2020-01-23 第201回国会 衆議院 本会議 第3号
一方、自由民主党にあっては、経済産業部会長、国土交通部会長、幹事長代理などを歴任され、特に、平成二十四年には行政改革推進本部長に就任され、その要職にあるときには、温厚篤実なお人柄と、先生の座右の銘である至誠天に通ずの精神で、難攻不落と言われた公務員制度改革に取り組まれ、幹部職員人事の一元的管理を図ることなどを内容とする関連法案の党側の意見を取りまとめ、党と政府との調整役として、その成立に大きな役割を
一方、自由民主党にあっては、経済産業部会長、国土交通部会長、幹事長代理などを歴任され、特に、平成二十四年には行政改革推進本部長に就任され、その要職にあるときには、温厚篤実なお人柄と、先生の座右の銘である至誠天に通ずの精神で、難攻不落と言われた公務員制度改革に取り組まれ、幹部職員人事の一元的管理を図ることなどを内容とする関連法案の党側の意見を取りまとめ、党と政府との調整役として、その成立に大きな役割を
至誠天に通ずということで、やはり誠の心を、今、住みなれて、これから老後を迎える、余生を全うしようとしている秋田の人、山口の人のこの居場所を、どうか寄り添っていただいて、誠の心で向き合って最善策を検討いただきたいというふうに思います。 質問を終わります。
至誠通天、至誠天に通ず、この言葉は座右の銘にしたい四字熟語の第五位です。冗談かと思いました。誠実に努力をすれば天も味方をしてくれるということでしょう。裏を返せば、誠実さに欠ければ天も見放すということです。 当然、議長も御存じでしょうが、松陰の言葉を二つ贈ります。「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」。
そういうことをやっていけば、至誠天に通ずというか、神様もどこかで我々の努力というのは認めていただくというようなことで、早期に帰れる、ガスが下がる、そういうこともあり得るんじゃないかなというふうに、これは非常に私的な感想を申し上げて申しわけありませんが、そんな感じもしております。 いずれにしても、私どもの使命としては、我々にできることをきちっとやっていく、そういうことではないかと思っております。
先生は、座右の銘とされていた「至誠天に通ず」のとおり、誠実一筋、目標に向かってただひたすら努力と精進を重ねてこられました。 先生のこれらの崇高な御意志は、明日の日本を担う人たちへ必ずや受け継がれていくことでありましょう。 人間、奥谷通。先生は、非常に友を大事にし、明るくひょうきんなナイスガイでした。 二年前、先生との世界一周旅行。 去年は、私と二人でアメリカ・カナダ。
私はこの政治の転換期に際し「至誠天に通ず」の処世観を持って今後の日本の政治の改革に取り組んでまいる所存であります。 今日の議会制民主主義は、あまたの先人、諸先輩の御努力により、幾多の変遷を経て改革され、現在にいたっております。
「至誠天に通ず」、「思う一念岩をも通す」という言葉があります。今日の政局に当てはめますと、「天」は言うまでもなく民意であり、「岩」は政治的混乱を好機と策動する強権的な一部政治勢力、さらには改革の前に立ちはだかる硬直的な官僚等ではなかろうかと思われます。
誠意を持って実行していけば至誠天に通ずと言いますが、私はそれをやり遂げる決意であります。何とぞ国民各位の絶大なる御支援をお願い申し上げる次第であります。(拍手)
誠意を持って実行していけば、至誠天に通ずといいますが、私はそれをやり遂げる決意であります。何とぞ国民各位の絶大なる御支援をお願い申し上げる次第であります。 以上であります。(拍手) ―――――――――――――
したがいまして、懸案の日本とソ連との例えば平和条約でございますとか北方領土の問題等々についても、これだけ大きな変化が今地球的に起こっているんですから、これは何十年膠着状態でだめだというよりも、やっぱり至誠天に通ずで、話のわかる人を相手にしているんですから、これはひとつせっかく御努力を願いまして、日ソ平和条約とひいては北方領土の返還についてソ連と真摯な話し合いをしてくださることをひとつお願いを申し上げたい
君は座右の銘として「至誠天に通ず」という言葉を愛されましたが、まさにその言葉どおりに、一時の功名を求めず、他人の毀誉褒貶を顧みず、ひたすら努力と精進を重ね、誠実一筋に生き、国事に献身されたのであります。(拍手)今ここに、君の清廉高潔な七十七年の生涯を振り返るとき、ひとしく政治に携わる者として、深甚な敬意を覚えずにはいられないのであります。
「百術は一誠に如かず」また「至誠天に通ず」という言葉をしばしば色紙等にも書いておられたと聞きますが、私は、子供のときから身体にしみ込んだ保利君の仏心が、年をとり、風雪を経て顕揚されてきたものと思うのであります。 保利君の生家は熱心な仏教徒で、君がまだ小学校へも上がらない幼少のころ、おじいさんが失明し、目の見えなくなったおじいさんは、朝夕のお勤めとお寺参りだけが唯一の楽しみでした。
○丹羽国務大臣 ただいま木原先生からの御質問でございますが、先ほども申し上げましたように、私はそこにお住みになっております農民の方々と極力話し合いをいたしまして、そうして円満なる解決に導きたい、こういうことで、徳安先生からも御指摘がございましたような、至誠天に通ずるというとおかしいのでございますが、ほんとうに真心をもってお話をしてまいりたい、こういう覚悟でございます。
自分のうちだけでいばってみても、相手の国に対して真心が通じなければ、至誠天に通ずと言いますけれども、独断的な至誠では相手に通じないと思うのです。やはり相手の喜びや悲しみも喜び合い、悲しみ合い、またこちらの喜びや悲しみも相手に理解してもらう。
われわれとしては人権を尊重し、より寛大な道の社会主義になってもらいたいという思いを持ちながら折衝すれば、至誠天に通ずるというか、相呼応して貿易の道も進むでありましょうけれども、前の岡崎外務大臣というのになると、これは言語道断である。ああいうような態度で東南アジアや中国に対処したのでは、先方が相手にしないと思うのです。
至誠天に通じていない。われわれがどうも喜んで行く気になれないということにも、重大な欠陥があるということを考えてただきたいと思います。 話が余談にそれましたが、第一に国情勢、第二に国民生活の安定について御注意を促した。大体代議士というものは、質問をせぬか、こういうのですが、私は相撲の呼び出しじゃあるまいし、質問をして政府の意見を聞くだけでは、何もならないと思う。
いわゆる至誠天に通ずるという、単に武力とか腕力で押えつけるべきではなくて、至誠を披瀝して、もう少し私は確固たる一つ方針で進まなければ解決ができぬじゃないかと見ております。これはただいまおっしゃったように反共、防共の関係からそういう立場をとるのだということはよくわかります。私にはよくわかるのです。これは外務大臣にその点も御同情申し上げるわけですが、今のままではこれはちょっと心細い感じを持つのです。
結局お互いの真心と真心が通うような、至誠天に通ずるような気持で取調をしなければ、決して相手が本当の供述をしないのであります。従つて強要したり、大声を上げるとか、そういうようなことは絶対にありません。