2002-07-23 第154回国会 参議院 内閣委員会 第17号
そのときに、私は、元閣僚であった荒舩清十郎氏が、日韓交渉の最中、日韓条約が成立直前の時期に、朝鮮の慰安婦が十四万二千人死んでいる、日本の軍人が殺してしまったのだと、こういう講演を行っていることも紹介して政府に答弁を求めました。当時の政府の答弁は、言われたことをやるだけだ、名簿だけしか求められていない、そういうことでした。
そのときに、私は、元閣僚であった荒舩清十郎氏が、日韓交渉の最中、日韓条約が成立直前の時期に、朝鮮の慰安婦が十四万二千人死んでいる、日本の軍人が殺してしまったのだと、こういう講演を行っていることも紹介して政府に答弁を求めました。当時の政府の答弁は、言われたことをやるだけだ、名簿だけしか求められていない、そういうことでした。
当時、行政管理庁長官はかの有名な荒舩大臣でありましたが、生糸は専門家だからおれに任せておけということで、荒舩大臣も生糸の取引所は必要ないということを実は言われたことがあるんですね。そのときに私の質問に対して、当時の食品流通局長が森実さんでしたか、実は答弁をされたことをさっきちょっと議事録を見ておりました。
というのは、まさに日韓交渉の真っ最中に、元運輸大臣であった荒舩清十郎氏、故人ですけれども、この人が行われた講演があります。これは一九六五年十一月二十日の講演の一部ですけれども、徴用工に戦争中連れてきて成績がよいので軍隊に使ったが、この人の中で五十七万六千人が死んでいる、またこの間予算委員会でも問題になりましたが、朝鮮の慰安婦が十四万二千人死んでいると、こういう講演をなさっております。
その他、いろいろありますが、私はこういう会に出るのは初めてなもので少し上がっておるので、十分な話ができないという点も御了承いただきたいと思いますが、一九七三年にオイルショックで値が上がってしまったときに一回だけ国会に呼び出されて、予算委員会、当時荒舩清十郎という人が委員長だったと思いますが、大分皆さんからしかられたことがありましたが、そういうことが一回あっただけで、こういう逓信委員会のような大事なところに
これは私は荒舩さんが行管庁長官のときに弾劾裁判所で一緒に仕事をしておったものだから、荒舩さんにもよく事情を説明し、登記官の不足などについてはかなりいろいろな注文をした覚えがあります。あの人は頭の非常にいい人で、かなりよく理解をしてくれたと思っておりますが、やはりあなた方も何でもかんでも人員縮減だというのではないと思いますけれども、よく実情をお考えの上でお仕事をとっていただきたいと思います。
あのときには荒舩清十郎氏を初め自民党の方々も証人の喚問に賛成をなさって、これは与野党を挙げてああいう究明に取り組んだわけです。参議院においてもしかり。それで政治の浄化を求める決議が衆参両院でなされた。
○森田重郎君 私は埼玉県の三区でございまして、かつて大変高名をはせた荒舩清十郎先生のまさに地盤でございますが、保守系の方が数名ぐらいは立候補を予定されておるように実は仄聞をいたしておるわけでございますが、まさにこれは大変な選挙区で、もうすでに選挙に突入しておるような現状でございます。
昭和五十一年に衆議院で荒舩清十郎予算委員長は伊藤宏らの証人喚問を実現いたしました。いまこの委員会がこれを実現し得ない道理はないと思いますので、特にこれを申し入れる次第であります。
かような思い上がった役人に対しては、委員長は厳重な注意を与えられるとともに、政府委員たる資格を剥奪して、国会への出入りを禁ずるくらいの処置を講ぜられること、荒舩元委員長はこの点は厳重に注意されて、委員会の権威と秩序を保たれました。あえて委員長に御要望申し上げておきます。よろしゅうございますか。
当時の予算委員長は荒舩清十郎、りっぱな人でしたよ。死んでも名前は残る。その荒舩清十郎氏が、衆議院の安全保障問題等で調査に行こう、外交問題は行政だけじゃない、立法府でもやろうじゃないかと言って、調査団をつくって、そして、あのときアメリカの政府と国会のいわゆる両院議員の交渉に行った。団長は荒舩清十郎。
そのことは、当時衆議院の予算委員長をなさっておった故荒舩清十郎さんの著書の中にも詳細に書いてあります。これこそ皆さん、総理、国民の声ではないのですか。疑わしい、疑惑がある、それを早く解明しなさい、そうしなければ政治を信頼することができないじゃないかというのが国民の声です。また、憲法六十二条に言われている国政調査権の発動であります。この点については総理はどうお考えになりますか。
全日本トラック協会は、たとえば、亡くなりましたけれども荒舩清十郎氏だとか、あるいは野田毅氏だとか、こういうところには全日本トラック協会名義で献金がなされておるのであります。——さっきの二千百十五億というのは間違いでした。これは別の方の関係でありますからトラック協会の方ではありませんが、トラック協会は全体としましては五百六十五万、表面に出たのがそうなっている。
