1995-02-15 第132回国会 衆議院 科学技術委員会 第2号
そのときに震災予防調査会というものができまして、その会長に理学博士の菊池大麓さんという方がなられたのでありますが、その報告書の緒言に書いてありますことは、「本会調査ノ事業ハ着々歩ヲ造ムト雄猶創業ノ際二属スルヲ以テ諸般ノ準備二日子ヲ要スルコト砂カラス且此事業タル概ネ短日月ノ間二於テ其成績如何ヲ観ルコト能ハサルモノナリ」というふうにあるわけであります。
そのときに震災予防調査会というものができまして、その会長に理学博士の菊池大麓さんという方がなられたのでありますが、その報告書の緒言に書いてありますことは、「本会調査ノ事業ハ着々歩ヲ造ムト雄猶創業ノ際二属スルヲ以テ諸般ノ準備二日子ヲ要スルコト砂カラス且此事業タル概ネ短日月ノ間二於テ其成績如何ヲ観ルコト能ハサルモノナリ」というふうにあるわけであります。
提案者は貴族院の菊池大麓であります。菊池大麓がそういうことを国会でしゃべっております。それが一体どうしてその機関というものがなくなり、どうしてそれが発展的解消をして現在のような東大の地震研究所になったのか、そのいきさつはどういうことですか。
そこで、地震に対する観測機関として、濃美地震の直後国会で決議をいたしましてできたのが、皆さんも御承知の震災予防調査会、これでありまして、貴族院の古い記録を取り寄せて見ますと、明治二十四年ですが、菊池大麓さんがこの提案理由の説明をいたしておるのであります。皆さんも御承知のように坪井忠二さんの本がございますが、この中に菊池大麓さんのそのときの提案の趣旨を引用してございます。