2021-05-19 第204回国会 衆議院 厚生労働委員会 第20号
これが実は、さっき私はパブリックヘルスと言って、細かくどんどん野口英世さんのように見る人と、広く見る、両方が、縦と横、それは日本の医者もそうです、専門医と総合医と。こういうことが今日本には求められていると思います。
これが実は、さっき私はパブリックヘルスと言って、細かくどんどん野口英世さんのように見る人と、広く見る、両方が、縦と横、それは日本の医者もそうです、専門医と総合医と。こういうことが今日本には求められていると思います。
そのような中で、野口英世博士、細菌学だったでしょうか、黄熱病の研究成果が世界を動かすという、地道で地味ではあるけれども、しっかりと人々の命と健康を守るための予防医学というのでしょうか、基礎研究分野に光が当たった時代もあったというふうに思います。
恐らく、一九六〇年代から日本が東南アジアで行ってきた様々な支援というのは、単に一つの価値観を押し付けるのではなくて、東南アジアのそれぞれの国が持っている歴史とか伝統とか風習、そういったものを尊重しながらそういった取組を後押しをしていくということでありまして、アフリカでも同じようなことが言えるのではないかなと思っておりまして、例えば、直近でも新型コロナへの対応において真価を発揮しているのが、野口英世博士
聖火リレーは、Jヴィレッジから被災地を巡り、今回の地震で大変だった地域、朝ドラ「エール」の舞台の福島市、そして日本一美しい只見線の三島町、野口英世の生まれた猪苗代、会津若松市、郡山、白河、まだまだありますが、県内を回ります。ですから、十年間、一生懸命復興してきた被災地の姿を、県民の皆様の姿を世界中の人に見てほしいと思っています。
今、女性の話がよく出てきますけれども、少なくとも、津田梅子というのは、日本でいけば初めての、女子の海外留学生第一号ということになるんだと思いますが、帰ってこられてからも津田塾等々いろいろな貢献をされたことも確かですし、北里先生は、今、科学技術とか医学とかいろいろ言われておりますけれども、そういった中で、この人とか野口英世とかというような方々の貢献された部分というのはいろいろな意味で非常に大きく、今の
そして、今、千円札でおなじみの野口英世さんも、黄熱病や梅毒の菌を発見もしています。 ただ、翻って今回のワクチン、アメリカに、そして諸外国に押されてしまい、なかなかそれが、ワクチンの安全保障という言葉やナショナリズムという言葉も出てきていますけれども、やはりちょっと少なくなると、EUが停止をしたように、もううちの地域から出さないぞというふうなことも起こり得るという。
○川内委員 野口英世賞は参加者がわからないということですか。 いや、私が聞いたのは、ほかに参加者が既にわかりませんとなってしまっている内閣総理大臣主催の会合が桜を見る会以外にございますかということを聞いたんですけれども。
○菅国務大臣 総理が主催する会合としては、例えば第三回野口英世アフリカ賞授賞式及び記念晩さん会などがありますが、桜を見る会については、招待人数が多く、しかも招待者リストを一般公表する前提で招待をしていないので、招待者名簿について大量の個人情報を含む文書としての管理が必要となり、そうしたことを踏まえて、二十九年の政府全体のガイドラインの改正を受けて、一年未満と設定をしたということであります。
福沢諭吉さんから渋沢栄一さんに、樋口一葉さんから津田梅子さんに、そして野口英世さんから北里柴三郎さんにというようなことでございます。
昨年、野口英世博士がガーナに黄熱病の研究に渡航されて九十年でありました。ガーナには野口記念医学研究所という施設がございます。そこに新たに先端感染症研究センターを建設することになりました。二十三億無償供与、日本側が建設することになって、その起工式に出席をしたわけであります。 野口英世博士は、八か月間研究された後、一九二八年、昭和三年五月二十一日に五十一歳の若さで首都アクラで死去されました。
山田 邦博君 政府参考人 (国土交通省住宅局長) 伊藤 明子君 政府参考人 (国土交通省鉄道局長) 藤井 直樹君 政府参考人 (国土交通省自動車局長) 奥田 哲也君 政府参考人 (国土交通省航空局長) 蝦名 邦晴君 政府参考人 (気象庁長官) 橋田 俊彦君 政府参考人 (海上保安庁次長) 花角 英世君
厚生労働省雇用環境・均等局長宮川晃君、厚生労働省社会・援護局長定塚由美子君、厚生労働省政策統括官酒光一章君、農林水産省大臣官房総括審議官横山紳君、林野庁長官沖修司君、経済産業省大臣官房総括審議官飯田祐二君、国土交通省水管理・国土保全局長山田邦博君、国土交通省住宅局長伊藤明子君、国土交通省鉄道局長藤井直樹君、国土交通省自動車局長奥田哲也君、国土交通省航空局長蝦名邦晴君、気象庁長官橋田俊彦君、海上保安庁次長花角英世君
政府参考人 (外務省大臣官房参事官) 飯島 俊郎君 政府参考人 (外務省大臣官房参事官) 志水 史雄君 政府参考人 (外務省大臣官房参事官) 小泉 勉君 政府参考人 (外務省北米局長) 森 健良君 政府参考人 (経済産業省通商政策局通商機構部長) 渡辺 哲也君 政府参考人 (海上保安庁次長) 花角 英世君
