2018-06-05 第196回国会 参議院 外交防衛委員会 第18号
また、河野大臣には、ブラジルが公私共の初訪問と伺っておりますが、我が国のブラジル移住の歴史は一九〇八年六月、笠戸丸によって七百八十一名の日本人が移住したのが始まりで、戦前には約十九万人、戦後も五万人の方がサンパウロ州を中心に入植されましたが、以来、百十年に及ぶ歳月を経まして、その間には言葉では言い表せないほどの艱難辛苦の果てに、海外最大の日本人社会の構築を見たことは誰もが知るところでございます。
また、河野大臣には、ブラジルが公私共の初訪問と伺っておりますが、我が国のブラジル移住の歴史は一九〇八年六月、笠戸丸によって七百八十一名の日本人が移住したのが始まりで、戦前には約十九万人、戦後も五万人の方がサンパウロ州を中心に入植されましたが、以来、百十年に及ぶ歳月を経まして、その間には言葉では言い表せないほどの艱難辛苦の果てに、海外最大の日本人社会の構築を見たことは誰もが知るところでございます。
この法案、国会に提出され、成就するためには、艱難辛苦のハードルがあるとは思っております。しかし、これを乗り越えなきゃならないと思うんです。国民のために、あるいは世界人類のために、もっと言えば、この地球から危険を除去する、そして美しい地球を後世の人たちに渡すためにであります。
「疾風に勁草を知る」と中国の古書にありますが、艱難に耐え、長島村長は、前例のない全村避難を実行し、村民が避難先で希望を失わないための明確な目標を掲げ、村民を鼓舞し続け、嵐の中でも大地にしっかりと根づく強い草のような底知れぬ強さを発揮したのであります。
改めて思いますことは、日本という国は、一年を通して、暮らしの中で、国内それぞれの地方では、時として荒れ狂う厳しい自然環境の中にあって、生きるため、生活の糧を守るために、その艱難辛苦を乗り越えんとして懸命な努力を尽くすという歴史をつづってこられました。
それのトップ経営者を務めたということで、恐らくこの厳しい資本市場の中で、いわゆる経営者の在り方という、大変な艱難辛苦を乗り越えられたと思うんですけど、そういった気持ちで恐らくやっぱり一つの新しい、決算期は、四月一日、恐らく社員の皆さんへ、幹部か一部か分かりませんが、訓示とか何らかの形で所信を表明されると思います。
北方四島から自力で脱出した者も、また強制送還された者も、それまで築き上げてきた生活の基盤や財産の一切を島々に残し、裸同然で島を追い出され、国じゅうが戦後の混乱が続く中、親族や縁故などを頼りに、定住の地と職を求めながら、艱難の道をたどった次第であります。 元島民の多くは、島で漁業関係を営んだこともあり、また、すぐにでも島に戻れることを信じ、根室周辺に職と生活の場を求めたものであります。
また、大臣のお地元の三・一一、二年前のあの東日本大震災も、ちょうどそのとき地元におられたかどうかわかりませんが、乗り切られ、また、ことしの夏の参議院選挙、七・二一も見事クリアをされ、数多くの艱難辛苦を乗り越えてこられているわけであります。
その過程の中で、さまざまな艱難辛苦があったというふうに思います。これは一言では言えないと思います。 そういう過程の中を経ましたけれども、今、同じ日本として、日本人として、しっかりきずなができているということの、このきずなというものをしっかりと大切にしていきたいと考えております。
この始末に困る人ならでは、艱難をともにして国家の大業はなし得られぬなり」の言葉のごとく、国家国民のために希望の花を開花させるべく、御自身も所信表明で使われた言葉、正心誠意、命の限りを尽くして取り組んでいかれることを心から期待し、民主党を代表しての質問といたします。 ありがとうございました。(拍手) 〔内閣総理大臣野田佳彦君登壇〕
まず最初に、原子力災害により、避難等多くの方々にさまざまな艱難辛苦をおかけすることになったのを、原子力関係者の一人としてまことに申しわけないというふうに考えております。 私自身は、原子力工学を専攻した学生時代を含めまして、一貫して原子力にかかわってまいりました。大学を出た後は、電力会社で原子力発電の仕事をしてまいりました。
それを受け入れて総額裁量制にした我々も反省しなきゃいけないという意味で私はあえて、こういう実態になっている中でありながら、でも文科省は、工夫に工夫を重ねて現場の教職員の給与を何とかして安定的に確保しようと艱難辛苦をして、あなた方財務省と闘っていると。 私の指摘に間違いはありますか、大臣。
○猪口邦子君 I字案につきましては配置の計画のようなもの、これもかなりV字案についても簡単なものでございますが、このようなものも用意されていないということで、そのようにかなり急ごしらえである案、これがあたかも現実的な案であるような印象を与えながら、我々自民党政府の下で本当に艱難辛苦の果てに合意をしましたそのV字案、これとあたかも対等に比較考量するようなそういう構えというのは問題ではないかと私は感じております
そういうふうに、最もある意味で艱難辛苦の末にすばらしい姿を築いた、もちろん負債がたくさんあるということはまた別に議論をしなければなりませんが、この北海道農業のある意味理想的に近いものを目指して努力をしてこられた方々が間違っても不利益が被ることがないようにという問題意識は中核に持っておるつもりでございます。
会社をつくるコツというのが、自分で一つ苦労して、いろいろな苦労があるとよく聞きますよ、何度も何度も艱難辛苦を乗り越えてきたと。でも、一つやり遂げると二つ目は楽ですよと。 この間会ったある経営者は、株式公開、マザーズかどこか忘れましたけれども、最短記録をつくった。つくってから三百六十何日間で株式公開をしましたと。
「志の道」という本で、小野晋也さんという愛媛の人が出している本なんですが、生命も名声も要らぬ、官位も要らぬという人間は始末に困るんだ、この始末に困る人間でなければ艱難をともにして国家の大問題を処理することはできないと言っているわけですね。
そして、これなしに、わずか、先ほどの与党案の御説明ありましたけれども、十万円の旅行券を今更配ることでこの問題の最終決着を付けようというところに、私は関係者の当時の艱難辛苦と戦後の差別、そして運動を考えると、これはとても納得のできない内容ではないかと、このように思っております。
○木村(義)委員 今回の戦後未処理問題、大変長い間、さまざまな方々の艱難辛苦、御労苦の末、今日まで至ったわけでございます。そこで、今回の慰藉事業をもちまして戦後の処理問題はすべて終了し、今後新たな財政措置は全くない、このようなお考えでいるのかどうか、御提案者のお気持ちをお聞かせいただければ、このように思います。
やはりさまざまな人生経験あるいは艱難辛苦、まさにそういう経験を経ることからそれに近づいていく、そういう必要条件ではないかなと思います。 私、個人的には、実は人格の陶冶という言葉が大変好きで、党内的には相当主張したんですが、しかし、人格の陶冶という言葉は少々古めかしい趣もありまして、より今の皆さんがわかっていただく平易な書き方で、向上発展とさせていただいたところでございます。
しかし、不良債権処理をやるときに大変な、もう艱難辛苦と言っていいようなぐらいの苦痛を企業は味わいました。リストラ、ひどいところでは自殺です。しかし、耐えに耐えてやっともってきた。
生まれてからずっと親の艱難辛苦を見ておりまして、しかも、暇もないので、子供のころから親らしい愛情に接しておりません。親と同じ苦労はもうする気もないということで、後継者がないので転廃業が物すごくふえておるということは、国でもよくわかっておっていただけると思うんですね。どの業界も会員が激減状況なんですね。これは困ったことだと思うんです。