2009-04-20 第171回国会 参議院 決算委員会 第4号
ですから、そういう状況の中で、私も国会議事録を調べてみましたら、占領下の昭和二十三年の五月二十七日に、後に厚生大臣になった草葉隆圓さんという衆議院議員が、陸軍墓地の所管を厚生省に移すべきではないかという具合に問題提起をされております。
ですから、そういう状況の中で、私も国会議事録を調べてみましたら、占領下の昭和二十三年の五月二十七日に、後に厚生大臣になった草葉隆圓さんという衆議院議員が、陸軍墓地の所管を厚生省に移すべきではないかという具合に問題提起をされております。
これは、昭和二十九年に厚生年金制度、戦後いろいろあって立て直すときに、当時の草葉厚生大臣が参議院の社労委員会で趣旨説明をされたものであります。それから、昭和三十四年に当時の坂田厚生大臣が今の国民年金、新しい立ち上げといいますか、この趣旨説明をされた。この制度がそれ以来続いているわけです。
したがって、帰国後、この条約を審議する国会で、当時の吉田首相も、外務省の草葉政務次官も、西村条約局長も、国民感情の上からは残念千万だが、放棄した千島列島の中には国後、択捉は含まれるという趣旨の答弁をしておるのであります。こういう経過からすれば、政治的主張としては是認され得ても、法律的主張としては我が国がこれをソ連に要求するのは無理があると考えますが、いかがでしょう。総理のお考えを伺いたい。
その次には、小川原政信という人の質問に草葉隆圓さん、これは自民党の代護士でなかなか立派な人でした。当時外務省の政務次官でした。この政務次官が立って答えていわく、北千島、中千島と南千島ということになっております、現在千島というと、北、中、南を総称いたしております、その中に国後、択捉もちゃんと含まれているということを、草葉隆圓も西村条約局長もちゃんと答弁をしているのです。いいですか。
それから、これは当時の草葉政務次官でしたか、これも結局北千島だけに限定するということだけでは、これは国後、択捉だけを切り離すと無理なこじつけになるのではないか、だからクリルアイランズというのは千島全体を表示するものだと考えざるを得ないというふうな答弁があったと思うのです。
さらに同じ年の十一月六日、これは参議院特別委員会で草葉外務政務次官、これも千島という言葉の中で指しています条約のクリール・アイランズというのは、千島全体についての表示だと考えざるを得ない。これは国後、択捉は千島の範囲外ではないかとの質問に対する答えです。これがサンフランシスコ平和条約を結んだ当時の吉田全権、それから批准国会における責任ある政府の答弁です。
だからこそ西村条約局長もあるいは草葉外務次官ですか、これで見てみますと、たくさんの答弁が昭和二十六年当時あります。いわゆる国後、択捉を千島ではないというふうなことはかえってこじつけになりますとか、あるいは条約で言われておる千島列島というのはいわゆる南千島と北千島を含んでおりますと。その当時のあれを見てみますと、多分にそういうことがあります。
いまは物故者でございますが、草葉隆圓あるいは寺尾豊、今日健在でございます郡祐一議運委員長等々のもとで、いわば本参議院の本会議等の舞台回しの役を長年やらせていただきました。今日の国会法、参議院規則等の改正小委員となり、一年有余にわたって検討した結論が、いまの国会法であり、参議院規則でございます。
それから三つ目には、特定の政治家と、草葉さんの秘書をなさっておったという事実は冒陳に出ておりますからそれは除きますが、それ以外に特定の政治家と親しい関係があった。 四つ目には、右翼の人物と、たとえば松本明重氏を含み右翼の人物と交流関係があったと、こういう四つの、私がいま指摘した事実についてつかんでおられるかどうか、この点はいかがですか。
しかし、一九五一年十月十九日の衆議院特別委員会で、西村条約局長は、この条約で千島とあるのは、北千島及び南千島を含むと述べており、十一月五日の参議院の同委員会で、草葉外務政務次官が、千島から国後、択捉だけを切り離すことはかえって無理なこじつけになる、条約のクリルアイランズ、千島列島というのは千島全体について表示した、こう考えざるを得ないという答弁をしておりますし、挙げればずいぶんたくさん、何回もそういう
