1949-09-13 第5回国会 衆議院 水産委員会 第28号
青森船團青森支部 水産常任委員会 水産用資材補給金打切りと聞く、漁業壊滅し、業者の死活問題につき絶対反対す、あくまでも御盡力を乞う。 青森全漁民大会 以上であります。 ―――――――――――――
青森船團青森支部 水産常任委員会 水産用資材補給金打切りと聞く、漁業壊滅し、業者の死活問題につき絶対反対す、あくまでも御盡力を乞う。 青森全漁民大会 以上であります。 ―――――――――――――
更に捕鯨型の船團が北上中であるという情報に接しまして警戒をいたしておりましたが、この船團と覚しきものが五隻、捕鯨船型五隻、豊後水道の南方に現われたのであります。九月四日午後三時でございます。
更に同樣の捕鯨船型の集團密航が北上中であるという情報によつて警戒いたしておりましたところ、豊後水道において五隻の捕鯨船型の密航船團が北上中を哨戒視察をいたしまして、直ちに港内船の「きさらぎ」をして追跡をせしめました。
青森縣魚類積取船團より電報であります。「水産用資材補給金の打切りは、水産業はもちろん、運搬船としても重大なる打撃を受け、水産物と陸揚物との値幅少き折柄操業不能となり、業者の死活問題である。打切り絶対反対す。あくまで御盡力を願う。青森縣魚類積取船團」以上であります。
○岡元義人君 誠に飛入りで申訳ありませんが、実は前の議員派遣の件で運営委員会で予算上の処置が問題になつたのですが、そのときのソ連からの引揚関係がはつきりしておりませんので、とにかく第一船團の予算を出したのですが、今度第二船団が入つているので、この点だけでも予算の御諒承をお願いしたいと思います。お諮り願いたいと思います。
○証人(阿部忠君) 輸送船團のときにばらばらに組まれまして、各隊必ずしも旧隊員相互のままで輸送されなかつた事実、尚私たちが僚友としてこういう司法関係に携つておる友人グループは一緒でありました。 それらの人々と話を合せて私が代表でそれを申述べました。
それは何であるかというと、過船二日間に亘つて非常に委員会は眞劍に、又國家としては相当の経費を使つて二十一名の証人の喚問もせられ、いわゆる細川共産党議員が提出したところの、あの三つの船團の引揚團体の中から十三名の、ナホトカから出発して舞鶴に來るまで十三名行方不明となり、三名は死亡したというような噂があるということを中心として、実はあの問題が提起された。
今のままでは殊に最前安本政務次官が杞憂せられたごとく、我が水産業界の、遠洋漁業としての捕鯨船團は相当莫大な補助を受けておるから、これは続けることができるかも知れませんが、殆んど漁獲の八五%を占めるところの我が沿岸漁業のごときは、恐らく金融の逼迫となり、金融の逼迫は当然漁船その他の必要な資材の逼迫となることは火を見るよりも明らかでありますので、私は本年末期に至るまでのうちに、大部分の者が破産に陥るであろうということを
さらに本地域は、近海航路に近く、好漁場に惠まれておりまして、漁船の航行すこぶる多く、既往の実績に徴しましても、当港がこれら船團の避難港として、常に利用せられておるのであります。
過般橋立丸捕鯨船團の壯途を、ここに御出席の各位と共に見送り、その席末を汚したのでありますが、あれらのごときは、正に戰爭を放棄した日本に取つて、のこされたる唯一の産業選士として、日本の実力、あらゆるものを國際場裡において如実にこれを表現して、そして日本の新らしき誕生が國際関係において認められる唯一の場だと私は思うのであります。
たまたまこの北氷洋に出て参りまするあの捕鯨船團を見送りまして、私は非常に感激に打たれたのであります。その感激の一切というものは、矢野委員が言われましたから、敢て重ねませんが、せめて私は、あの横浜の埠頭におけるあの景観さを大藏当局か、或いは安本当局が見ておつたならば、ということを私は当時深く肝に銘じた一人であります。
先般この捕鯨船團の一部を使つて、ペルシヤ湾に石油をとりにいつたのが新聞に出ておりましたが、今後は進んでああいうような手段をとることを関係方面に申出でて、そうしてわが國の船で石油を持つて帰るというようなことについて、政府がいろいろな立案をせられまして、連合國方面に御折衝になることが一番必要ではないのかと考えるのであります。この点に対しまする政府のお考えを承りたいと思います。
資金問題について具体的な御意見が出ましたが、全く同感でありますが、何故そういうような金融面の非常な打開することのむずかしいと思われるような隘路があるか、結局これはいかに根本的原因があるかというと、大体大蔵省、それから安本或いは復金等のそういう金融面の関係者の方方が、日常の生活において、水産業の資金を出しても一体魚はどうなるという問題、鯨が取れても、あの鯨だけでも十三億予算が今度要つて、而も七億捕鯨船團
この点は只今御了承になつておりまするように、漁区につきましても可なり制限を受けておるのでありますが、漸く許されまして漁区を越えまして南氷洋漁業の捕鯨の点は二船團の許可を受けておるのでありますが、その他の点は殆んど制約を受けてやつておるのであります。
ところが地区機帆船の方は、石炭船團委員会というものを設けまして、民主的な方法でやつております。しかしその運びまする数量は、大会社の十分の一にも足らない三万二千トン、こういう数字であります。ところが地区船團ということになりますると、この事業者團体法の上には、眞正面からぶつかるのではないかと心配するわけであります。ところが片方の大会社の方になりますると、ほとんど触れないだろう。こう言われております。
ここに三つの請願がまいつておりますが、これは皆請願の團体が違つておりますが、殊に石炭船團とか機帆船船主会とか、海運財團とか、その他地元の関係各町村というようなわけで三つ出ておりますが、趣きは皆同じであります。
加うるに中國より持帰りたるものあるいは南方諸地域より輸送船團をもつて持帰りたるその資材の集積はきわめて多くあつたのであります。これは当然終戰直後、わが國の生産活動が回復いたしません場合、もともとこれら軍事公債及び租税による調弁資材は、当然國民のインフレ対策としての生活資材及び生産資材に還元さるべきものであるとの信念をもつておりました。
この在伯同胞の間に終戰後臣道連盟とか日本人在郷軍人會と稱する結社ができ、これらの結社が日本は大勝利を博し近くブラジルにも進駐してくる、日本の船團が在伯邦人の歸國希望者を迎へに來るといつたような荒唐無稽な宣傳を盛んにやつたのであります。奥地におる日本人の中には一時田畑を賣つてサントスやリオデジヤネイロの港に押しかけた者が相當あつたということであります。