2000-08-03 第149回国会 衆議院 予算委員会 第2号
ただ、これも前回申し上げたのであれでございますけれども、決して、興銀出身ということでかなりいろいろなことが言われているわけでございますけれども、あの方はあくまでもそごうの板谷家ということで、オーナーの御一族でございまして、興銀をおやめになって、たしか昭和三十三年にそごうに入られて、そして三十七年に社長になって、その当時のそごうを再建された方でございます。
ただ、これも前回申し上げたのであれでございますけれども、決して、興銀出身ということでかなりいろいろなことが言われているわけでございますけれども、あの方はあくまでもそごうの板谷家ということで、オーナーの御一族でございまして、興銀をおやめになって、たしか昭和三十三年にそごうに入られて、そして三十七年に社長になって、その当時のそごうを再建された方でございます。
当然御存じのことだと思いますけれども、ちょっとつけ加えさせていただきますと、水島前会長は確かに興銀出身でございますけれども、これはそごうに興銀から派遣されたのではなくて、彼はそごうの一族だったわけです。三十三年にそごうの経営がおかしくなりまして、一族の要請で興銀をやめていったわけです。そして、副社長で行きまして三十七年に社長になりました。
○西村参考人 マスコミのコメントにタッチすることは必ずしも適当ではないと思っておりますけれども、これは午前中申し上げたことでございますけれども、水島氏は、確かに興銀出身ではございますけれども、そごうの一族でございまして、そごうの再建のために三十三年にそごうの副社長として入社されまして、三十七年に社長になられたわけです。
そういう意味で、これはこじつければ、前会長の水島氏は興銀出身ということで、六二年ですからもう大分前ですけれども、いずれにしても、そういった関係から、ここまでいわゆるバブルの放漫経営を見逃してしまったのではないか、そういう批判があるわけですけれども、それについては、頭取、どうお考えですか。
○西村参考人 ただいまの先生の水島前会長が興銀出身であるというようなお尋ねでございましたが、出身であるということは事実でございますけれども、水島氏がそごうに参りました経緯としましては、これは興銀から派遣をしたということではなくて、水島氏がそごうの一族でございまして、たしか三十三年ごろ、そごうの状況が悪くなりましたときに、一族の要請によりまして、興銀をやめてそごうの副社長に就任をされ、そしてその四年後
江頭会長も興銀出身であり、常務も向こうから来ておる。こういうような段階で、やはりこの補償の問題というものを解決するという場合には、私は主力銀行である興銀を抜きにしては解決できないと思うのです。ここで島田さんといかにやりあっておっても、さっきも言ったような答弁にしかならないし、そしてどちらかといえば首根っこを握られておる。
中枢部はほとんど全部興銀出身者で占められてしまっている。こういう実情があるから、あるいは近く申告するものがあるかもしれませんが、公正取引委員会としては調査に入っていただきたい。というのは、あなた方、新しい意味じゃないでしょう。普通の日本経済新聞、あるいは「財界」、あるいはその他の雑誌に相当興銀のことが暴露されています。
第四番目の人は興銀出身の人でありまして、審査、調査を担当しております。