1973-06-28 第71回国会 衆議院 文教委員会 第26号
それがさらに文部省の要請に基づいて昨年の十一月一日に室長三輪知雄氏が就任をして、三輪知雄氏とそして宮島学長とが同行しまして、そして五医学部長会議に出まして、あらためて早く選考してもらいたい、こういう要請があって、その結果昨年の十二月の二十日でございますか、落合京一郎教授に満場一致で決定をしておる、こういう経過を踏んでいるわけですね。
それがさらに文部省の要請に基づいて昨年の十一月一日に室長三輪知雄氏が就任をして、三輪知雄氏とそして宮島学長とが同行しまして、そして五医学部長会議に出まして、あらためて早く選考してもらいたい、こういう要請があって、その結果昨年の十二月の二十日でございますか、落合京一郎教授に満場一致で決定をしておる、こういう経過を踏んでいるわけですね。
そして、東京医科歯科大学の医学部長であった落合京一郎教授がその創設準備会の医学部会の主査となって準備を進めてこられました。その間において副学長の選考というものの必要性も議題となり、医科歯科大学のほかに、東京大学、千葉大学、群馬大学、そして信州大学の五大学の医学部長会を、これもまた俗称協力校といっておりますけれども、このことを文部省が依頼をしたということは誤りございませんか。
しかも、最適任者は落合京一郎教授であるということが出され、しかも、それには、現に落合教授が埼玉医科大学の学長をしておるから、その点については配慮していただきたい。そのことも含めて落合京一郎教授が最適任だという文書が、文部省に出されているわけです。それから半年間文部省の事務当局は、文部大臣に対して提出されたこの文書を、奥野文部大臣に見せなかったのですか。
そのようなことから、筑波大学の医学専門学群は、母体である東京教育大学に医学部がなかったのでありますから、専門的な準備をするために、文部省は東京医科歯科大学を世話校として、昭和四十六年の末ごろか昭和四十七年の初めごろでございましょうか、依頼をして、そのこともあって、文部省の筑波大学創設準備会の医学部会の主査に、当時の東京医科歯科大学の医学部長であった落合京一郎教授か——この方は現在埼玉医科大学の学長でありますけれども
それには、内外の御意見を含めて考える必要があるということで、準備調査会をつくりまして、文部省、それから秋田県、それから秋田大学、それから医学関係の学識経験者といたしまして、学術会議の第七部長でもあり、また自身、私学の経営者でもあり、また大学設置委員会の医学部専門委員でもある慈恵医大の樋口学長、それに千葉大学の前の学長の谷川久治氏、それから東京医科歯科大学の医学部長の落合京一郎教授、この三人、専門委員