1966-03-22 第51回国会 参議院 地方行政委員会 第11号
なお、日本の法律の趣旨はかなり諸外国にも徹底されておりまして、昨年の山菊丸、山姫丸の検挙は、カナダの警察からの情報連絡によるものでございます。 なお、いま開催いたしております東南アジア諸国の麻薬ゼミナールにおいても、この拳銃の問題を取り上げまして、私ども日本の法律の趣旨をよく関係諸国の代表に説明いたしておる、こういうことでございます。
なお、日本の法律の趣旨はかなり諸外国にも徹底されておりまして、昨年の山菊丸、山姫丸の検挙は、カナダの警察からの情報連絡によるものでございます。 なお、いま開催いたしております東南アジア諸国の麻薬ゼミナールにおいても、この拳銃の問題を取り上げまして、私ども日本の法律の趣旨をよく関係諸国の代表に説明いたしておる、こういうことでございます。
しかし中には努力いたしておっても、そう参らないものがございまして、山菊丸、山姫丸の場合には四十九丁密輸されておるのでございますが、うち四十一丁押収した、こういう状況でございますが、引き続き努力いたしておるところでございます。
たとえば、芸者町で電話を使わずに、「菊丸さん、はなやに帰ってください」なんという有線電話をどんどん使われると、それからうどんを持ってきてくださいなんて、そういうのに使われていたのじゃ電電公社はこれは上がったりですから、それはどういう話の内容か、それまでひとつ資料を出してください。そうしなければ電電公社、これは将来たいへんだと思うのです。その点も要求しておきます。
それから第二の問題としては、当時、私が、横浜港の中における山菊丸と高法丸の衝突事件というのが起きた、しかも毎年こういう事故が繰り返されておる、これについて運輸大臣はどう措置をしようと考えておるのか。こういう点を緊急質問として当時御提案をしておるわけです。
これは山下汽船の山菊丸と大同海運の高法丸が衝突をした事故が起きておるわけです。横浜港の状態を見ますというと、毎年この衝突事故というものが必ず起きておる。こういう点は、いかにやむを得ざる事故であるとか、あるいは業者のいわゆる不始末であるとか、船員の不十分であるとかいうようなことをいわれても、これはこの監督行政である指導者の立場にある運輸省の、やはり根本的な私は行政指導の問題がないとは言えないと思う。
○小山(亮)委員 そうして現在東海汽船が持っておりますところの船腹は、黒潮丸、藤丸、橘丸、高砂丸、淡路丸、菊丸、あけぼの丸、この七隻の船腹をもって運航しておりまして、船齢から申しますと、一番古いものが二十八年、しかしながら、みな大体鋼船であって、速力も速いのは十五マイル、少いのが八マイルということで、船齢は次第に老齢になってきている船もございますけれども、まずまずこの辺の船であれば第五北川丸のような
菊丸、船令二十六年、八百トン。あけぼの丸、四百トン、船令十年、二十六年もたっている船が新しいとは言えないが、大体耐航の線である。ところが、伊豆箱根鉄道から三十一年五月二十三日付で出した、一番最初に出した船は、たった九十九トンの第十二龍宮丸という船だ。九十九トンの船で、熱海−大島間の航路に就航させられる型の船でないことは、これはしろうと考えに考えてもわかる。
日本航空会社は、遭難の確報を得ますると、ただちにヘリコプターによつて関係者が現地に急行しますると同時に、東海汽船株式会社の菊丸を用船いたしまして、御遺族を現地に輸送して、これらの御遺族とともに、翌十一日の午後四時、遺骸を納めた霊枢を月島桟橋に陸揚げいたしまして同所において仮供養を行いました後、遺骸をお引渡しした次第であります。
これより先、日本航空会社は、遭難の確報を得ると直ちにヘリコプターによつて関係者が現地に急行しますると同時に、東海汽船株式会社の菊丸を傭船いたしまして、御遺族を現地に輸送して、これらの遺族と共に翌十一日午後四時に遺骸を納めた霊枢を月島桟橋に陸揚げいたしまして、同所におきまして仮供養を行いました後、遺骸をお引渡ししたような次第でありまして、なお会社におきましては、来る十九日に合同慰霊祭を築地本願寺においてとり
藤波 良雄君 参 考 人 (日本開発銀行 理事) 梅野 友夫君 参 考 人 (日本開発銀行 営業第二部営業 課長) 川崎 一臣君 参 考 人 (日本開発銀行 審査部第一課 長) 佐々木菊丸君
日本開発銀行理事梅野友夫君、同審査部第一課長佐々木菊丸君、同営業第二部営業課長川崎一臣君の二君を参考人に選定し、水産業に対する融資の実情を承りたいと思いますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
久之君 加藤 靜雄君 金野 定吉君 鈴木 雄二君 藤原繁太郎君 矢後 嘉藏君 小松 勇次君 冨永格五郎君 多賀 安郎君 内藤 友明君 外崎千代吉君 出席政府委員 農林政務次官 井上 良次君 農林事務官 藤田 巖君 委員外の出席者 農林事務官 佐々木菊丸君
そこで東京灣気船の、今は東海汽船と申しておりますが、東海汽船の菊丸という船が、これは七百六十トンの立派な純客船でございますが、これが帰還輸送をして帰つて参りまして、差当り東海汽船といたしましても確たる計画がなかつたようでありますから、直ちにこれを同社の間に斡旋いたしまして、この七百六十トンの菊丸をこの航路に入れることに手配いたしました。
尚今菊丸でございますが、就航さしておるというお言葉でございますが、これは一日一航海の航海をやらしておいでになるかどうかということでございます。