2020-06-03 第201回国会 参議院 国際経済・外交に関する調査会 第4号
こういう、要するに雇用のためにはいろいろやるよという、ああ、芋も作っていますね、芋畑もありますね。こういう、これがやっぱり日本の造船業の一つの社会的価値だと私は思っております。 ということで、この三方よしというのはよく言われますけれども、日本の宝であります。
こういう、要するに雇用のためにはいろいろやるよという、ああ、芋も作っていますね、芋畑もありますね。こういう、これがやっぱり日本の造船業の一つの社会的価値だと私は思っております。 ということで、この三方よしというのはよく言われますけれども、日本の宝であります。
そして、この国会議事堂の中も芋畑になっていた時代があるのだということを学校の教育の場でもやはり教える必要があるでしょうし、この機会に、食の安全保障も考えながら生産基盤もしっかり守り、そして、若い者たちが、先生おっしゃるように、地域で営農活動をすることに夢を失わないように、へたり込むことがないように、そのヨーロッパとの比較も参考にしながら、この農業政策の立案に努めてまいりたいと考えております。
そして、今の現状であっても四〇%というのは、緊急時、例えば輸入が途絶えたようなときには、国民一人二千キロカロリーを確保する計画というのは、米じゃなくて田んぼが芋畑になった場合のカロリー計算でされておりますので、その点も含めて、もう一度自給率について伺いまして、ちょっと時間ですので、最後の質問といたします。
そして、今の日本の人口に対して農地が非常に少なくなってしまったので、国民全員を飢えさせないようにするには、田んぼは芋畑になりますという計算なんですよね。それに驚きました。
私は、予算委員会で、国会議事堂の前が芋畑の昭和二十一年の写真を見てもらって、総理に質問しました。 農業というのは、この国にとって、食料が不足になったら本当に国民は困るんだ。その現実はたった七十年前にある。
日本にとって、日本の歴史が始まってから今まで、食料不足じゃないなんというのはほんの短い期間しかなく、農業で食料をつくるということによって日本はずっと発展してきた、そして、農業をしっかりとおさめる者が政治を治めていた、このことをきちんと押さえなきゃいけないということで、国会の前の芋畑を見せました。
国会議事堂の前が芋畑になっているんです。その当時は食糧難で、日本の空き地という空き地が全て芋だったり、そして野菜であったり、とにかく食料の確保ということで大変な思いを日本がした時代でありました。 私も、もちろん戦後生まれですから、食糧難の時代はわかりません。そしてまた、さらに、今の国会議員の先生方ほとんどが知らないという状況だと思っております。
いずれにしても、この前、私が、国会で芋畑があるというような状況の写真を見せました。基本的には、国会議員全員が農業というのは大切だという認識を持ちながら、その上で国益を考えて、ぜひTPP交渉も進めていただきたいと思います。 質疑時間が終わりました。ありがとうございました。
さらには、環境保全という意味では、これから世界の人口が爆発する中、この前この委員会でもお見せしました、国会議事堂の前が芋畑になっているという状況、食糧難というのは、しっかりと将来に備えて、食料不足のないようにしなければならない。そういう意味の中で、ぜひ農水委員会でもその審議を深めていきたい、このように思っております。
○小泉大臣政務官 村岡先生からいただいたお言葉をかりれば、私は食糧難を知らない時代を生きたわけですけれども、先ほどの国会前の芋畑の写真を見せていただいて、こういうのは初めて見たので、大変新鮮な思いがしました。 今もう一度、食糧難とは関係なく、国会の敷地内に畑があってもいいんじゃないかなとも思いますけれども、まさにこのTPPの交渉は国民の財産を、食料も含めて守らなければいけない。
きょうは資料をお渡ししたんですけれども、「あのころ 国会議事堂前も芋畑 戦後の食糧難」ということで、一九四六年、昭和二十一年六月十八日、終戦直後ですから、空き地という空き地は全部農地として活用しようということで、全国で農地をつくっていきました。御多分に漏れず、この国会議事堂の前でも、農地で、芋畑をつくっていた。