これは私設秘書をしていた草葉隆円厚生大臣の特別な計らいがあったのかどうか、これも調べる必要がありますが、このように彼は最初から主要な政治家とのつながりを持っていた人物ということがこの事実でも一つはわかるのです。そして、当時彼の直属の課長であった小沢辰男氏、この小沢辰男氏から何かと目をかけられ、かわいがられていた人物であるということも私どもの調査では明らかですよ。
あるいは草葉外務政務次官の同趣旨の答弁もありまして、歯舞、色丹、これは北海道の付属島嶼ですから別でございますが、国後、択捉については、これは古くから千島列島ということで、わが国の国定教科書も全部そういうぐあいに書いてきた。私は念のために国立国会図書館で、過去の日本の尋常小学校の国定教科書を全部調べてきましたけれども、そうでないと書いている教科書は、ただの一つもないのですね。
参議院の草葉隆圓という議員が中心になって、議員立法です。当時の社労委員会でやったわけですね。で、議事録を見てみますと、ほとんどこれ、反対がないんですね。全会一致みたいなもので可決されてます。衆議院のほうはどうだっていうと、野澤清人といいますか、この委員が一人だけ質問しているんですね。
と明確に答弁しておるし、一九五一年の十一月五日の参議院の同委員会で、草葉外務政務次官は、「千島というこの一つのクリル・アイランヅという立場から申上げますと、」これというのは国後、択捉ですが、「これだけを切離すことは却って無理なこじつけになって来るのではないか。」、「千島という言葉の中で指しております條約のクリル・アイランヅというのは千島全体についての表示だと、こう考えざるを得ないのであります。」
それからもう一つの例は、昭和三十八年六月二十八日、第四十三回国会において、草葉隆圓君外一名による職業安定法及び緊急失業対策法の一部を改正する法律案について、中間報告を求める動議が出されました。当時は、社会労働委員会の委員長は、これまた、私どもの先輩でございます社会党の鈴木強君でありました。
あるいは参議院では十一月の六日に楠見義男さんが質問されまして、それに対して草葉外務政務次官がその問題を答弁されておる。これらの答弁の中から、政府は明らかに当時この千島列島の中には国後、択捉は含まれているということを答弁しておる。しかし、日本政府はサンフランシスコ条約で吉田全権が言ったこと、あの見解はあくまでも堅持するものであるということを言っておるわけです。
かつて、いまはなき草葉隆圓君は、その力量手腕、ともに卓越した有能な政治家でありましたが、私の記憶では、中間報告に直面するたびごとに、草葉君のあの雄弁が思い出されてなりません。しかし私は、別の意味で、つまり、中間報告と関係のない有能な草葉君を思い出したいのであります。
すなわち、昭和四十年度分につきましては、故議員岩沢忠恭君の遺族に、昭和四十一年度分につきましては、故議員草葉隆圓君及び松本治一郎君の遺族に対する弔慰金でございます。 以上は、いずれも、そのつど議院運営委員会の承認を経て支出いたしたものでありますが、ここに国会予備金に関する法律第三条の規定によりまして、本院の承諾をお願いする次第でございます。(拍手)
○木内四郎君 議員草葉隆圓君の御逝去は、まことに痛恨にたえません。同僚議員といたしまして、つつしんで深く哀悼の意を表します。 草葉君は、明治二十八年、福岡県柳川市にお生まれになり、大谷大学御卒業後、社会事業に献身されておりましたが、昭和二十二年、第一回参議院選挙に御当選以来、立法、行政両府にわたり、数々の要職につかれて活躍せられました。
昭和四十二年二月十七日(金曜日) 午前十時三十三分開議 ━━━━━━━━━━━━━ ○議事日程 第二号 昭和四十二年二月十七日 午前十時開議 第一 内閣総理大臣の指名 ━━━━━━━━━━━━━ ○本日の会議に付した案件 一、故議員草葉隆圓君に対し弔詞贈呈の件 一、故議員草葉隆圓君に対する追悼の辞 一、故議員松本治一郎君に対し弔詞贈呈の件 一、故議員松本治一郎君
議員草葉隆圓君は、昨年九月二十日逝去せられました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。 同君に対しましては、すでに弔詞を贈呈いたしました。 ここに、その弔詞を朗読いたします。 〔総員起立〕 参議院は議員従三位勲一等草葉隆圓君の長逝に対しましてつつしんで哀悼の意を表しうやうやしく弔詞をささげます —————・—————