1977-12-21 第84回国会 参議院 議院運営委員会 第2号
法務政務次官 青木 正久君 厚生政務次官 戸井田三郎君 郵政政務次官 宮崎 茂一君 事務局側 事 務 総 長 植木 正張君 事 務 次 長 前川 清君 議 事 部 長 鈴木 源三君 委 員 部 長 川上 路夫君 記 録 部 長 江上七夫介君 警 務 部 長 有吉 良介君
法務政務次官 青木 正久君 厚生政務次官 戸井田三郎君 郵政政務次官 宮崎 茂一君 事務局側 事 務 総 長 植木 正張君 事 務 次 長 前川 清君 議 事 部 長 鈴木 源三君 委 員 部 長 川上 路夫君 記 録 部 長 江上七夫介君 警 務 部 長 有吉 良介君
議 長 安井 謙君 副 議 長 加瀬 完君 ————— 事務局側 事 務 総 長 植木 正張君 事 務 次 長 前川 清君 議 事 部 長 鈴木 源三君 委 員 部 長 川上 路夫君 記 録 部 長 江上七夫介君 警 務 部 長 有吉 良介君
議 長 安井 謙君 副 議 長 加瀬 完君 ————— 事務局側 事 務 総 長 植木 正張君 事 務 総 長 前川 清君 議 事 部 長 鈴木 源三君 委 員 部 長 川上 路夫君 記 録 部 長 江上七夫介君 警 務 部 長 有吉 良介君
議 長 安井 謙君 副 議 長 加瀬 完君 ————— 事務局側 事 務 総 長 植木 正張君 事 務 次 長 前川 清君 議 事 部 長 鈴木 源三君 委 員 部 長 川上 路夫君 記 録 部 長 江上七夫介君 警 務 部 長 有吉 良介君
議 長 安井 謙君 副 議 長 加瀬 完君 ————— 事務局側 事 務 総 長 植木 正張君 事 務 次 長 前川 清君 議 事 部 長 鈴木 源三君 委 員 部 長 川上 路夫君 記 録 部 長 江上七夫介君 警 務 部 長 有吉 良介君
議 長 安井 謙君 副 議 長 加瀬 完君 ————— 事務局側 事 務 総 長 植木 正張君 事 務 次 長 前川 清君 議 事 部 長 鈴木 源三君 委 員 部 長 川上 路夫君 記 録 部 長 江上七夫介君 警 務 部 長 有吉 良介君
議 長 安井 謙君 副 議 長 加瀬 完君 ————— 事務局側 事 務 総 長 植木 正張君 事 務 次 長 前川 清君 議 事 部 長 鈴木 源三君 委 員 部 長 川上 路夫君 記 録 部 長 江上七夫介君 警 務 部 長 有吉 良介君
議 長 安井 謙君 副 議 長 加瀬 完君 ————— 事務局側 事 務 総 長 植木 正張君 事 務 次 長 前川 清君 議 事 部 長 鈴木 源三君 委 員 部 長 川上 路夫君 記 録 部 長 江上七夫介君 警 務 部 長 有吉 良介君
議 長 安井 謙君 副 議 長 加瀬 完君 ————— 事務局側 事 務 総 長 植木 正張君 事 務 次 長 前川 清君 議 事 部 長 鈴木 源三君 委 員 部 長 川上 路夫君 記 録 部 長 江上七夫介君 警 務 部 長 有吉 良介君
運輸政務次官 石井 一君 郵政政務次官 綿貫 民輔君 労働政務次官 越智 伊平君 事務局側 事 務 総 長 植木 正張君 事 務 次 長 前川 清君 議 事 部 長 鈴木 源三君 委 員 部 長 川上 路夫君 記 録 部 長 江上七夫介君 警 務 部 長 有吉 良介君
大島 友治君 厚生政務次官 石本 茂君 労働政務次官 越智 伊平君 事務局側 事 務 総 長 植木 正張君 事 務 次 長 前川 清君 議 事 部 長 鈴木 源三君 委 員 部 長 川上 路夫君 記 録 部 長 江上七夫介君 警 務 部 長 有吉 良介君
議 長 安井 謙君 副 議 長 加瀬 完君 ————— 事務局側 事 務 総 長 植木 正張君 事 務 次 長 前川 清君 議 事 部 長 鈴木 源三君 委 員 部 長 川上 路夫君 記 録 部 長 江上七夫介君 警 務 部 長 有吉 良介君
議 長 安井 謙君 副 議 長 加瀬 完君 ————— 事務局側 事 務 総 長 植木 正張君 事 務 次 長 前川 清君 議 事 部 長 鈴木 源三君 委 員 部 長 川上 路夫君 記 録 部 長 江上七夫介君 警 務 部 長 有吉 良介君
