2016-04-01 第190回国会 衆議院 経済産業委員会 第5号
もう一つだけ紹介しますと、配付資料の四枚目は、福井県の建設業連合会の歴史、連合会の方が書かれた連合会史というもので、そこの若狭地区建設業の部分であります。ここには「原発工事の影響」という項がありまして、読ませていただきますと、 若狭地方に初めて原子力発電所が建設されたのは昭和四五年、関西電力美浜発電所が第一号である。
もう一つだけ紹介しますと、配付資料の四枚目は、福井県の建設業連合会の歴史、連合会の方が書かれた連合会史というもので、そこの若狭地区建設業の部分であります。ここには「原発工事の影響」という項がありまして、読ませていただきますと、 若狭地方に初めて原子力発電所が建設されたのは昭和四五年、関西電力美浜発電所が第一号である。
若狭地区四か所に十五基の原発があるんですよ。でも、道路というのは非常に悪い。 国交大臣、この若狭原発周辺の道路整備、いつまでに造るか、お答えください。
例えば福井県の若狭地区、原発が四か所に十五基あります。原発銀座と言われるところなんですけれども、御存じのとおり、日本海に面した町々というのは、山が結構海にせり出しているという関係もあって、道路や町が海岸に沿っている。若狭湾においては二十七号線が一本海沿いに走っている。なかなか、その一本だけだと住民の避難とあるいはそういう救出部隊の進出経路がぶつかってしまう。
○谷口説明員 先生御指摘の関西電力の原子力発電所、若狭地区におきます発電所の外壁におけるひび割れにつきましては、これまで通産省から現地に常駐している専門家も含めまして外観の点検を行うとともに、主要骨材につきましては、米国の材料試験協会が作成しました所要の試験を実施しておりまして、新聞等でいろいろ騒がれておりますアルカリの骨材反応が生じないということを確認しております。
ある若狭地区の町長のことばをかりるならば、たとえば運輸省は九十九里浜についてはこういうようにりっぱな調査書を出しておられますね。大体港湾局でいろいろ検討されたんでしょう。専門の方もいろいろ活用されてつくられている。若狭地区についてはこういう青色の教科書が、調査報告書が出ている。ところが、ある町長のことばをかりると、この青い教科書は買い占め教本ですね。
それからさらに、一月の二十三日に私はどういう御意見を皆さんが持っておられるかということを聞くために、一日若狭地区のほうに参りましたが、そのときに和田、青郷等からはいわゆる部落の区長四十数名がお集りになって、いま言ったようないろいろな事情を述べられて、観光拠点としての駅をどうしてもひとつ守り育てたい、こういうことを切々としてお話しになっている。
そういうことで、この三つをどうしても早急に解決をしなければいけないということで、この若狭地区の市町村はいろいろな負担をしながら取り組んでおります。 ついでですから、もう少し申し上げると、小浜市の場合に、これは常住人口五万一千人で、ごみは一日六十トンの大体処理施設があれば普通いいわけなんです。
こういう形で考えてみますと、建設中三百万キロワット、申請中三百十六万キロワット、合わせて六百二十万キロワットという、世界最大の原電基地が、このままならば福井県の若狭地区に建設をされようとする方向になっているということを私は指摘をいたしたいと思います。
で、特にこの機会で、私の地元のことばかり申し上げまして恐縮ですが、福井県は、嶺南、嶺北というような観念が昔からありまして、嶺北の地方に非常な、まあ重要性がありますので、嶺南の敦賀から西の若狭地区にかけまして、この地区の住民は天性国政に対して非常なひがみというものを感じているわけでございます。
例えば日本の場合、私福井県ですけれども、若狭地区というのが非常に酪農が多い所なんです。一軒一頭ですね。それを全部舞鶴のどこかの工場に持つて行く、それが完全に資本主義経営……、コオペラチブでないというところもあるのじやないですか。だからコオペラチブが完全に発達して行くということになれば……。それから飼料の関係もございましようね。
それを若狭地区の嶺南の三郡だけを切つてとつて京都電灯がああいうことをやつたというだけの問題で、実際は問題は何もない。若狭が高い関配の料金においてとられておるがゆえに、嶺南の若狭地区は産業面において重大な支障を来し、しかも民衆は嶺北よりは高率な料金を課せられておる。これを何と見るか。だから福井県においては実に半身不随の電力事情になつておる。
すなわち、当時の雨量を申し上げると、福井県中名田村の七百余ミリを中心として、京都府の北東山間部、滋賀県の琵琶湖の西北山間部、福井県の若狭地区等においては、いずれも六百ミリから五百ミリの降雨を見たのでありまして、これを福井県に例をとりますならば、過去五箇年間の平均雨量の八箇月分が二十四日、二十五日の二日間で降つたということになつております。