1955-07-29 第22回国会 参議院 内閣委員会 第37号
これは船津口の登山口の道路のすぐわきの方から射撃をいたしまして、四、五里こっちの方の、つまり富士山の逆の方へ撃つのであります。私ども船津口の登山道路を相当上って参りましたところが、米軍の歩哨が立っておりまして阻止されました。いろいろ交渉いたしまして、ついに大砲の砲座の所まで行って見たのであります。大砲は一砲座に、一つの場所に六門ずつでかい大砲がある。それが三カ所に分れております。
これは船津口の登山口の道路のすぐわきの方から射撃をいたしまして、四、五里こっちの方の、つまり富士山の逆の方へ撃つのであります。私ども船津口の登山道路を相当上って参りましたところが、米軍の歩哨が立っておりまして阻止されました。いろいろ交渉いたしまして、ついに大砲の砲座の所まで行って見たのであります。大砲は一砲座に、一つの場所に六門ずつでかい大砲がある。それが三カ所に分れております。
○堀眞琴君 私は向うへ参りまして聞いたところによりますと、最初砲座は船津口のバスが運行する道路の方に予定されておった。そこで堀内君やあるいは知事がそれでは困るというので、たまたまそこへ返還運動が起ってきた、そこでこれに便乗した。幸い六項目によって船津口の道路が自由に使用されることになり、砲座は鳴沢から林道に入った所に移った。こういうことなんですね。
○江崎委員 福島長官にまたお尋ねするわけですが、先般私は忍草部落の問題について、またB地区の問題のように紛糾を起さないよう特に御努力を願いたいということで、あなたに特にお願いをし、またあなたもやはりこれは昭和二十九年八月三十一日の線で船津口のバスの問題をあわせ解決するという建前であったのが、一方の問題がたまたまB地区の解決ということで解決をした。
私も昨日現地調査をしたのでありますが、精進口登山道は立ち入り禁止、船津口登山道のバス禁止などの処置がとられ、反対を叫び、富士山を守ろうとする地元住民約二百名と警官三百名が対峙し、その中で富士山頂よりも高く、十五キロメートルのかなたに実弾が飛ぶ射撃演習が何ゆえに必要であるのか、また、さきに施設特別委員会で一応決定せられた小牧、松崎、木更津、立川、横田の飛行場の拡張は何ゆえに必要であるか、具体的に一つ一
船津林道の方は船津口の方は林道でありますが、正規の条件に加えるよう努力したのでありますが、これはアメリカ軍の承服するところとならずに、正規の条件にはなっておらない。