○参事(有吉良介君) 実は、現在、技術職員と申しますか、それは二百五名おります。技術職員の定数が百五十三でございますので行(二)の定数十三を加えましても百六十六という数字になりまして、その足りない分は一般の行(一)のあれを使っておるということでございます。
○参事(有吉良介君) 八名の差を埋めなければなりませんけれども、実は記録は現在欠員を抱えておる状況でございますし、一方、養成所の養成の能力と申しますか、これがありますので、大体まあ一年に四人から五人程度しか採用できません。そういうことでありますので、一度に数をふやす必要はないわけでございまして、まあ八人のうち四名までいま埋めておりますので、来年度以降逐次残りの四名は埋める計画でおります。
それから小野良介氏、これが学校法人松柏学院の常務理事でございます。それから和田完二氏、富国石油瓦斯という会社の代表取締役会長、それから藤原弘道氏、これは学校法人東山学園の理事長でございます。それから西内雅氏、これは元皇学館大学の教授でございます。それから源田実氏、当時参議院議員でございます。それから岩畔豪雄氏、この方は無職ということになっております。
それで、寄付者といたしましては、これは大口の寄付者が、学校法人東山学園、それから理事長でございます荒木俊馬氏自身の御寄付、小野良介氏、和田完二氏、江本祐治氏、水野承三氏、その他全体で五十五人ばかりの方の寄付でございます。別に外国からというようなことは出ておりません。
萩原 直三君 最高裁判所長官代理者 最高裁判所事務 総長 寺田 治郎君 最高裁判所事務 総局総務局長 田宮 重男君 最高裁判所事務 総局経理局長 大内 恒夫君 事務局側 事 務 総 長 岸田 實君 人事課長事務取 扱 有吉 良介君
○参事(有吉良介君) 衆参の衛視の数が今日六十八名違っております。新国会が発足いたしましたときに二十二名の差でございましたが、その後昭和三十五年に安保国会がございましたが、このとき衆議院が二十名ふえましたのに本院は十五名、ここで五名の差が生じております。
私どもの秘書が、当時の監査役をおやりになった武井良介さん、この人にお会いしていろいろお話伺ってまいったのですが、この方、こう言っておるのですね。監査書の一部が削除されたことは全く知らなかった、明らかな誤りがあれば改めなくてはならないが、そのときは、直接担当した者の了解を求めるべきである、こういうふうに当時の監事さんがおっしゃっているわけです。
三十八年度の監査報告——武井良介さんと河合寿人さん、大場金平さん、この三人が監査委員でまとめました監査報告、これによりましても、この用地の買収に相当問題があったということがはっきり指摘されておるわけですね。 そこでお伺いしたいのですが、このときの監査報告の内容につきまして質疑が当委員会で行なわれた。
イスラエル当局が旅券にいうナンバダイスケを取り調べましたところ、本人はナンバダイスケであるとしばらくは言い張り、また、途中では北村良介と名乗ったわけでありますが、その後、本籍熊本市楠四丁目十四ノ二の岡本公三、昭和二十二年十二月七日生まれ、二十四歳と自供があったわけでありまして、さっそく、そういう連絡を受けるとともに、ICPOルートを通じまして被疑者の写真を入手いたしまして、いろいろ国内における当該人物
それから、渡航申請については、四十六年の十二月九日に鹿児島県庁で行ないまして、十三日に旅券が発給され、そして、二月の二十七日に特急「なは」で鹿児島を立って、途中で、京都の友人の北村良介というのに会いまして、そこで一泊して、翌日上京して、都内で一泊し、そして翌二十九日羽田を出発した。
なお、参考人として出席を求める予定でありました日本住宅公団の監事武井良介君、監事八嶋三郎君、監事川合寿人君、及び首都高速道路公団の監事塩谷隆雄君の四君は、出張中で、本日出席できませんので、御報告しておきます。 この際、一言ごあいさつ申し上げます。参考人各位には、御多用中にもかかわらず、本委員会に御出席いただき、厚く御礼申し上げます。 それでは、これより質疑に入ります。