運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
14件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

  • 1

1990-06-13 第118回国会 衆議院 農林水産委員会 第15号

加害船、私はあえて加害船と言いますが、これは東大阪市の大興汽船所属砂利運搬船第二大興丸四百七十六トン、乗組員六人。被害に遭った漁船留萌支庁羽幌町で、羽幌の漁協に所属しております吉田友二さん所有のエビかご漁船第三十六栄丸、構造は繊維強化プラスチック、いわゆるFRP、きのう藤田委員からも質問があったかと思いますけれども、十九トン、乗組員八名。

佐々木秀典

1990-06-13 第118回国会 衆議院 農林水産委員会 第15号

その結果、先ほど先生お話がありましたように、第三十六栄丸乗組員八名中、最初に自力脱出いたしました三名は第二大興丸乗組員に、そして次に脱出してきました一名は地元のダイバーに、そしてまた船内にいた一名、これは後に死亡いたしましたけれども、当庁潜水士に救助され、さらに船内から二遺体が収容されますとともに、一名は行方不明となっております。

柳田幸三

1988-04-25 第112回国会 参議院 決算委員会 第4号

例えば立興丸ですか、五十六年二月理事会承認船ですが、五十二年五月大阪府の村角建設に売却し、六十二年に砂利船汚職が発覚しそうになったので村角建設がクウェートの船会社に海外売船しているとか、第二十四明神丸ですか、これは五十一年十二月に広島県の竹原仲で沈没した二十四明神丸を、全自連の指示で、中国海運局解徹船リストに登載させ、実際には沈没してから、三カ月前に沈んだ船をリストに載せて生き返らせてみたりとか、

吉井英勝

1975-05-08 第75回国会 参議院 運輸委員会 第6号

一九七二年十月には月興丸船底接触を起こしました。一九七二年の十一月にはリオデジャネイロ丸船底接触を起こしました。一九七二年の十二月には昭延丸協隆丸とが衝突をいたしました。一九七三年一月には昭和丸船底接触を起こしました。同じ月に幾洋丸船底接触を起こしました。それから一九七三年の二月にオリオン丸船底接触を起こしました。それから一九七四年十月には日興丸ベルデクイーン号衝突をいたしました。

薗村泰彦

1973-07-17 第71回国会 衆議院 地方行政委員会 第45号

これは神興丸という船が座礁しまして、その船に積んでおりました油が海面に流出するという事故でございます。この事故原因等はいろいろあろうと思いますが、きょうは、事故原因ということでなくて、油が流出いたしまして、きれいな海岸あるいは漁獲物等に多大の被害を及ぼしましたそのことに焦点を当てまして、御質問いたしたいと思います。  

今井勇

1966-06-25 第51回国会 参議院 運輸委員会 第31号

第三に、昨年八月二日未明発生した「アリゾナ号」と「明興丸海難事故の第一回海難審判に、米国側は一人も出廷していない。政府としては一体その後どのような要請をしたか。これは当委員会でもしばしば問題になった問題です。最後には秘密会までして、この事情を聞いた問題です。米側は出てない、全然、これはもう問題にしてないのだ。

岩間正男

1966-05-27 第51回国会 衆議院 法務委員会 第39号

岡田政府委員 アリゾナ号と明興丸衝突事件につきまして、まず事件そのもの概要から申し上げ、さらにその後当庁のほうでとりました処置についてあわせて御説明申し上げるというふうにいたしたいと思います。  事件の起こりましたのは昨年の八月二日でございます。衝突の発生時間は午前二時九分と考えられます。

岡田京四郎

1966-05-27 第51回国会 衆議院 法務委員会 第39号

坂本委員 私は、昨年の八月二日の夜中に起きましたアメリカ船アリゾナ号日本の明興丸衝突事件がありまして、その衝突の際には、アリゾナ号衝突したことを知りながら大破した明興丸をそのままにいたしまして、そして目的地の、あれはフィリピンですか、そちらに航行を開始しましたから、残された大破をした明興丸はたちまち沈没したのでありますが、当時の乗り組み員は、一名生存者があっただけで、あと全部死亡するという

