2002-05-20 第154回国会 衆議院 武力攻撃事態への対処に関する特別委員会 第7号
私は至近弾を受けました。一キロの爆弾を落とされますと、ちょうどこの予算委員会の半分ぐらいの穴があきますよ。余り近いときに直撃食らったりしたら音はわかりません。至近弾ですから、爆弾が落ちてくる音がようわかりました。それで一挙に吹き飛ばされまして、防空ごうへ走っている暇はなかったんです。シェルターみたいな立派なものじゃありませんからね。吹っ飛んだ。
私は至近弾を受けました。一キロの爆弾を落とされますと、ちょうどこの予算委員会の半分ぐらいの穴があきますよ。余り近いときに直撃食らったりしたら音はわかりません。至近弾ですから、爆弾が落ちてくる音がようわかりました。それで一挙に吹き飛ばされまして、防空ごうへ走っている暇はなかったんです。シェルターみたいな立派なものじゃありませんからね。吹っ飛んだ。
私たちは至近弾を受けたとばかり思っていたし、大八車とリヤカーの上には物が倒れてきて動かせる状況にはなかったのでそのまま放置して、比治山女学校教官のところへ報告に駆けつけました。教官は直ちに大八車とリヤカーをとりに行くように命じましたが、そんなものは跡形もなくなっており、二人はさんざんしかられ、学友の記憶では余りしかられなかったと言いますが、その後、師団司令部に救援を頼みに行くようにと言われました。
十九と陸軍航空隊の特別幹部候補生として、特攻要員で九死に一生を得て一応今日に至ったわけなのですが、そのときに、あの戦争の悲惨さ、そして私が受けた第七機動隊のあの空爆、ボートシコルスキー等の艦爆、あるいはまたグラマンから受けた機銃掃射、あるいはまた私がただ一人誘導路におるときにグラマンの機銃掃射がもうしつこく私一人をねらって、何回も反転急降下で私一人をねらったあの執拗さ、そして、私どもの周辺に数発の至近弾
そこで至近弾が落ちても要撃戦闘機十機は守れる。それはそれで目的が一つ達せられたと思うのですけれども、それではその十機に乗るパイロットはどうかということになりますと、掩体の横に建設会社の工事事務所みたいな臨時の建物があるだけで退避ごう一つない。有事になれば横に土のうを積んで防ぐんだとか言っておられましたけれども、これもバランスを欠いた事例ですね。
いやあれは報道機関が先走りしています、書き得でそれが走っているだけです、何も聞いていませんなんて言っているが、あのアメリカが要求したと言われている隻数、たとえばDDGを含めて七十隻、その他航空機等その他を含めて、対潜機を含めて、これはかつて日本側の海幕を中心にしてやったソ連の脅威に対する所要防衛力、つまり昭和五十一年の防衛計画の大綱以前に檜町を走った、ちらついたあの水準にまさに近似するわけで、まさに至近弾
目撃者が申しますのは、五、六発続いて大きな音がしたということでございまして、その音が至近弾であるならばもっと顕著な状況を示すはずであるというふうに私どもは考えておるところでございます。
確認しております被害の状況と申しますと、物的損害に限りますが、許田さんのところの屋根に着弾が四発あり、損壊をし、敷地内に八発着弾し、裏の畑の中で作業中に至近弾があった。金城さんの関係につきましては、キビ畑約四十平方メートルの下の葉っぱの方を焼損してしまった。
被害の状況は、該地にあります許田正光氏のお宅に四発の弾着があり、屋根が損壊しかつ敷地内に数発の弾が落ちた、裏の畑で作業中に至近弾が降ってきたということがあります。また、それ以外の三人の方々がキビ畑の中でキビ畑を焼損されたとか、あるいは作業中にその付近に射弾が散布してまいったというふうな事故でございまして、ここにおられました周辺の方々に相当の畏怖心を与えたという事故でございます。
おかしいのですけれどもね、私の知っている範囲、私たちが訓練を受けてきた範囲では、あれだけの距離で、あれだけの至近弾を撃てるということは、かなりの訓練を要するのです。 これは、ぼくはなぜこれを言うかというのです。これは単に文世光が練習をして、そうしてあれだけのことをやったからどうのこうのと言うのじゃないのです。文世光は初めて韓国へ行ったのです。海外に行ったのは、吉井美喜子と香港に行った。
