2021-02-25 第204回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第1号
これは、一九九〇年に花博が開催されたところであります。私も中学校の頃に行って、今でもそのときの雰囲気をすごく覚えていますが。この花博を開催した鶴見緑地公園でも、この万博開催に合わせて様々なイベントを開催したいという思いがあります。
これは、一九九〇年に花博が開催されたところであります。私も中学校の頃に行って、今でもそのときの雰囲気をすごく覚えていますが。この花博を開催した鶴見緑地公園でも、この万博開催に合わせて様々なイベントを開催したいという思いがあります。
これについては、横浜市が二〇二六年に国際園芸博覧会、通称花博を開催したいので、土地区画整理事業、いわゆる都市計画法の特例を設けて、市街化調整区域における自治体による事業執行を可能とするように改正をしていただきたいということなんですね。
二〇一五年七月二十八日に大阪府で開催されました第四回国際博覧会大阪誘致構想検討会ということで、大阪府から委託を受けました事業者から提出されました国際博覧会開催可能地区検討調査中間報告の中で、国際博覧会可能地の例示という形で、まさに資料にお示しいただいておりますが、彩都東部プラス万博記念公園、服部緑地、それから花博記念公園、舞洲、大泉緑地、りんくう公園プラスりんくうタウンというものが例示されているというふうに
これは、国際園芸博覧会、花博なので、農水省あるいは国交省関係なんですが、これは、実は最短では二〇二六年に開催をしたいというお話になっておりまして、すると、二〇二五年、関西・大阪での博覧会があって、二六年、次の年あたりに横浜、東で花博という、連続開催という形になるかと思うんですね。
こういった答申も受けて、花博とセットで、園芸博覧会とセットで、こうした地域に役に立つ開発、ぜひ進めていっていただきたいと思うんですが、国として、こういった輸送施設の整備についてどんな支援をいただけるか、御回答いただきたいと思います。
ぜひこれは、やはり国としても、最終的にお願いにはなりますが、バックアップをいただいて、ぜひ誘致を成功させ、招致を成功させるということをお願いをしたいんですが、前提として、一九九〇年、少し前になりますが、大阪の花博がございました。やはりこの延長に次の園芸博覧会もあると思うんですが、大阪の博覧会についての、例えば開催目標、実績、そして課題等について挙げていただけますでしょうか。
私は、やはりこの大阪の花博も、非常に平成の時代を開くにはふさわしいイベントだったんだろうなというふうに見ています。そして、やはり大阪からの、この花博の、いろいろな波及がちょうど平成の時代をつくってきたと。
それで、先ほどの課題にまた戻るんですけれども、この旧上瀬谷通信施設は、先ほど申し上げましたように、土地は十分確保できるんですけれども、現状では、もしこういった大きなイベント、花博のような大きなイベントを開催した場合には、どれだけそのお客さんを受け入れられるのか、そういうアクセスの問題もございます。
この旧上瀬谷通信施設の跡地の利用の観点から、横浜市としては、平成三十八年以降に、国際園芸博覧会、花博の開催を今前向きに検討しているところでございます。近々、横浜市におきましてもそうした方針を固めて、ことしの秋ごろを目途に国に要望したいという方向で検討していると聞いております。 これが国に上がってきますと、その場合には、今度は国際的な要請が必要になってまいります。
大阪万博、花博がありましたが、その前年、直前に私は水耕栽培の果菜栽培を成功させたんですよ。三百坪の畑に七十坪の苗畑を据えて、ハウスの中ですね、それ全部電気で管理したんです。水耕ですから、ずっと水与えていっても木は精力を失います。その中で、電気で、センサーで操作をして、例えば一時間水をトマトにやるとすると、そのうち、センサーでもって調整をして落水をしまして、四十五分ぐらいはほっておくんですよ。
浜松でも、あれはA2の方ですか、もっと小さい規模の花博をやった。物すごく国内的な対策と、国際的なそれを決める機関がオランダにあるようでございますが、そこに対する働きかけと両方とが必要なわけで、本当に大変な働きかけが必要なんだろうなというふうに思っております。 具体的な行動は、またこれは農水省も一生懸命取り組んでおりますので、相談をしながらやってほしいなというふうに思います。
我が地元は、コチョウランやら電照菊、あるいは鉢物、花卉生産日本一の地域でございまして、そういう意味で、国際園芸博覧会、いわゆる花博を誘致したいという機運が高まってまいりました。
そしてまた、第二京阪道路と近畿道のジャンクション、そこから西に向かいますと、北側には花博が行われた鶴見緑地公園というのが今存在いたしております。そこは大阪の環境の一つのシンボルというようなところがありまして、そういう意味では、周辺住民は、こうした道路につきましても環境に十分配慮していただきたい、こういう御要望があるところも事実でございます。
