2016-02-17 第190回国会 参議院 憲法審査会 第1号
やはり、先ほど浅野先生御紹介いただきましたけれども、アジアで初めて帝国憲法下で議会を開設をし、苦悶苦闘しながら大正デモクラシーを経て議会制度をどう定着させていくか、そういった先人の努力、日本は民主主義をGHQの占領政策で与えられたわけじゃない、戦前からいろんな課題はあったとしても自らの民主主義を育んできたという、そういった視点の見方、戦争の原因の見方というのが違うのかなというふうに思っておりましたので
やはり、先ほど浅野先生御紹介いただきましたけれども、アジアで初めて帝国憲法下で議会を開設をし、苦悶苦闘しながら大正デモクラシーを経て議会制度をどう定着させていくか、そういった先人の努力、日本は民主主義をGHQの占領政策で与えられたわけじゃない、戦前からいろんな課題はあったとしても自らの民主主義を育んできたという、そういった視点の見方、戦争の原因の見方というのが違うのかなというふうに思っておりましたので
そこで、まさに厚生労働大臣には、それがなぜなのか、どこに問題があるのか、どうすればいいのかというところに苦悶していただくことが厚生労働大臣の第一義の務めだということをお願いかたがた申し上げているわけです。 私は、維新の党が提出された同一労働同一賃金の法案、これは極めて、大いに評価をする立場でありますし、ともにその方向で戦っていきたいと思っています。
こういった尊厳死に関する事例といたしましては、医師であった被告人が、気管支ぜんそくの発作で昏睡状態が続いていた患者に対し、家族からの求めに応じて気道確保のために挿入されていた気管内チューブを抜いたところ、予期に反して患者が苦悶、苦しい呼吸を始めたために、患者に対して筋弛緩剤を投与し死亡させたという川崎協同病院事件というものがございます。
そんなことを思ったときに、何を私が思うかと申し上げると、それはやはり、秘密の、ルールがないから大変苦悶をされたんじゃないか。そういった意味では、やはりルールをちゃんと明確にしなくちゃいけないんだ。
私も、阪神・淡路大震災の年に初当選させていただいて、被災者の皆さんと一緒に、生活再建に対する公的支援をどう実現するか、立法府に身を置く者の一人としてかなり当時の政府の立場と板挟みになって苦悶いたしましたけれども、やはり被災者の皆さんの運動、今、磯辺参考人からたくさんの運動があったというふうに紹介されましたけれども、その運動に支えられて一緒に作ることができたと思っております。で、終わりじゃないと。
しかし、私、この間、行革に対して財源の厚みを増すということになぜ気持ち悪さを感じるのか、ちょっと自分なりに苦悶してみたので、頭の隅にだけ置いていただきたいんです。 やはり、例えば教育の充実とか、医療サービスの提供とか、あるいは公園整備を初めとした都市環境の整備とか、あらゆる政策目的はそれ自体が目的であっていいと思うんですよね、住民の立場から、住民にとって。
私のような若輩が申し上げるのもあれですが、やはり公共性と採算性、そして視聴率と質の高さ、こういうものの苦闘、苦悶の中からこそ、NHKさんというのはいい番組をつくられてくるんだろうなと思いますし、私も本当に大好きです。年齢を重ねるごとにNHKというのは好きになるものだなというふうに最近よく感じるんですけれども、ぜひ御活躍をいただきたい。
人生で一番輝くべき二十歳から六十四歳までを国によって殺人犯に仕立てられ、苦悶する日々を強いられたのです。 私たち国会議員は、あるいは政府の皆さんは、この人たちにどうこたえていかなければならないのか、大臣、そして政府参考人の方にお聞きをいたします。特に、政府参考人の方は生きた言葉で、自分の言葉で答えていただきたいと思います。よろしくお願いします。
特定の公職、公務員の経歴にある者を役員に継続的に就任させない、あるいはそうならないように配慮するという規定でありますが、今まさに渡辺大臣が大変苦悶をしておられる、四苦八苦しておられるテーマと直結するわけでありますが、大臣、配慮するという規定でありますけれども、それこそこれは機能する規定ですか。どう機能させられるおつもりか、お聞かせをいただきたいと思います。