○石母田委員 この間の国会で田中議員からも質問がありましたが、井上留吉さんという、愛知航空の熱田工場で徴用されておって、至近弾のために吹き飛ばされたところが工場の外であったということで、公務性がないということで援護法の適用が受けられなかった。その後これをお聞きしますと、認定にならなかった。
私はしいて言うとね、これがまた長沼基地の直撃弾から今度はこれはもう至近弾になる可能性もあるんじゃないか。いたずらに自衛隊がさらに側面から攻撃される材料をここに提供している。だから、だめだと言ってるんじゃないかと、こういう材料をここにまた……まだまだ二、三ありますけれども、まず根本的にはこういう運営のしかたをして、改まってない。入館料百円なんかとれないでしょう、公民館、本来。
それでこの方は至近弾で工場の中で百メートルほど飛ばされたわけですね。飛ばされて電車通りの外へ出たわけです。これが工場外だから、公務性がないということなんですね。いまでもまだ通院をしていらっしゃるという方なわけです。 こういう方たちを県でみんな援護法に当てはまらないということで切っているということ。
われわれがわかっておりましたのは、韓国の海軍がよく済州島沖で演習をやりますので、その至近弾が日本の漁船に落ちるような事件がありまして、それじゃあぶないということで韓国に申し入れをいたしました結果、韓国海軍の射撃演習につきましては、外交ルートを通じまして、一部始終事前に通報を受ける仕組みになっておりまして、この点は安心しておったわけでございますが、ちょっと正確な日付は忘れましたが、約一カ月前に、一カ月
○田中(武)委員 たまたま当時スエズ運河を航行中であった郵船ですかの何とか丸が至近弾を浴びたということを聞いております。そのような危険なことは戦争自体が下火になればないというわけですが、心配ないですか。
もちろんこれではまだまだ不十分でございまして、組合はさらに安全について折衝をいたしておりますが、同時に万一のことがあった場合の措置について、船舶が至近弾を受ける場合にはびっくり手当と申しますか、そういう手当を一人につき五十ドル、直接攻撃の対象の場合になったときは一人について七十五ドルを、いわゆるアタック・ボーナスとして支給をさせる、これを協定いたしておりますけれども、これは昨年の八月からすでに協定をして
「LSTがベトコンの攻撃をうけた場合、一人あたり五十ドルから七十五ドルの被撃手当が支給されることは去年八月に決り、さる二月二十三日メコン川で至近弾をうけたというLST六一三号乗組員にその第一号が支払われることになっている。」そういうふうに書いてあります。もう戦場に行っているわけですね。そういうわけですが、さっき局長は、アメリカに再三公式、非公式に申し入れたとおっしゃっておりますね。
それは第一には射撃を受けた、そして或いは自分の近くに至近弾を受けて、非常に危険を感じたという漁船の報告がありません。そういう申告を求め、且つ又どこの漁船がそういう射撃を受けたかということをいろいろ捕捉に努めておりますが、現在捕捉されておりません。
これは或いは私どもの想像になりますけれども、まあその演習期間中に演習場の中に入つておつたということでありますので、そういう関係であるかということを一つ想像をいたしますし、それからもう一つ、非常にそこに至近弾等が落ちて身辺に危険があつたということになれば、これは何らかの恰好で報告が来るのではないかと思いますが、そういうことではなかつたのではなかろうかと、現在までどうもキヤツチできないのでこういう想像をいたしております
○秋山俊一郎君 そうしますと、その至近弾とまで行かなくても、操業している近くへどんどん弾を落されて非常に操業にも困つたとか、或いは危険を感じたというようなことはどこからも申出た事実はないといたしますれば、果して威嚇射撃であつたかどうか、恐らく威嚇射撃ではなかつたろうという感じがいたしますが、そういつたような陳情なり訴えというものはどの面にもあなたの御調査の上では現われておりませんですか。
これは諸君、明らかにうしろから至近弾によつて撃ち殺されたことを物語つておるのであります。また学生近藤巨士君の場合は、担当のお医者さんの話によりますと、安静にしておるならば、三週間ほどでなおるはずのものであつたというのであります。しかるに病院の厳重な抗議にもかかわらず、長時間の拷問にもひとしい尋問が行われております。