2020-01-23 第201回国会 参議院 本会議 第2号
そのことは、菅直人政権で一年余りの間、官房副長官を経験された福山議員もよく御存じのことと存じます。 様々な御批判があることを真摯に受け止めながら、今後、内閣として一層の緊張感を持って政権運営に当たってまいりたいと考えております。 桜を見る会の前日に開催された夕食会についてお尋ねがありました。
そのことは、菅直人政権で一年余りの間、官房副長官を経験された福山議員もよく御存じのことと存じます。 様々な御批判があることを真摯に受け止めながら、今後、内閣として一層の緊張感を持って政権運営に当たってまいりたいと考えております。 桜を見る会の前日に開催された夕食会についてお尋ねがありました。
平成二十二年、当時、菅直人政権ですけれども、地図が見つかりまして、硫黄島の中のここに日本の戦没者を埋めたというアメリカ側の資料が出てきて、それは資料があるから進んだということなわけですけれども、当時、十三億とかのお金で八百二十二人とか三百四十人とかということで、これは地図があったからということですけれども、大きく進みました。
ただ、その後、政権交代をして、先ほど期間限定の独裁だとおっしゃった菅直人政権では、この調査会のメンバーでもいらっしゃいますけれども、菅さんも、内閣総理大臣も含めて閣僚の半分が国旗・国歌法に賛成しなかった、反対をした議員で占められていた、そういう閣僚に占められた時代があったということ自体が残念なことだなと改めて思いました。
三年前の十二月には、福岡高裁が開門を認める判決を出して、これは、菅直人政権が上告を長崎県に相談せずに断念したために、確定してしまいました。今回の司法判断と三年前の確定した判断と、真っ向から相反するものとなっておりまして、地元では既に混乱しております。 そこで、伺います。 過去にこのような矛盾した判決が出た例はあるのか。その際の行政府としての対応は、どういう対応をとったのか。
それは、この菅直人政権のこの対応だからだというふうに思っています。まさに政治の風評被害の原因が総理、あなた自身なんですよ。これはやはり直していく、本当のこの日本の復興のためにはやはり人心を一新するしかないです、残念ながら。 一番は、国民のために、そして新しい未来のために働くことです。