1985-06-12 第102回国会 参議院 環境特別委員会 第8号
それから、まだまだ各地のナショナル・トラストの芽ばえの動きが弱いですから、全国の会へ結集して力を合わせるという動きになっておりませんけれども、私どもの立場からしますと、一日も早く全国の会が法人格を持ってほしいということでございます。それは公益信託の形で私ども天神崎でやっと保全できました地域を信託会社へ信託しようとしましても、信託会社は金銭信託なら受けますけれども土地の信託は受けようといたしません。
それから、まだまだ各地のナショナル・トラストの芽ばえの動きが弱いですから、全国の会へ結集して力を合わせるという動きになっておりませんけれども、私どもの立場からしますと、一日も早く全国の会が法人格を持ってほしいということでございます。それは公益信託の形で私ども天神崎でやっと保全できました地域を信託会社へ信託しようとしましても、信託会社は金銭信託なら受けますけれども土地の信託は受けようといたしません。
これが小学校令では、教頭の芽ばえがここに出てきておるということも言えるんじゃないかと思うわけでございますけれども、昭和十六年に国民学校令というものが制定されまして、そこに初めて小学校、中学校の段階では、「教頭」ということばが出てきたわけでございます。
○紺野委員 国会選挙も実際やる約束や改正憲法を停止して、いまの前のパパドプロス政権とまた違って、それをまた転覆してそしてそういう新しい民主的な多少の芽ばえ、国民の要求をも弾圧しているわけですけれども、こういうものを見さかいなく、やはり民主的な国だというふうなことを考えて、そして政府間協定をこれと結ぶということについては私どもは反対であります。
したがって、やはりどういう子供でも必ず何かいいものがある、それを伸ばしてやるのがやはり教師の仕事だというこの気持ちが私は先ほど申し上げたところの国民の教育に対するところの権利意識の芽ばえ、そういうものと相まって私はやはり大きくこの障害児教育というものが浮かび上がってきた、こう見ておるわけです。
○松尾委員 そのような芽ばえがあるというお答えでありますが、これはそれぞれが事業協同組合等のやはり中小企業の方々です。アメリカのシアーズローバックのほうは、二百人くらいのデザイン専門と申しますか、博士号をとったような人がおります。
○大原委員 国家補償の精神で芽ばえが出たとするならば——いまお話しのように四千名余りの認定被爆者の中で、一度認定された人に対して、認定疾病の状況がなくなっても七千五百円、一カ月間に手当を出す、こういうことについてやったことは、そういう国家補償的な考え方である、それから所得制限については、たとえば健康管理手当等についてもそうですが、所得制限はこれは撤廃すべきだ、年齢制限と一緒に所得制限は撤廃すべきだ。
そういたしますと、この公害問題等につきましても、銀行の融資その他の資金の引き締め等があるわけでございますが、その中においてもいままでのようにその産業の設備投資のための融資でなしに、融資をするにしてもやはり福祉的な諸施設、社会公共の施設、そういうものに主眼を置いて金融が行なわれなければならぬ、こういうことになっておると同時に、私は、産業のそういう形態から申しまして、日本の産業のあり方からして、いまのようにせっかく芽ばえを
私たちこういう審議を進めておりますけれども、先生のお話を伺って、私たちはますます決心を固めて努力をしたいと思いますけれども、そういう戻し税制度というものが従来の税体系の中になかったものですから、そういう一つのあり方というものが、新しい一つの芽ばえとして、あるべきインフレ下の税制措置として当然の措置だというふうに私たちは受け取りながらそういう作業を進めておるわけなんですけれども、そのことと税体系とその
その辺にやはり不信感の芽ばえというようなものがあるのじゃなかろうか、こういうことを感じます。 それから行政の執行の面においては各地いろいろばらばらな実態があるということ、これはもう現実にそのとおりだと思います。したがってこれを一本の基準単価で何とか処理していこうという考え方それ自体が大体現実に沿わないわけなんです。
