1993-11-08 第128回国会 参議院 決算委員会 第3号
あの広大なアムール地方、清国の国境は外興安嶺まででございましたけれども、あの外興安嶺からアムール、黒竜江までは全部ロシアに奪われ、沿海州も全部ロシアに奪われ、日本が開国したとき清国は既にそういう状況だったわけであります。 全アジアは申すまでもなく、イギリス、フランス、オランダ、ドイツ、それからアメリカ、こういう国々に完全に分割されている。インド以降は申すまでもございません。
あの広大なアムール地方、清国の国境は外興安嶺まででございましたけれども、あの外興安嶺からアムール、黒竜江までは全部ロシアに奪われ、沿海州も全部ロシアに奪われ、日本が開国したとき清国は既にそういう状況だったわけであります。 全アジアは申すまでもなく、イギリス、フランス、オランダ、ドイツ、それからアメリカ、こういう国々に完全に分割されている。インド以降は申すまでもございません。
それはバイカルの湖から興安嶺にかけては若干ありますが、あれから中央モスクワにかけてはほとんど困難な気象条件はないと思われるが、問題はあそこを飛行機が飛ぶようになると、やはり北回り、南回りの日本及び外国の航空会社がお客さんを取られるのではないか、利用度が多くなるのではないか、そういうことから、みんな手を出したがらない、日本も出したがらないんじゃないかという疑いを持つのですが、あそこを通過してモスクワ経由
その次には長白山脈から小興安嶺、大興安嶺にかけまして、この内側のちょうど第二線に当るところでございますけれども、匪民分離地区という地区が設定されたのであります。匪賊と原住民を分離するために行われたものでございましたけれども、その匪民分離地区に四〇%が入植させられました。残った一〇%は交通の要点、また産業の要衝に入れられました。
泥秋は小興安嶺のふもとでありますが、それにかわって行きました。
満州の大興安嶺は日本の外側の城壁であつた。あるいは海拉爾草原、海の方では西太平洋全部包含して、マーシャル群島、この内南洋列島の線までが日本の平時的な国土であつた。たいへんな縦深を持つておつた。しかるに今の日本は、日本海に浮かぶほんの一条の細い線で、縦深は絶無です。こういう国土は今日の兵器の威力をもつてすれば、たとえば機動部隊あるいは爆撃機でもつて一瞬に浸透できる。防衛ということは非常に困難だ。
また、植林にいたしましても、満州興安嶺の砂防林から、安東より揚子江にわたる沿海防風林、一名毛沢東長城といわれるこれらの植林計画は、敗戦国たる日本のもつて範とすべき非常な成績をあげつつあるのでありまして、政権担当以来すでに五箇年を経過いたしました吉田内閣の施政と比較いたしまして、私たちは、ここで深刻に反省するとともに、国土総合開発の徹底的な再検討を要請するものであります。
それから三年間、一九四八年まで、興安嶺、挑南、内蒙の一部、張家口の近辺、それから礼泉、白城子、こういつたところを軍とともに行動しておつたわけです。そして当初は、軍の方から言いますには、技術工作者としてひとつ働いてくれ、こういうぐあいに言われたわけです。
それからその次に、先ほど問題になりました私どもの方で遁竄とか潜在とか言つておりますが、よく伝えられます終戰当時山の中に逃げ込んだ軍人さんたち、あるいは大興安嶺にいるとか、るいは長白山脈にいるとかいう人人、それからもう一つ先ほどお話に出ました、中国人と抽象的に申しますと結婚という言葉になるのでありますが、いわゆる奥さんであるとか、あるいはめかけであるとかいつ、いろいろな形でもぐつてしまつた御婦人とか、
しかし私は幸いにしまして、その年の十月一日に釈放されることができまして、爾来ハルピンに下りまして、ハルピンで生産工場を企画、またこれを成功さしたのでありますが、その後昭和二十三年の十月の末に至りまして、興安嶺並びに東京城という所に日本の兵隊が大分残つておるというような話があつたぞうでありまして、それに私が関連をしておるという嫌疑を受けまして、私はそれからまた再び牡丹江の監獄に收監されたのであります。
その後更に又一昨年から山の中に兵隊かまた残つておるというような話がありまして、これはその年の初め頃から、興安嶺とか、東京城の山の中にこれらの救援に行つた人があるようでありますが、これらの救援に行つた方を、更にこれを日本人のスパイということにいたしまして、連累者とみなされた者も約三十名程ハルピン、牡丹江において引つ張つてしまつたのであります。
この件に関しましてはいろいろな残虐事件、これは先日も申上げましたように高山助教授の僕殺事件、愛琿の残虐、興安嶺の悲劇とか、それから吉村部隊のようなこうした残虐事件、これはナホトカにおいて兵士大会をやらなくても、勿論ソヴィエト側として当然こうしたものは取調べなければならないということにおいて五十名内外の者がそうした被疑者としてあそこほ残された。