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14件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1973-06-12 第71回国会 衆議院 社会労働委員会 第26号

多賀谷委員 その法律上は、ニューヨーク港ならば、具体的に書いてあるのは、水上運送事業者とこの船舶荷役業者と明記されておるけれども、団体交渉の当事者は、事実上は船主協会であるわけです。ですから、その日本の郵船は、アメリカへ行けば、アメリカ港湾労働者交渉相手になるわけですよ。

多賀谷真稔

1973-06-12 第71回国会 衆議院 社会労働委員会 第26号

それからイギリスでは外航船主それから近海航路使用者船舶荷役下請者、これはいまの港湾業者ですが、等々でありますね。それからニューヨーク港も水上運送事業者船舶荷役業者。ですから、一つは水上運送事業者が出てきておる。それからフランスでもそうですね、もう言いませんけれども。オーストラリアでもそうですね。

多賀谷真稔

1960-06-09 第34回国会 参議院 社会労働委員会 第36号

釧路市においては、市消防署望楼勤務者が、釧路川の流木流れを見て、異常引潮十勝沖地震経験から津波によるものと判断し、四時四十分ごろサイレンを吹き鳴らして、市民に予告しておりますが、四時五十分ごろの第三波による最高三メートル七十センチの押し波で、漁船はしけ船舶荷役設備木材流失、その他に約一億二千万円の被害を招き、釧路港は釧路川の泥土流入のため航路が埋まり、これが復旧には相当多額の経費を要するものと

井川伊平

1960-06-09 第34回国会 参議院 農林水産委員会 第34号

釧路市におきましては、市消防署望楼勤務者釧路川の流木流れを見て、異常な引き潮に、十勝沖地震経験から見て津波によるものと判断し、四時四十分ころ、サイレンを吹き鳴らし、そうして四時五十分の第三波による最高三メートル七十の押し波で、漁船約三千七百万円、はしけその他約二千百万円、船舶荷役設備四百七十万円、木材流失一億一千百万円余、その他約一億二千万円の被害を引き起こし、釧路港は釧路川の泥砂が流入し、

岡村文四郎

1960-02-16 第34回国会 参議院 運輸委員会 第3号

それは、今、日本重要港湾における船舶荷役について船主協会並びに労働組合荷役業者との間に紛争が解決しない状態で、今私の知らせを受けた範囲内によりますと、非常にたくさんの船が荷役をストップしておるのであります。けさの午前一時の状況を申し上げますと、横浜は二十四隻中十六隻、名古屋は十隻中九隻、大阪は三十隻中二隻、神戸は四十隻中十隻、東京も約九隻、これが荷役をストップされておる。

相澤重明

1952-07-03 第13回国会 衆議院 労働委員会 第27号

東京回漕協会常任理事松岡鴻君、東京労働組合書記長久恒定雄君、京浜船舶荷役連合会書記長駒井誠治君、全港湾労働組合京浜港湾支部執行委員長森忠三君、全港湾労働組合中央執行委員長兼田富太郎君、日本運協会専務理事松村茂登記君、東京港湾局長高橋登一君、東京労働局長林武一君、以上八名の方々でありますが、さよう決定するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

島田末信

1952-06-18 第13回国会 衆議院 労働委員会 第22号

しかし戦後、昭和二十一年九月に前述の統制令が廃止され、さらに二十二年から三年にかけて、戦時中の港運会社船舶荷役会社に対し閉鎖機関命令が下されましたので、これを契機として、零細な港湾運送業者が再び進出することとなり、戦時中の十倍を越える業者濫立状態を示し、またこの間にあつて、総司令部港湾労働者戦線統一に関する勧告、コンフアレンス・メモの指示、朝鮮動乱による高度な荷役増強の要請、港湾運送事業法

天野公義

1952-02-20 第13回国会 衆議院 労働委員会 第4号

島田委員長 次にお諮りいたしますが、港湾労働に関する小委員会におきまして港湾労働に関する調査を進めまする必要上、横浜労働者代表として全港湾京浜港湾支部執行委員長森忠三君、横浜港湾運輸労働組合主事外山光男君、横浜港湾荷役労務連合会会長植木幸三郎君、横浜港湾荷役労務連合会常任幹事平田康好君、経営者代表として京浜船舶荷役連合会理事長駒井誠治君、横浜回漕業会代表森勝衛君、横浜エゼント会代表石塚喜智次郎

島田末信

1951-08-15 第10回国会 参議院 運輸委員会 閉会後第1号

従つてその当時は相当な財源も組織力も持つていた港運会社が対抗しておりました関係上、相当組合使用者側とがおよそ対等の立場において話をしておつたのでありますが、昭和二十年以後のメモランダムによる京浜港を初め六大港港運会社或いは船舶荷役会社解体指令によりまして戦時中約百二十社程度の会社が戦後におきましてはその十倍でありますところの約千五百社に急増いたしまして、使用者側組織が非常に細かく解体されてしまつたのであります

四方田耕三

1951-05-14 第10回国会 衆議院 運輸委員会 第21号

さらに二十三年七月には大阪神戸名古屋、関門のいわゆる六大港における港運会社並びに船舶荷役会社に対して、いずれも閉鎖機関命令が下つたわけであります。そうしてこの結果、港運会社に集約せられておりましたところのはしけ荷役機械労働者その他のものが、すべての元の出資者のところに強制的に配分せられて行つたわけであります。

四方田耕三

1950-04-24 第7回国会 衆議院 労働委員会 第15号

もつともこれは船舶荷役関係の船が入つたときでありますが、そういう関係求人開拓の効果が徐々に現われております。また職業の安定上最も望ましい状態である常用就職でありますが、私ども参りましたときには二百に達しない、それが三月の常用就職においては三百八十にも達するという点で、私どもは職員一同とともに大いに努力しているわけであります。

梅津好二郎

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