いまの文部省の新設大学の設立に対する考え方については、私ははなはだ不満足なものを感ぜざるを得ないし、やがてまたここに、大学とは一体何だという原理的な闘争が起こる芽ばえを包蔵しておることを大臣に申し上げたいと存ずるのであります。いかがでございますか。
ソ連の中でも国家体制を質的転換するのには非常に骨が折れるようだが、現にブレジネフのむすこさんですらもこのことに対しては満腔の同情をもって当たっているというぐらいに、窮屈な体制の中においても新しい自由を求める流れというものは、むしろ一見窮屈に見えているような、われわれから見ると困ったものだと見えているようなソ連や中国の中からでも芽ばえが出ているのに、日本においてはそういうところがない。
失業率は高いのに、企業に行くと人手不足、これは新しい価値観の芽ばえであります。青年たちは、個性が発揮できる仕事、自己実現ができる仕事を求め、生きがいを求めております。社会福祉施設などはそれにこたえる職場ではあっても、あまりにも労働条件が悪ければ、人を求めることはできません。施設は棄民収容所ではないのであります。
最近の傾向といたしましては、日本の労働慣行の中から新しい芽ばえと申しますか、いわゆるアメリカ、西欧型の、非常に雇用が流動化する、いわゆる上向移動といいますか、若い人たちが学校を出て就職をして、一年、二年、三年のうちに転々として変わっていくと。
朝永さんから考えますと、もう四代ぐらいにわたっておりますけれども、朝永さんから三輪さんに移りましてから、実は移転問題のほかにも、ちょっと芽ばえが出てまいりましたけれども、さまざまな問題が出始めてまいりまして、筑波の問題で実はたいへん問題のある運営をなさったというように思うわけであります。学長が一つの部局の側に立ったと、一部の部局を代表したというところに問題があるわけです。
あなた方が呼び名を変えて、小使さんという名前で呼ばれていた人々のいわゆる権利意識の芽ばえを慰撫しようとしただけであって、あなた方自身にほんとうにそういう人たちの人権を重んずるという感覚がないのではないだろうかと。私は、用務員という職業は、まさに正規の職名として法律にそういう意味では明記をすべきだと思う。
米ソ二大軍事大国の間に信頼回復の芽ばえが出てまいりまして、それがああいう協定に具体化してまいったということは、世界にとりましても、わが国にとりましても、これは歓迎すべきことである、その政治的意義は非常に大きいと評価いたしておるわけでございます。
特に、農地の保有合理化促進、そういったものにつきましては、これも三十二億から四十七億ということで、まだ金額的には少のうございますけれども、そういう一つの芽ばえをどう育成するかということで、実現性のある、現実に稼働し得る最大の予算を組んだつもりでおります。それからさらに新しく経営の問題。
あれを着たいかめしいのが来て、そんなことをやったら殺してやるぞとか、まあたいへんすごんで、それから顔を覚えておくぞとか、そういうようなことでおどしをかけて、せっかくの民主化の動きを、芽ばえをつもうとする動きもあるようですね。 だから、学校当局が、当初学長以下たいへん反省して申しわけなかったようなことを言っているけれども、腹の中はそうでないように思うのですね。
そうすれば、これが国庫に回って、また新しい事業の芽ばえが出てくるでしょう、私はそう思うんだよ。 だから、さっき言ったでしょう、どうも郵政当局の幹部の諸君は親方日の丸的でしようがない、新しい時代に即応する知恵を働かせよと、先ほど言ったばかりなんですよ。ぜひそれは、大臣、改めてください。
大きな意味の武力衝突というようなことは考えられない状態になってきつつあることは、確かに一つの緊張緩和への芽ばえがあそこに出てきたということでございますし、私の見るところ、アメリカもソ連も中国も、その他アジアの諸国民も、それから大きくいって世界の諸国民も、これ以上にアジアが紛争地帯になることを望んでいないと思うのでありまして、国際世論も、この緊張緩和の方向に定着化の度合いを高めてまいることを希望しているように