1949-05-16 第5回国会 衆議院 本会議 第30号
もちろん、終戰直後、あるいは列車における集団強盗その他集團的な犯罪が続出したことはありまするけれども、漸次國内秩序の回復とともにそれが減少し、今日ではほとんどそれが見られない時に立ち至つて來ておることは、まことに喜ぶべきことだと思うのであります。
もちろん、終戰直後、あるいは列車における集団強盗その他集團的な犯罪が続出したことはありまするけれども、漸次國内秩序の回復とともにそれが減少し、今日ではほとんどそれが見られない時に立ち至つて來ておることは、まことに喜ぶべきことだと思うのであります。
大体そういうような二つの傾向がありまして、その二つの傾向について理論的にはいろいろの議論がございましたが、その後の世界経済の動きが自然のうちに経済統制の方向に向つて参りましたので、中央銀行と政府との関係もそれに從つて漸次密接を加えるに至つて來ておつたと思います。 これを我が國の場合について見ますると、日本銀行は從來英蘭銀行を模倣して、お手本としてやつて來ておつたと思います。
そこで、大体民主自由党のねらつているところ、さつきちよつと現在あるものは原則的にみな認めるのだというようなところに、その片鱗は見出し得るのでありますが、そういうとつぱなしにしてやらせたいのはやまやまだという料飲店再開イディオロギー、これがやはり九原則との間に相当矛盾を生じ、ぶつかりを生じて、今日に至つて來たのではないかと考えられるのでありますが、その点はどうですか。
その後われわれの得ております情報によりますと、だんだんと事態を認識するに至つて來た。政府といたしましては占領下にあります関係から、一時海外との通信も禁止せられておりましたし、その後開かれたのを利用しまして、いろいろ手を打つて來たわけであります。
こういう考え方で認めるに至つて來た。また勧告をするに至つて來た。そういうものでないかというのが私のその点についての考え方であります。もちろんそういう形でもつてこれを動かすべきかということについて、いろいろの問題がその間にあるでしよう。しかしながらその間にたとえば一つの顯著な例として、團体交渉権があるということを言つたところが、いわゆる人民裁判みたいなものをやつた。