つまり、米は食べられると思っているのに、いざとなったら水田は芋畑に変わってしまうんですかというふうに考えまして、非常にショックだったんですけれども。 これはやはり、戦後六十年以上たって、経済大国と言われながら、輸入がストップしたらたちまちこの状態というのは国家として非常に問題があると思うんですけれども、こういった実態を大臣はどのようにお考えでいらっしゃいますか。
自給力というのは、非常時にどれだけ自給力があるか、例えばゴルフ場をつぶして芋畑にするとか、そういう話があるかと思いますが、それは大変不確かなもので、どこまでの自給率を換算できるかというと、非常に難しい。そう考えると、やはりカロリーベースで考えていくべきだ、そう考えております。
そのときは、ゴルフ場を耕して芋畑にしなさいとか、なるべく生産性の高い作目に変えなさいとか、あるいは流通も配給制度に準じるような形で規制しますよという項目が書かれていて、備蓄の放出というのは一番危機レベルの高いレベル2には入っていないんですね。
それで、そのゴルフ場を全部ストップして芋畑にかえるというわけ。そして、芋を生産して国民に食べてもらう食糧にするというのは、この発想は戦前の発想ですよ。何とまあおくれている発想かなと僕は思いましたけれども。我々はゴルフ大好きですから絶対反対でっせ。ゴルフ場をつぶすの絶対反対。命をかけて私反対しますよ、そんなの。
例えば、戦前におきましてもゴルフ場は全部芋畑に変わりました。今、日本じゅうのゴルフ場は十五万ヘクタールぐらいだと思いますけれども、これを仮に芋畑にすれば何百万トンもの生産が可能である。こういうことからいえば、不測の事態に対応する施策は出てくると思うわけであります。
○谷本巍君 例えば、葉たばこを生産しているところを芋畑にしていくとか、花を生産しているところも芋畑にしていくとかいうようなこと等をやっていけば、基本計画では一千百五十キロカロリーというのが一千九百から二千キロカロリーの供給力が出てくるというふうに言っているんです。これは、私は机の上の計算だと思いますよ。
私は戦時中の男でございますから、ゴルフ場を掘りくり返して芋畑をつくったことがあるのですよ。日本はゴルフ場が山ほどあるのですね、今。恐らく二〇五〇年には、今のゴルフ場を掘りくり返して芋畑をつくらなければならぬという時代が来ないとも限らない。
高台の上で雑木林と芋畑があるぐらいでございますから。五百メートル延ばして五十五年に三千メートル滑走路をつくった。今やっと広島空港とか仙台空港あたりが二千五百メートルを三千メートルに延ばすということでいろいろ努力しておられますが、五十五年に既に三千メートル。ジャンボ機。 ところが問題は、これは昔から霧空港と言われておりまして、よく調べてみましたら地元では霧ケ峰と言うんですね。
芋畑でありました。カズラがあります。カズラと芋はヤギの、あるいは牛の飼料になる。芋はもちろんサツマでありますから、サツマを食べていました。これをブルドーザーでどんどん引きならす。最初は、私見ておるからようわかる、両方から機関銃の威嚇射撃が始まる。ところが、それがやんでしまった。
そうなると食糧不足になっても、ゴルフ場の芝を引っぱがして芋畑をやれといったって農作業もできない。そういうことで、もう昔に比べて都市のサラリーマンというのは極めて脆弱だ、この食糧不足に耐久力がないと考えられるんですけれども、その辺はいかがですか。
これは私、目の前で見ましたが、芋畑をアメリカのブルドーザーで押しつぶした。そして白いはらわたを出した芋を拾っていたわけだ。ところが、途中ぎゃーっと言って御婦人が倒れたのです。何かというとお墓をブルドーザーで壊したのです。お墓の中には厨子がめ、この厨子がめの中に沖縄の風習である洗骨した遺骨が埋められている。これをやったのですね。そうしたら頭蓋骨から手の骨、足の骨、全部出て、これに触れたのですよ。