1957-04-09 第26回国会 衆議院 商工委員会 第24号
この会社は昭和二十四年の秋、ドッジ・ラインの影響でもって非常な打撃を受けまして、主として横浜興信銀行がいろいろ融資しておったわけでありますが、昭和二十五年の春にその銀行から命令を発しまして、代表取締役を会社に送る。
この会社は昭和二十四年の秋、ドッジ・ラインの影響でもって非常な打撃を受けまして、主として横浜興信銀行がいろいろ融資しておったわけでありますが、昭和二十五年の春にその銀行から命令を発しまして、代表取締役を会社に送る。
おもなるものだけを拾ってみても、千葉銀行と阿寒硫黄との問題、昭和製鋼と横浜興信銀行との問題、興銀と日本冶金との問題、勧銀と新潟鉄工との問題、又一商事と三菱銀行との問題、東京麻糸紡績と三菱銀行との問題、最近では近畿紡績と三菱銀行を背景とする勢力との間にも問題が起きているようであります。
府県にその一億三千万円がわけられて、それから金融機関に、漁信連なりあるいは神奈川県の場合は横浜興信銀行に行つてしまう。そうしますと、金融機関はやはり救済ということを忘れて、普通金融なみにこれを攻め立てた条件をつけまするがゆえに、せつかく国においてわくをつくりましても、救済資金の借入れができない。
○清井説明員 ただいまビキニに関する漁業者の融資につきまして御質問がございまして、これは神奈川県の例をお引きに相なつたと思うのでございますが、神奈川県では御承知の通り、関係業者と漁業者に対します金融がございまして、漁業者の方は系統機関から融資したのでありますが、一般の業者は市中銀行を通して、横浜の興信銀行を通すということで、県庁からそういうような形で融資の措置をおとりになつたと思います。
一厘の鞘のほうも恐らく神奈川も同じような状況になるのじやないかと思いますが、神奈川のほうはちよつと静岡と事情が違いまして、静岡のほうは漁信連一本で行きますけれども、神奈川のほうは流通業者のほうが横浜の興信銀行を使う、漁業者のほうだけを漁信連を通すということで、二本になつておるのであります。
たとえばここに一例を申し上げますが、横浜興信銀行というのがある。これが前橋の東邦工業という繊維をやつておる会社に対して長年相当のこげつきがあつたわけです。ところでそれについて、その横浜興信銀行が東邦工業の金融管理をやつた。銀行管理で自分のところの行員を出張させて、そうしてその社長の判を預かつて、手形から何から一切その出張行員が判こを押す、一切の金融についても責任態勢のもとにやる。
十億万円はいわゆる市中銀行——福岡銀行を初め、佐賀の興信銀行でありますとか、こういつた銀行に預託をする。
(拍手) 愛野君は、佐賀県藤津郡鹿島村の御出身でありまして、大正十年中央大学を卒業の後、ただちに横浜興信銀行に入り、在勤十年にわたり精励研鑽を重ね、豊富なる知識を吸収せられ、また人間としての修練を軍ねられたのであります。
地方銀行の興信銀行が或る会社に融資をする場合に、やはり下請が興信銀行のお得意なのでありまして、その関係でお得意から依頼を受けておるように私も考えるのでありますがそのために下請に支払をする條件で貸した例があるのであります。
○中島(祐)証人 昭和二年に横浜市の横浜興信銀行に入社いたしまして、以後昭和十五年七月十三日、日本石炭株式会社に入社するまでそこに勤務いたしました。
それは翌日か一日置いた日に、ちようど伊勢佐木警察署に、興信銀行の強盗事件の被疑者が勾留されておりましたので、そこへ松永警部補と酒寄警部がはつきり見えられて、病氣であるはずの後藤のばあさんが現われまして、家族を連れて面会差入れの便宜方を依頼に來ております。
友三君 政府委員 経済安定政務次 官 中川 以良君 大藏政務次官 田口政五郎君 厚生政務次官 淺岡 信夫君 建設政務次官 赤木 正雄君 公述人 日本機帆船業会 專務理事 立川 繁君 総同盟総主事 高野 實君 経済学博士 大内 兵衞君 自治労連副委員 長 三田 朝丸君 横浜興信銀行員
それで月曜にいきまして、横浜の興信銀行の野毛支店で支店長に会いまして、いろいろ聽いたけれども、その当座も何もなくて、結局これはいい加減なもので不渡りだつたのです。