんの五名の帰国が実現いたしました。これは、まさに前回の総理の訪朝の大きな成果であったと考えます。他方、五人の拉致被害者の帰国の後、さまざまな理由から日朝関係は再び停滞し、拉致問題についても一年七カ月にわたりほとんど進展が得られなかったのも御承知のとおりであります。 時は得がたくして失われやすし。
拉致問題については、拉致被害者である蓮池薫さん、祐木子さんの御家族、地村保志さん、富貴恵さんの御家族、計五名の御家族の日本への帰国が実現いたしました。(拍手) 曽我ひとみさんの御家族三名については、私から直接、御主人のジェンキンスさん及び二人の娘さんに来日を強く働きかけました。
北朝鮮に拉致されまして帰ってまいりました蓮池薫の兄の透と申します。よろしくお願いいたします。 時間が限られておりますので、早速本題に入らせていただきたいと思います。 平成十五年七月三十一日、弟薫と妻祐木子が北朝鮮に拉致されてからちょうど四半世紀が経過いたしました。四半世紀と申しますれば、オリンピック六回分でございます。生まれた子供が成人してばりばり働き出す年月に相当いたします。