1954-03-22 第19回国会 衆議院 外務委員会公聴会 第1号
そして私どもは戦争中多くの友人、先輩たち、かなりまじめにそういう人々の言葉に耳を傾けた経験から申しますと、これは本院の本会議、あるいは委員会におきましてそういう発言があつたことが新聞によつてわかるのでありますが、日本のほんとうの安全のために、日本本土を真に自衛し得るために、当時の考え方からは、少くとも満州国、あるいは華北方面は絶対の国防線であると考えられた。
そして私どもは戦争中多くの友人、先輩たち、かなりまじめにそういう人々の言葉に耳を傾けた経験から申しますと、これは本院の本会議、あるいは委員会におきましてそういう発言があつたことが新聞によつてわかるのでありますが、日本のほんとうの安全のために、日本本土を真に自衛し得るために、当時の考え方からは、少くとも満州国、あるいは華北方面は絶対の国防線であると考えられた。
従来日本放送協会とされましては、華中方面、或いは華北方面に放送されておるということを聞いておるのでございますが、今日も恐らく継続されておると思います。併しながらこの国際放送というものにおきましては、これは内地の聽取者の費用を以てこの費用に当てるわけには参らないのは、これは当然でございまして、法律にもございます通り、国際放送に対しては国家がこれを負担するというのはこれは当然の次第であります。
華北方面におきましても、山西省、陜西省等において中共軍の反攻が見られるに至つたわけであります。 次に終戰後第三年、つまり一九四七年八月から今年の七月に至るまででありますが、この時期は終戰後第二年とは逆に、中共側の勢力が非常に優勢でありました。中共軍の戰果いよいよ華々しいというような状態で情勢は展開して行つたわけであります。
本年にはいりまして、十月十三日塘沽から華北方面の引揚者が約千七百名佐世保に上陸する豫定に相なつております、よつて九月末現在七千三百人の殘留者と見込まれました者から大體千九百名ほどが減ずる豫定に相なつておりますので、ただいまのところ五千四百名ほどが中國本土に殘留しておる日本人の數でございます。