坂本泰良

1965-10-29 第50回国会 参議院 決算委員会 第6号

具体的に、たとえばこれはマリアナの場合のように三百八人程度では、とても一人一人当たることはできないけれども、しかし、「アリゾナ号」と「明興丸の場合には調査できるであろうと思います。いまお話聞くと、あらゆる手段を講じて、いかにもいいように思うわけだ。しかし、実際はたいへんなことなんだ。もう現地に行って遺族に会って話を聞くと、とても話にならない。とにかく一体どういうふうに「明興丸の場合されたか。

岩間正男

1965-10-29 第50回国会 参議院 決算委員会 第6号

説明員猪口猛夫君) 「明興丸と「アリゾナ号」の衝突事件につきましては、私が当時約一カ月ぐらいで見通しがつくというぐあいに御答弁申し上げましたのでございますが、その後鋭意いろいろ調査しておりましたが、何分にも先般もお話し申し上げましたように、管轄権等の問題がございまして、なかなか調査に困難を来たしましたような次第でございます。

猪口猛夫

1965-08-12 第49回国会 衆議院 法務委員会 第4号

岡田説明員 アリゾナ号と明興丸衝突事件概要を申し上げたいと思います。お手元に簡単な資料を差し上げてございます。大体それを中心にいたしまして、記録をもとにしながらこの件について御説明申し上げたいと思います。  この衝突事件の発生いたしましたのは、昭和四十年八月二日の午前二時九分に起こったというふうに考えられるのであります。

岡田京四郎

1965-08-12 第49回国会 衆議院 法務委員会 第4号

鍛冶委員 私は、これからアリゾナ号と明興丸衝突事件について関係当局にお聞きしたいと思うのでありますが、海上保安庁からは概略の書類が出まして、これを読んでみたのでありまするが、いま少し書類じゃなくて——これに基づいてでもよろしゅうございまするが、明細にこの全般をまず聞かしていただきたいと思います。

鍛冶良作

1965-08-10 第49回国会 参議院 運輸委員会 第3号

ですから、先ほども申しましたように、発信の内容の中に入っております衝突時刻衝突場所につきまして、先ほど申しましたように、逆算いたしますれば、その緊急通信を発した位置のものとほぼ符合する、ただし、これにつきましては、先ほど申しましたように、なお正確に、「明興丸資料等も加味いたしまして正確を期す必要があるということを申したわけでございます。  

猪口猛夫

1965-08-10 第49回国会 参議院 運輸委員会 第3号

説明員猪口猛夫君) 「明興丸速力が非常におそかったような先生お話でございましたが、生存者の二等航海士の言によりますと、速力は十ノットであったと申しますから、「明興丸の全速が十一ノット半でございます。ですから、ほぼ全速に近いスピードで走っておったということは事実だと思います。これは、生存者二等航海士の言によりますとそういうことになるわけでございます。

猪口猛夫

1965-08-10 第49回国会 参議院 運輸委員会 第3号

岩間正男君 どうもそこのところあんまり警戒的に言われなくてもいいと思うのですけれども、「明興丸のあそこに切断されたなにが残っているのでしょう。「明興丸も、これは現在横須賀——横浜ですか、に曳航されているのでしょう。だから、そこのところまだ検証ができないからと言っておるんですが、これははっきりしてほしいですね。そんな点はいいんじゃないですか。これは認めていいんじゃないですか。

岩間正男

1965-08-05 第49回国会 参議院 運輸委員会 第2号

その間八月三日の十一時三十分から「ア号」の実況検分を実施いたしまして、損傷個所に付着いたしておりましたペイントをまずとりまして、その後引き起こしました「明興丸ペイント等同一船のものであるかどうかというようなことをまず調べる必要があるということで、最初そういう調査をしたわけでございます。

猪口猛夫

1965-08-03 第49回国会 衆議院 本会議 第4号

おりもおり、八月二日未明には大島沖——真相はやがて明らかになると思いますが、タンカーの明興丸が転覆いたしました。聞くところによると、アメリカ貨物船衝突したとも報ぜられておりますが、これまたとうとい十七名の乗員の命が絶望といわれておるのであります。重ねて明確なる答弁を期待いたしまして、私の質問を終わる次第であります。(拍手)   〔内閣総理大臣佐藤榮作君登壇〕

肥田次郎

  • 1