2015-04-22 第189回国会 衆議院 法務委員会 第10号
法務省といたしましても、ホームページなどで、かなり細かく、しかしわかりやすく、皆様に御理解いただくべく努力をしているところでございますし、また、出前教室などを通して御理解をしていただくということもさせていただいておりまして、こうしたことの蓄積そのものが、これから出席率の向上にもつながっていくというふうに考えておりますので、さらに全力で取り組んでまいりたいというふうに考えているところでございます。
法務省といたしましても、ホームページなどで、かなり細かく、しかしわかりやすく、皆様に御理解いただくべく努力をしているところでございますし、また、出前教室などを通して御理解をしていただくということもさせていただいておりまして、こうしたことの蓄積そのものが、これから出席率の向上にもつながっていくというふうに考えておりますので、さらに全力で取り組んでまいりたいというふうに考えているところでございます。
このうち経済技術協力の枠組みの中で医薬品製造所の建設プロジェクトが数カ所進められているわけでございますが、特に医薬品産業が高度先端産業であり、そのノーハウの蓄積そのものが製薬行為とも言えるものですので、知的所有物の提供に対する評価を適正に行うことが必要ではないかと思うわけでございまして、そのようなソフト面における民間薬剤技術者の活発な参加を促進する必要性が求められていると思うわけでございますが、この
従来は、こうした民生の生活面の向上ということについての投資配分がわりあいに少なかったわけでございますが、それを今回は特に三割以上をぶち込んでいくということにいたした点がただいま御指摘のような国民の生活環境の改善ということあるいはまた社会資本の蓄積そのものを倍増していこうということにつながっておるわけでございまして、そうしたようなことをすることが、これからの日本の経済が国民生活にとって何であったかということに
国民の蓄積そのものではなくて、債務者に貸した金のはね返りが相当入っている。このこと自体が相当に問題じゃないかと私は思いますが、しかし、たいへんにこれはむずかしい議論の要するところでございます。それだけに、私どもも、時間をかけてもいいからこの辺について十分対策を考えていただきたいということは申し入れたことがございます。
言いかえますならば、国自身は税収というような考え方だけでものごとを考えないで、国民の蓄積そのものを念頭に置いて、そしていかにして国の施策を遂行していくかということを考うべきその時期にきているんじゃないだろうか、かような点も実はあるのであります。私は、そういう点から公債論が一応考えられる。そうして、むしろ負担を軽減することが望ましいんじゃないだろうか、かように実は思っておるのであります。
こういうようなことでいきますと、長所はありますけれども、一面において、資本の蓄積そのものの観点から見るならば、ここに考うべきところがあるだろうと思うのです。ただ単に不換紙幣でもって外国では使えないものを振り回して遠いところにやる、これが一面においては交通上非常に障害にもなるし、それからまた、消費を過大に進めていくという点があるわけでございます。
こういうときに私は円蓄積による旧株の取得を許すということになりますと、なるほど円蓄積そのものが非常に多いものではないので、必ずしも日本経済がこれによって重大な影響を来たすということはないでしょうけれども、かなりネックのところがやられる可能性があると私は思うのです。
この結果として民主党の公約は全く裏切られまして、減税と住宅建築、社会保障の充実、これを公約にいたしましたが、これは全く裏切られて、減税においては資本蓄積と税負担の軽減を目的として減税をやるということになっておりましたが、今の日本の資本蓄積の乏しいととは、資本の蓄積そのものが小さいこともありますが、それよりも防衛費とか、あるいは会計検査院で指摘されておるような乱費とか、あるいは自由経済のもとにおかれる
○立花委員 私も資本蓄積そのものが決して不当だとは申しておりません。不当な資本蓄積、しかも蓄積された資本が人民のためにならないような方向に使われるような資本蓄積を助長するような考え方はやめていただきたい。こういうことを言つておりますので、資本蓄積そのものは、必ずしも私は反対ではありません。
それから資本蓄積の問題でありますが、資本蓄積そのものは決して悪いとは申し上げません。資本蓄積が、さいぜん言いましたように日本を軍需工場にする、西ヨーロツパのために軍需製品をつくるための資本蓄積であつてはたまらないということを私言つておりますので、日本の人民の生活をゆたかにするための資本蓄積であるならば私はいいと思う。
しかしこれは、資本蓄積のためならばどんなことでもしていいということではないのでありまして、必ずしもこれは資本蓄積そのものの目的に沿わない。つまりこの場合起ることは結局預金の横流れと、はなはだしき市中銀行間のどろ試合でありまして、かえつて正常な預金吸收の努力が忘れられ、銀行本来の健全な経営というものに背馳する結果になると私は憂えるのであります。
言い換えますと、ドツジ・ラインによるところの経済復興の大きな基盤であるところの中小企業なり農業などがますます疲弊することによつて、国内的な市場がますます狹隘になることによつて、輸出振興そのものが危殆に瀕し、資本の蓄積そのものが危殆に瀕し、言い換えますと、この点はどこかにおいて修正せざるを得ないことになると私は確信いたすのであります。