さて、アフリカ問題というのは、九億人の五十三か国が存在する巨大な大陸の苦悶として発生しています。到底日本だけで担い切れる課題ではありません。日本とアフリカ及び国際社会のスクラムが求められます。具体的には、様々な関係者との連携と協調が援助の現場で必要となっており、幾つかの営為が実際に行われています。
これは本当に行政の世界では永遠の命題だと思うんですが、私も、きょう質疑に立つに当たって、一体どっちなんだろうと相当自分なりに苦悶しました。 私なりの考えなんですが、企画をする人間と、それから制度設計に従って現場で動いている者を監視する人間と、監視がうまくいっているかどうかを検査する人間は、やはり別の方がいいんだろうなというのが私なりの結論です。
しかし、このような自損行為による死亡であっても、公務に起因して何らかの精神疾患を発症し、その疾患に特有な感情の障害、思考の障害等を伴って、苦悶あるいは絶望感等のあらわれとして自殺等の自損行為に及んで死亡ということになった場合には、公務上の災害として認められる場合がございます。
そういうことごとの中で我々もいろいろ苦悶することも多いわけですし、当然のことにいろんな角度から試行錯誤を繰り返しつつ、将来の展望を開こうと努力をしているところであります。
また、そういう議連の動きのみならず、いわゆる道路族というふうに世間で言われているような議員さんたちが非常に活発に動いておられるように仄聞いたしておりまして、私もそんなに週刊誌を読む方じゃございませんが、週刊誌とかあるいは新聞紙上、きょうの新聞でも石原大臣のお立場が、非常に板挟みになっておられて苦悶しておられるというような報道もなされておるところでございます。
中身を見ていると、それから実は山一の苦悶が始まったわけです。この通達によってそれぞれどういう選択をしなければならなかったかというと、顧客に対してはニギリをやっているわけですから、これだけの利益保証はしますよということを、ニギリというのは書面で交わす契約ではなくて、口約束でこれぐらいのものですよという約束をしていますよ、こういうことですね。
当時、吉田内閣で行政改革をしようということで大変、「苦悶する橋本長官」、こういう見出してございまして、また、「行政改革行き悩む橋本長官窮地に立つ」。これはお父様でございます、橋本総理ではございません。こういう記事がありまして、この記事をずっと読んでいくと、本当にこの行政改革というのは、口で言うのは簡単だけれども大変難しいものだ、こう思うわけでございます。
大田知事はもう一年間苦悶を続けて、苦渋の、熟慮の末、その代行を平成三年五月二十八日に実施したのであります。 しかし、これは決して無条件ではなかった。当時の池田防衛庁長官と児玉防衛施設庁長官の間で交わされた覚書、これは、十一省庁協議会をつくって、ちゃんと沖縄の基地問題を沖縄県民の要望に従って処理をしていきますという覚書があったわけです。
前回も、平成三年の五月二十八日に、大田知事は公告・縦覧の実施を行うと表明されたわけでありますが、これも約一年近く知事は苦悶に苦悶を重ねて、その末、政府との間で話し合いがついてそれをおやりになることになったわけであります。
ただ、過去を振り返るという意味で、第二次大戦後の日本の産業の中で常にリーディングインダストリーがあった、そしてそれが全体を引っ張ってきた、そしてある意味ではそのリーディングインダストリーというものの次なる候補者が見つからない中で苦悶をしている、こういう言い方も私はあながち間違った見方ではないと思っております。
しかし、大田知事も県民の反対の意見で一年近くも苦悶を続けた。非常に悩まれた。しかし、政府からいろいろな条件提示があって、大田知事は、拒否すべきか応諾すべきか、どちらが県民の利益になるかということを悩み抜いたあげく、公告縦覧の代行を実施する、まさに苦渋の決断をされたのであります。