大臣官房参事官大鷹正人君、大臣官房参事官飯島俊郎君、大臣官房参事官志水史雄君、大臣官房参事官小泉勉君、北米局長森健良君、内閣官房内閣審議官市川正樹君、内閣審議官田中勝也君、内閣府総合海洋政策推進事務局長甲斐正彰君、公正取引委員会事務総局経済取引局長山田昭典君、法務省大臣官房審議官菊池浩君、大臣官房審議官佐々木聖子君、公安調査庁次長杉山治樹君、経済産業省通商政策局通商機構部長渡辺哲也君、海上保安庁次長花角英世君
五輪では、私の地元の会津若松市がタイのホストタウンになる、猪苗代が野口英世の関係でガーナのホストタウンになる、あと、吉野委員長には大変お世話になって、私の家内が協力隊で行っていたサモアがいわきのホストタウンになるとかとはなってはいるんですけれども、その大きなパイ、市場でいえばこのアジア地域を呼び込みたい、でも規制がかかっているという意味では、そういった現状に合わせて、通り一遍の発信ではなくてやっていかなければいけないというのがまずありますので
かつての日本は、大学は公費で行くものなんだ、そして、優秀な若い人たちは、昔の野口英世なんかも、地元の金持ちがおまえは優秀だから東京に行って医者になれと言って金を出してくれて、東京に行って勉強して医者になったりする、そういうものだったんだろうと思うんです。
それでも、文学少女で、本が好きでしたから、野口英世とかキュリー夫人とか、そしてライト兄弟、さらにエジソン、そういった人たちの伝記を随分読んで、感動いたしました。自分は理科が好きではないけれども、でも、科学というのは重要なものなんだということを十分に感じて、そして今では、科学者を応援したり、こうやって財政や税制や、そういう形で科学技術の支援をするという立場になりました。
○岩城国務大臣 親子と言われましてすぐ、お答えにならないと思いますが、今ぱっと思い浮かんだのは、私は福島ですから、野口英世とシカという母親の関係がすごく頭の中に残っておりまして、野口英世は、清作と呼ばれた子供のときにいろりに手を入れてしまって大やけどをしてしまう。お母さんはそのことをずっと後悔しながら生きてきた。野口英世はアメリカに渡って研究活動をするわけですが、なかなか地元に帰ってこない。
四ページに米国の仕組みをちょっと用意させていただいておりますが、原田英世さんという方が詳しいんですが、その方の資料をお借りしております。 米国では、五百万台のトレーラーハウスがFEMAに登録され、ふだんはリゾート用として活用され、非常時には被災者に提供される、すぐ持っていけるということでございます。それで、被災者への提供が終わった後にもとに戻す、そういうシステムがある。
また、五・六年生用では、日本人として、また大きな視点を持った国際人として生きてこられた野口英世とか、福澤諭吉、新渡戸稲造、龍馬、イチロー選手なども載っていましたね。 それから、女性の活躍と今盛んに言っておりますけれども、ヘレン・ケラーやアニー・サリバンやマザー・テレサ、そしてキュリー夫人とか向井千秋さんとか、あるいは、国連の平和大使のもったいないのマータイさんなんかも載っておりました。
○鴨下委員 総理、今の議論をお聞きになっていて、私は野口英世博士のように外に出ていくお医者さんというのが必要だと思います。そして、そういうような人たちが、例えば日本の薬あるいは医療機器、こういうものをしっかりと現地の皆さんに理解していただいて、使いこなして、最終的に日本の成長分野にも寄与する、こういうようなことがまさに国家戦略だというふうに思っておりますが、最後に総理の御意見を伺いたいと思います。
総理は、施政方針演説の中で、志を得ざれば再びこの地を踏まずという言葉を引用されて、野口英世博士について触れられました。これは野口英世博士が猪苗代の故郷を出るときに柱に刻んだそうでありますけれども、結果的に、野口博士は、アフリカのガーナに渡って黄熱病の研究に生涯をささげ、その地で亡くなりました。
ハード部分はかなり日本は貢献しているんですけれども、ソフトの部分についてはまだ甚だ、野口英世博士の次に行くような医師、看護師、こういう人たちをもっと野心的に育てる必要があるだろうというふうに思いますが、これについて簡単にお答えをいただければと思います。
野口英世博士です。 「志を得ざれば再び此地を踏まず」 ふるさと福島から世界に羽ばたき、黄熱病研究のため周囲の反対を押し切ってガーナに渡り、そしてその地で黄熱病により殉職。人生の最期の瞬間まで医学に対する熱い初心を貫きました。 我々が国会議員となったのも、志を得るため。この国を良くしたい、国民のために力を尽くしたいとの思いからであったはずです。 改めて申し上げます。
野口英世博士です。 志を得ざれば再びこの地を踏まず。ふるさと福島から世界に羽ばたき、黄熱病研究のため、周囲の反対を押し切ってガーナに渡り、そして、その地で黄熱病により殉職。人生の最期の瞬間まで医学に対する熱い初心を貫きました。 我々が国会議員となったのも、志を得るため。この国をよくしたい、国民のために力を尽くしたいとの思いからであったはずです。 改めて申し上げます。
我が国とガーナとの関係は、御案内のとおり野口英世博士やあるいはカカオ豆に象徴されますように、長きにわたりまして友好的であります。一九六三年に我が国が初めて援助を実施してから本年でちょうど五十年となります。二〇〇四年に拡大HIPC、重債務貧困国イニシアティブによりまして債務免除が行われましたけれども、無償資金協力や技術協力などは継続して行われているところであります。