2018-11-20 第197回国会 衆議院 本会議 第7号
特に、失踪技能実習生の聴取票については、我々法務委員会野党理事、オブザーバーは、現在、二千八百枚を一枚一枚、今どき、般若心経ではあるまいし、手書きで写している始末。こんな状況下で、与党の言うがままに、なぜ立法府が強引な法案審議を押しつけられなければならないのでしょうか。 法務委員会は、政府、ましてや与党の下請機関ではありません。
特に、失踪技能実習生の聴取票については、我々法務委員会野党理事、オブザーバーは、現在、二千八百枚を一枚一枚、今どき、般若心経ではあるまいし、手書きで写している始末。こんな状況下で、与党の言うがままに、なぜ立法府が強引な法案審議を押しつけられなければならないのでしょうか。 法務委員会は、政府、ましてや与党の下請機関ではありません。
この前行きましたら、一、二年生が、これもまたびっくりしたんです、般若心経なんです。校長先生に聞いて、これは政教分離でいかぬじゃないの、こういう言い方をしたんですね。いや、大したことないよと。何でですかと言ったら、ここの村はみんな曹洞宗だから、こう言うんですね。これはいいか悪いかは別にして、悪かったら批判しちゃいかぬですけれども、やはりそのときに覚えたのは一生忘れないと思うんです。
般若心経も悪い意味で脚光を浴びたのではなかったでしょうか。参議院では突然修正案が持ち出されました。実は、この中身につきましては我が党は本会議での質疑を求めましたが、これさえ拒否をされたわけでございます。つまり、カジノ法の修正案は一秒たりとも審議されないまま成立した法律であるということであります。
さらに、質疑の際に質問がないといって般若心経を唱えた与党議員すらいました。国会質問をなめているとしか言いようがありません。 総理は、本国会の冒頭で、建設的な議論をして結果を出したい旨おっしゃいましたが、一体どこが総理の述べた建設的議論なのでしょうか。カジノ議連の最高顧問だった安倍総理が、あなたの好みに合った結果を出すことが目的なら、国会での審議はどうでもよいということなのでありましょうか。
与党議員の中には、わずかな審議時間すらもてあまして般若心経を唱える者まで出るなど、まともな審議が行われたのかどうかも疑問です。また、採決時に与党からも反対や欠席者が出たことも忘れてはなりません。 マスコミ各社の世論調査の結果を見ても、反対が六割を占めています。今国会での成立に固執せず、慎重な議論を徹底して行い、さまざまな問題に正面から向き合ってから採決をすべきではありませんか。
また、余りにも質問時間が余っているのでとの発言とともに、ある与党議員が般若心経を唱え、夏目漱石を語った衆議院の僅か六時間に満たない審議を通じ、こうした倫理的な問題について十分な国民的議論がなされているとお考えでしょうか。 依存症の問題について、更に伺います。
だったら、違法性の阻却を一言も説明しないで、ギャンブル依存症にどう対応するかも説明しないで、暴力団のマネーロンダリングの問題もどうやって排除するか説明しないで、中には自民党の議員が般若心経を質問に使って、なぜ強行採決なんですか。もうちょっと分かるように教えてください。
○逢坂委員 一般論としてと大臣はおっしゃっていますけれども、私は質問の中身を聞いているわけではなくて、質問もせずに般若心経を読んでいるなんて論外だというふうに思うんですね。 だから、私は、ちょっと国会全体が少し緩んでいるというか緊張感に欠けているというか、私も含めてでありますけれども、改めて国会議員としての責務、役割、これを再認識しなきゃいけないなというふうに思っています。
最初はカジノの合法化の理由をただしていたが、二十八分が過ぎた時点で、「一応質問は終わったんですが、余りにも時間が余っているので、」と前置きをし、般若心経を唱え始めたというんですね。それで、最終的には般若心経の中身をいろいろと説明をし続けたということなんだそうです。それでも時間が余った谷川氏は、自分が愛読しているという夏目漱石の作品の紹介を開始したと。
例えば、宗教について一つ触れると、私は禅宗なので、禅の勉強を四十の記念に三年やったんですが、般若心経というのがあるんです。「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄」というんですが、その根底にあるのは、般若波羅蜜多というのは、般若は知恵なんです。蜜多というのは行くなんです。波羅が彼岸。幸せになるための道ということなんですよ。
きょうは、ちょっと質問がかぶって、大分コンパクトにしましたけれども、まさか内閣委員会で般若心経が聞けるとは思っていなかったので、ちょっとびっくりしました。私と松浪さんは高校で毎日、般若心経を唱えていましたので、今でも全部唱えることができるんですけれども。
安倍総理は、五月十六日に高野山を訪問され、岸総理が晩年写経され、昭和五十九年の弘法大師御入定千百五十年に当たって奉納された般若心経千百五十巻を目にされたと聞いております。安倍総理は、この岸総理の千百五十巻もの写経にどのような思いが込められているとお考えでしょうか。冒頭にお伺いいたします。 平和安全法制の必要性についてお伺いいたします。
このスケジュールを見ますと、一日目の夜、この般若心経の写経というのをやることになっていますが、この時間帯は夜間になっています、六時半から九時まで。 ここで、厚労大臣に伺いたいと思います。研修であっても、それが業務命令で行われ、夜間、早朝など時間外にまでわたるのであれば、当然、時間外手当を払わなければならないと思いますが、研修時の時間外労働についての考え方を述べてください。
