1961-05-31 第38回国会 衆議院 農林水産委員会 第44号
○田口(長)委員長代理 荷見参考人には病後にもかかわらず本委員会に御出席下さって貴重なる御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。 足鹿委員。
○田口(長)委員長代理 荷見参考人には病後にもかかわらず本委員会に御出席下さって貴重なる御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。 足鹿委員。
これより参考人各位に対する質疑に入るのでありますが、荷見参考人は御病気中おいでを願っておりますので、最初に荷見参考人に対する質疑をお願いすることとし、荷見参考人に対する質疑を終了いたしましてからほかの参考人に対する質疑に入ることといたします。 足鹿覺君。
○荷見参考人 私実は事務を担当しておる参事などよりそちらが詳しくないというおしかりかと思います。私どももできるだけ担当部分につきましては勉強しておるつもりでありますが、あるいは説明が要を尽くさなかったというふうなお感じだったかと思います。
播種期も一カ月後に近づいておる今日でありますから、速急にその点山本参考人におかれましては荷見参考人とよくお話し合いをいただきまして、なお具体的なお話し合いをなさる場合にその問題も含めて一つ御考慮を願いたいと思います。
○荷見参考人 お話のように、農協の仕事も戦後荒廃の中から立ち上がりまして、いろいろの面に整備されつつあることは御承知の通りでございまして、その過程におきましてこのような問題も発生していると思います。今の麦耕連も、今お話しの通り農協の人であります。
では、荷見参考人からお願いいたします。
○荷見参考人 今お話しの点につきましては、農民の利益保護という点から強い要望がありますから、これは、その案が示されるまでには、内部の意見も一定して申し上げることができると考えております。
○荷見参考人 私の申し上げましたことも、十分おくみ取り置きを願いたいと思いますので、お願いいたします。
それからなお進みまして、占領下であったので、荷見参考人は、当時の一節を読んでみますと、「池田大蔵大臣を個人的にたずねまして、ひざ詰め談判をして、当時の湯川中金理事長と二人でまかせられて立案したというような経過がございまして、最初に申し上げましたように、そのときには奨励金を出して再建をしてやるのだということが重点でありまして、それを返すというようなことは話にも出ておりませんし、私はそういうふうに考えておらなかったのであります
○小枝委員長 山田委員、ちょっと委員長として、御発言中に恐縮ですが、荷見参考人は実は三時半までにぜひということでありまして、芳賀さんもありますししますから、荷見参考人の発言を先に許可するようにいたしたいと思いますが、御了解願いたいと思います。
○荷見参考人 それは別に異存はございません。
○荷見参考人 さようであります。
芳賀委員の議事進行に対しては、荷見参考人に対して過去の事実を指摘して遺憾の意を表しておきたいと思います。その後は委員会においてあらためて御決定を願う、かようにいたしたいと存じます。 次に福岡県農業協同組合中央会専務理事鬼木文雄君の御意見を御発表願います。
○荷見参考人 当時は農手という制度はございませんで、豊作のときには売控え資金を融通いたします。それから凶作のときには肥料購入資金というものを預金部から直接組合を通じて融通いたしておつたわけであります。
○荷見参考人 お話を伺つておりましても、ごもつとものようにも考えるのでありますが、何しろ研究が足りませんので、どうか、こうかという御返事を申し上げることができません。