さらには、一昨年、浜名湖花博というものをやりまして、このフラワーツーリズムというものを盛んに今行っているんですが、そういう関係でも今、大分観光客が増えているということで、やはり何らかの地域を生かした特色を出すということがこれからのやはり観光産業に大きなポイントだと思っておりますので、そういう点でも、この基本法をしっかり成立させて、地域の特色を生かして振興することが大事だと思っております。
日本に、UNEPの機関が琵琶湖と大阪花博の跡地にありますけれども、私たちの先人の方々が苦労してこの日本の地に持ってきていただいた施設であります。
時間がないので、中山間地域の観光振興、そして電線類等の地中化の問題についてはきょうは質問いたしませんが、実は、私の地元で浜名湖花博、しずおか国際園芸博覧会というのが四月八日から十月十一日までございます。これは石原国土交通大臣も承認している全国都市緑化フェアというものでございまして、さらなる御支援をお願いいたしまして、私の質問とさせていただきます。 きょうはどうもありがとうございました。
そしてまた、地元の住民の思いとしましてはどういうものがあるかといいますと、ここは、花博をやった、今は鶴見緑地公園というふうになっておりますけれども、会場に隣接をするわけでございます。鶴見緑地公園というのは、さまざまな環境教育の拠点としても、何しろ緑豊かな地域でございまして、そういうものとしても市民に親しまれている地域でございます。
三百五億もお金を出しているのならば、国連の機構も分けて、国連大学みたいに教室も何もないのに大学の事務局だけ置いているなんてばかばかしい話ですし、それから、私は大阪の花博のときに国連の環境機構を持ってこいと提案しまして、これは成功しました。ですから、二分して、湖沼関係は滋賀県にいきました。大阪の花博の後には、環境問題の国連の水の機構があります。
大体、筑波博、大阪の花博、そしてあと沖縄の海洋博にしても、ほぼ三年前ぐらいに閣議の了解というのをしております。これがないと全体の関係するような基盤整備というものができないというふうに伺っておるわけですけれども、これはどうでしょうか、早々に閣議の了解を得るという見込みはあるんでしょうか。
それから、貝原兵庫県知事が、この前淡路島で花博というのをやりましたが、そういう一つの流れの中から、一定の役割を終えた遊休地にもう一回森をつくって、その土地をよみがえらせるという自然循環の発想でそういうことをやっていく必要があるんではないか。
あれから五年半、神戸を初めとして、県民が苦しみや悲しみを乗り越えて、美しい六甲山を仰ぎ見ながら、港も町もようやく復旧して、淡路島ではいわゆる花博、ジャパンフローラ二〇〇〇を成功させるなど、今や未来に向けて力強く歩み始めているところであります。 ここに改めて、今日までの政府及び国民の皆様方の御心配や御高配に心から御礼を申し上げる次第であります。
過去行われました大阪万博においては、御承知のように黒字が出て、これが基金として残っておりますし、また花博においても同様に百億の基金が黒字として計上されている。
花博終了後、これは一九九〇年十二月から一九九一年六月の間でございますけれども、当時の西田政府代表が、参加各国に対する謝意表明ということで各国を訪問しております。延べで十六カ国、それから四つの国際機関を訪問して謝意表明を行っております。
私も、自由民主党のフラワー議員連盟の幹部として、こういう問題について深い研究心を持っておるのですけれども、昨年も、中国の花博にも行きました。
それから十年、私は、この花博というイベントがその後どのような効果を我が日本社会に及ぼし、また人々の心の中に何か芽生えさせるものがあったのか、なかったのか。そして、諸外国との関係でどういう変化があったのか。そういう花博効果という点において、幾つかふだん気にしておりますことをお聞き申し上げたい、そのように思います。
かつて大阪の花博でもすばらしい知恵を出されて、十万円記念コインなんというので財源を確保なさったというふうにお聞きしたことがあるのでございますが、財源補充で愛知万博の成功に向けてぜひいい知恵をお出しいただきますよう、決意のほどをお伺いしたいなと思っております。
○国務大臣(中山正暉君) ちょうど私は大阪花博のときに自民党の国民運動本部長をやっておりましたものですから、中曽根総理大臣が花と緑の運動というのをやられていて、そのときに大阪市制百周年で国内博として花の博覧会をやりたいと、こう市長がおっしゃったので、私はそのときに、もう一回どうだ、一遍国際博で手を挙げてみたらどうかということを言ったのが偶然当たりまして、いろんなことがありました。