この研修では、この資料で赤字で示しましたとおり、真言や御宝号を唱えさせるとか、三礼百セットを三百回連続だとか、般若心経の写経、写仏などなど、まさに寺修行、宗教行為そのものをやらせているということです。
そういうような番組を提供してそういう貢献をするとか、あるいは、「一〇〇分de名著」というのがありますが、この中の般若心経、これは大変世の中にはポピュラーなんですけれども、これを「一〇〇分de名著」で紹介したところ、大変な反響がありまして、このテキストがベストセラーになっています。というようなことで、そういう提供を行うことによって、学び、充実をする。
○谷川分科員 般若心経に「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空」というのがあるんです。どういうことかといったら、あなたが人間として生まれて幸せになりたいなら般若波羅蜜多をしなさいということなんです。般若波羅蜜多というのは、般若というのは知恵であります。波羅というのは彼岸であります。蜜多というのは行くであります。幸せな世界へ行くということなんです。
私の宗教である曹洞宗、教義の般若心経というのは、「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄」とずっと続いていきますが、一切の苦しみや災難から救われるよという意味なんです。 どぎゃんすりゃよかとね、無念無想、無我夢中になって取り組みなさい、林業に。どぎゃんしたら無我夢中になれるんですか、それは般若波羅蜜多を修行しなさいということなんです。
○金田副大臣 谷川先生の、般若心経も引用された哲学的な、水産業に対する思い、そして林業に対する思い、まさにその熱情あふるる思いというのは、私もいたく同感であります。政治家として、農山漁村を回りながら、大変なつらい思いをしているんだなという思いは、多分、選挙区は違いますけれども、谷川先生と思いは同じだろうと思っております。 いろいろな歴史的な背景があります。
そこで、司法試験を受けるについて苦労された井元参考人にお尋ねしますが、私は、やっぱり最近の日本人は、日本人だけでもないんですけれども、やっぱりその精神面の人間の在り方、日本、東洋人で言うならば、司法試験を受ける人は論語をある程度マスターしていたり、あるいは般若心経ぐらいの意味は知っている人間じゃないと、やっぱり人間の悪さを判断することにかかわるという、これが基本だというふうに私は思っておるんですが、
先生がおっしゃる般若心経を勉強するとか、心の余裕がないと。これではやはり私は駄目なんじゃないかという気がしております。 ちなみに、私は、私の母親が寺の娘でございますので般若心経は全部暗記しておりますから、ここで申し上げるわけにいきませんが。そういうような、あるいはその心のゆとりを持てるような教育もやはり法科大学院では必要じゃないかなという気はいたしております。 以上でございます。
それをやらないことには般若心経を写経させられまして。そういうこともありました。でも、そんなのはどっちだっていい話なんですよ。 だから、そういう校則と法教育というものが相矛盾する局面が出てくるんじゃないのかなと私は思うわけですよ。
座禅をやっているうちに、自然のうちに般若心経を覚えてしまう。子供というのは正に天才で、そういう形で非常に評判のいい幼稚園をやっているわけですね。 そのときに、公的、公の幼稚園と私立と、言わば経営は非常に私立はつらいですから、特にこれから少子化ということになりますと非常につらいから、公が言わば民を圧迫するような事態になっているんですね。
般若心経を書いておられた。 その書かれたのを見せていただきましたが、その中から、国を思う気持ちといいましょうか、一身に責任を負った、その大変重い荷を背負った中で必死にその役割を果たそうと努めていらっしゃるお気持ちなどがひしひしと伝わってきたのでございまして、私はそれを拝見して大変感銘を受けたのでありますが、橋本総理、橋本さんは総理官邸で時間があったら何をしておられますか。
やむなく校庭の片隅に線香を立て、ろうそくをともして、摩詞般若心経を唱えて供養のしるしとしたのですが、それで心が晴れたわけではありません。新たなわだかまりが生まれ、次第に大きくなってきました。 戦後五十年、広島の町はすっかり復興し繁栄しているように見えますが、その町の建物の下で、コンクリートで固められた道路の下で骨は泣いていると思います。
後ろの方で般若心経を唱える母の声に後ろ髪を引かれる思いでございました。目の前に覆いかぶさる建物、それに押さえつけられたまま、じりじりと追ってくる火の手、そして死の瞬間を待つ気持ちといったらどんなだっただろう。なぜ一緒に死ぬ気になってもっと頑張ってやらなかったのか、私が母を殺したも同じだと、どれだけ自分を責めたかわかりません。
まさにこれは般若心経です。般若心経の中に、これにちゃんとふさわしい言葉があるでしょう。空不異色とか色即是空とか、お経がありますね。色というものは形だと、形があるんだけれども、実際はないものと同じだというのがちゃんと般若心経にもある。それと同じようなことを鳩山さんがおっしゃっている。これは私は実に立派だと思うんです。
佐藤元首相は、ときあるごとに般若心経を写経されたと伺っております。全日空機雫石墜落事故で亡くなった百七十三御柱のために、あるいは浅間山荘事件のときは殉職した警察官のみたまのために、また、秩父の山奥に水子地蔵尊が建立されたと聞けば、多忙な日程にもかかわらず、胎児の霊前にみずから赴いて自筆の写経を奉納して胎児のみたまをなぐさめられました。福田元首相であります。