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17件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1949-07-22 第5回国会 参議院 議院運営委員会 閉会後第3号

岡元義人君 誠に飛入りで申訳ありませんが、実は前の議員派遣の件で運営委員会予算上の処置が問題になつたのですが、そのときのソ連からの引揚関係がはつきりしておりませんので、とにかく第一船團予算を出したのですが、今度第二船団が入つているので、この点だけでも予算の御諒承をお願いしたいと思います。お諮り願いたいと思います。

岡元義人

1949-03-29 第5回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第11号

それは何であるかというと、過船二日間に亘つて非常に委員会眞劍に、又國家としては相当の経費を使つて二十一名の証人の喚問もせられ、いわゆる細川共産党議員が提出したところの、あの三つ船團引揚團体の中から十三名の、ナホトカから出発して舞鶴に來るまで十三名行方不明となり、三名は死亡したというような噂があるということを中心として、実はあの問題が提起された。

矢野酉雄

1949-03-23 第5回国会 参議院 水産委員会 第2号

今のままでは殊に最前安本政務次官が杞憂せられたごとく、我が水産業界の、遠洋漁業としての捕鯨船團は相当莫大な補助を受けておるから、これは続けることができるかも知れませんが、殆んど漁獲の八五%を占めるところの我が沿岸漁業のごときは、恐らく金融逼迫となり、金融逼迫は当然漁船その他の必要な資材逼迫となることは火を見るよりも明らかでありますので、私は本年末期に至るまでのうちに、大部分の者が破産に陥るであろうということを

矢野酉雄

1948-11-22 第3回国会 参議院 水産委員会 第7号

過般橋立丸捕鯨船團壯途を、ここに御出席の各位と共に見送り、その席末を汚したのでありますが、あれらのごときは、正に戰爭を放棄した日本に取つて、のこされたる唯一産業選士として、日本の実力、あらゆるものを國際場裡において如実にこれを表現して、そして日本の新らしき誕生が國際関係において認められる唯一の場だと私は思うのであります。

矢野酉雄

1948-11-22 第3回国会 参議院 水産委員会 第7号

たまたまこの北氷洋に出て参りまするあの捕鯨船團を見送りまして、私は非常に感激に打たれたのであります。その感激の一切というものは、矢野委員が言われましたから、敢て重ねませんが、せめて私は、あの横浜の埠頭におけるあの景観さを大藏当局か、或いは安本当局が見ておつたならば、ということを私は当時深く肝に銘じた一人であります。

淺岡信夫

1948-11-18 第3回国会 衆議院 水産委員会 第7号

先般この捕鯨船團の一部を使つてペルシヤ湾石油をとりにいつたのが新聞に出ておりましたが、今後は進んでああいうような手段をとることを関係方面に申出でて、そうしてわが國の船で石油を持つて帰るというようなことについて、政府がいろいろな立案をせられまして、連合國方面に御折衝になることが一番必要ではないのかと考えるのであります。この点に対しまする政府のお考えを承りたいと思います。

馬越晃

1948-11-18 第3回国会 参議院 水産委員会 第5号

資金問題について具体的な御意見が出ましたが、全く同感でありますが、何故そういうような金融面の非常な打開することのむずかしいと思われるような隘路があるか、結局これはいかに根本的原因があるかというと、大体大蔵省、それから安本或いは復金等のそういう金融面関係者の方方が、日常の生活において、水産業の資金を出しても一体魚はどうなるという問題、鯨が取れても、あの鯨だけでも十三億予算が今度要つて、而も七億捕鯨船團

矢野酉雄

1948-06-26 第2回国会 衆議院 商業委員会公聴会 第1号

ところが地区機帆船の方は、石炭船團委員会というものを設けまして、民主的な方法でやつております。しかしその運びまする数量は、大会社の十分の一にも足らない三万二千トン、こういう数字であります。ところが地区船團ということになりますると、この事業者團体法の上には、眞正面からぶつかるのではないかと心配するわけであります。ところが片方の大会社の方になりますると、ほとんど触れないだろう。こう言われております。

立川繁

1948-05-06 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第19号

加うるに中國より持帰りたるものあるいは南方地域より輸送船團をもつて持帰りたるその資材の集積はきわめて多くあつたのであります。これは当然終戰直後、わが國の生産活動が回復いたしません場合、もともとこれら軍事公債及び租税による調弁資材は、当然國民インフレ対策としての生活資材及び生産資材に還元さるべきものであるとの信念をもつておりました。

亀井貫一郎

1947-09-22 第1回国会 衆議院 外務委員会 第8号

この在伯同胞の間に終戰後臣道連盟とか日本人在郷軍人會と稱する結社ができ、これらの結社日本は大勝利を博し近くブラジルにも進駐してくる、日本船團が在伯邦人歸國希望者を迎へに來るといつたような荒唐無稽な宣傳を盛んにやつたのであります。奥地におる日本人の中には一時田畑を賣つてサントスやリオデジヤネイロの港に押しかけた者が相當あつたということであります。

多賀安郎

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