これは昭和五十年十二月、「核のない世界を求めて」、亡くなりましたけれども、荒舩さんを団長にいたしまして、あなたの友人の竹下君から小山長規さんから、きのう谷川君と話しました、あるところで会いましたから――谷川君も含んだり、野党のわれわれも入って、アメリカへ朝鮮問題や核問題あるいは軍縮の問題等を交渉に行った。そしてアメリカの議員とやったんです。
ずいぶん自民党から抵抗されましたけれども、当時の予算委員会の委員長は荒舩清十郎さん、亡くなられましたけれども、これはりっぱな人でございました。重大問題だ、これはやはり国会が優先的に取り上げるべきだということで、大分議論いたしましたが、二月十六日でしたか、初めて衆議院で証人喚問をした。
質疑が終わりましたならば、次に、議長から故荒舩清十郎さんに対する弔詞贈呈の報告がございまして、議長が弔詞を朗読されます。次いで高田富之さんの追悼演説がございます。次に、議長から故久保三郎さんに対する弔詞贈呈の報告がございまして、議長が弔詞を朗読されます。次いで葉梨信行さんの追悼演説がございます。
――――――――――――― 衆議院は多年憲政のために尽力し特に院議をもつてその功労を表彰されさきに本院副議長議院運営委員長決算委員長予算委員長の要職につきまたしばしば国務大臣の重任にあたられた議員正三位勲一等荒舩清十郎君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます ………………………………… 衆議院は多年憲政のために尽力しさきに交通安 全対策特別委員長の要職にあたられた議員正四位勲二等久保三郎君
○山下委員長 次に、議員荒舩清十郎君及び議員久保三郎君逝去の件についてでありますが、昨年十一月二十五日、埼玉県第三区選出議員荒舩清十郎君が、また、去る五日、茨城県第一区選出議員久保三郎君が逝去されました。 ここに謹んで哀悼の意を表します。
○高田富之君 ただいま議長から御報告がありましたとおり、本院議員荒舩清十郎先生は、昨年十一月二十五日、国立相模原病院において逝去されました。まことに痛恨の念にたえません。 私は、ここに、諸君の御同意を得まして、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。
昭和五十六年一月二十九日(木曜日) ————————————— 議事日程 第四号 昭和五十六年一月二十九日 午後二時開議 一 国務大臣の演説に対する質疑 (前会の 続) ————————————— ○本日の会議に付した案件 議員請暇の件 国務大臣の演説に対する質疑 (前会の 続) 高田富之君の故議員荒舩清十郎君に対する追悼 演説 葉梨信行君の故議員久保三郎君
議員荒舩清十郎君は、昨年十一月二十五日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。 同君に対する弔詞は、議長において昨年十二月十八日贈呈いたしました。これを朗読いたします。
閣提出第二八号) 国家公務員の寒冷地手当に関する法律の一部を 改正する法律案(内閣提出第三一号) 国家公務員法の一部を改正する法律案(内閣提 出第六号) 自衛隊法の一部を改正する法律案(内閣提出第 七号) 国家公務員等退職手当法の一部を改正する法律 の一部を改正する法律案(内閣提出第九号) ――――――――――――― 訂正 ○内閣委員会議録第三号中 一頁四段請願付託欄中三行の (荒舩清十郎君紹介
そのときの委員長は荒舩清十郎氏でありました。はからずもけさの新聞で荒舩先生の御逝去を知った。偉大な先輩を亡くしたという悲しみに私も胸を打たれているのでございますが、その荒舩委員長の手を通じて小佐野氏を告発をいたしました。これがいまでも問題として残っている、会期不継続の原則から見て。
三浦 隆君 河野 洋平君 柿澤 弘治君 同日 辞任 補欠選任 三浦 隆君 永末 英一君 柿澤 弘治君 河野 洋平君 同月十八日 辞任 補欠選任 大原 亨君 金子 みつ君 同日 辞任 補欠選任 金子 みつ君 大原 亨君 同月二十五日 辞任 補欠選任 荒舩清十郎君
御承知のとおり、数次にわたって本委員会の委員長を務められました荒舩清十郎君が、昨二十五日、逝去されました。まことに痛恨の念にたえません。 ここに、委員各位とともに故荒舩清十郎君の御冥福を祈り、謹んで黙祷をささげたいと存じます。 全員御起立をお願い申し上げます。——黙祷。 〔総員起立、黙祷〕
また私は、五十三年三月二十二日の本院予算委員会において、この問題に対する質問をいたしましたところが、当時の荒舩行政管理庁長官からはこういうふうにお答えをいただいているんです。行政管理庁は人員を整理するところだけではない、大いに足らないところは増員を図ると、こう言われたわけであります。