1995-10-31 第134回国会 衆議院 環境委員会 第2号
翌日は太郎山に湯殿橋方面から登ったわけですけれども、やはりオオシラビソの葉つばの裏が黄ばみ、葉先だけを残して、そして枯れでいっている、こういう状態が進んでいました。立ち枯れによる崩壊が進行している巨大な、新なぎというのですが、新しいなぎのところをトラバースして山頂を目指してまいりますと、二百五十年は生きられるというシラビソが樹齢を全うできずに枯れて、そして幼い木が既にもう枯れ始めているわけです。
翌日は太郎山に湯殿橋方面から登ったわけですけれども、やはりオオシラビソの葉つばの裏が黄ばみ、葉先だけを残して、そして枯れでいっている、こういう状態が進んでいました。立ち枯れによる崩壊が進行している巨大な、新なぎというのですが、新しいなぎのところをトラバースして山頂を目指してまいりますと、二百五十年は生きられるというシラビソが樹齢を全うできずに枯れて、そして幼い木が既にもう枯れ始めているわけです。
平均して十二PPMということですが、このほかツツジとかツユクサ、ナス、アブラナ、こういった植物の葉先から二千三百から七百七十五PPMもの弗素が検出されておりますし、先ほども申しましたように、トタン屋根は腐食するし、ガラスは曇ってしまう。
網走地方では水田に氷が張ったところもございまして、葉先の色が変わっておるというようなところもございますが、今後の状況を見ますと、中には再生できるものもあるのではないかというふうに考えております。 それから、その次のビートの関係でございます。
網走地方では、水田に氷の張ったところもありまして、葉先の色の変わったものがありますが、再生できる見込みであります。しかしながら、田植えで労働力が非常に不足していることは、御指摘のとおりでございます。
この付近は穀倉地帯で五千四百町歩の水田を有し、たまたま水稲のなかてが出穂、開花期に当り、ほとんどが強風による葉先裂傷及びもみずれの変色被害でありまして、農業共済組合長の説明によれば、三割以上の被害が千五百町歩以上の見込みと言っているのであります。事実穂が黒色または白く変色し、不稔のものはすでに茎よりおくれ穂が出始め、はなはだしきは三本も出ているものさえある状況でありました。
両台風当時、水稲におきましては早生種、中生種、晩生種とその地方々々の適性によって多少違っておりますが、時あたかも出穂前後のもの、穂ばらみ、開花生殖中のもの、あるいは稔実中のもの、そのいずれとも稲の生育期に最も重要な時期でありまして、強風と潮風にあおられて葉先を裂傷枯死せしめ、穂ずれによってもみか脱落し、生成同化作用の機能が失われ、もみの変色、稔実不能、生育不全等の障害を来たして、あるものは三割減収、
農作物の被害の大部分は水稲の被害であって、その原因は潮害及び潮風害によるもの、穂の摩傷いわゆるもみずれによるもの、白枯病及び葉先の裂傷によるものが主としてあげられるもので、台風の被害にはつきものの田畑の流失、埋没、冠水、浸入及び倒伏による被害は、雨量が少かったために今度は非常に少かったのであります。
第二は、大正三年以来初めてといわれるような非常なスピードで通過し、海岸線の各地に施設災害をもたらし、また水稲の葉先に数ミリないし数センチの裂傷を生じたのでありますが、降雨量は長崎、大村、佐世保等を除いては比較的少く、場所によってはむしろ旱天の慈雨となったことであります。
山がさような次第でございまするから、畑地の凍結というものは非常なすごいものでございまして、その間に水田は割合やはり温度がそんなに低下しないので苗は植えたままの状態ではありまするけれども、葉先が少し赤くなつたという程度に過ぎないのですが、「たばこ」のごときも殆んどまあ半作以下に、まあ下葉のほうが皆枯れてしまつておるようなわけでございます。
暴風雨雪による農業上の被害が、どういう形で現われておるかと申しますると、言うまでもなく至るところ温冷床の障子のわく及び障子紙が飛び散り、あるいは大破損をしたわけでありますが、そのために冷い烈風を受けて、温冷床内の気温が摂氏一度二分ないし七度八分に低下いたしまして、われわれの視察しました苗はほとんど凍傷し、葉先が黄変ないし白変いたしておるのであります。
その翌年昭和十八年には、その新地に稻の苗を植えたのでありますが、とうとう稻の葉先は水の上に成長いたしませんで、沈んでしまいました。秋の収穫はすつかり駄目でありました。お芋もとうとう水浸しになりまして、一物も穫れず、そのまま新地は海底に沈んでしまつたのであります。今や祖先以来の遺骸を納めている大島区民の納骨堂、これにも亀裂が生じまして、水が浸入する状態になつております。