1954-03-28 第19回国会 参議院 大蔵委員会 第27号
従来衆議院においては、予算に関係ある重要法案の審議に手間取つて、その送付が非常に遅れまして、当委員会の審議に支障を来すことがたびたびでありましたので、その都度、参議院議長から衆議院議長に対して厳重な申入れをなして参つたのは、御承知の通りでありますが、このたびもこの弊風は除去されずに、漸く本日に至つて予算関係の重要法案多数の送付を見ましたことは、私ども遺憾とするところであります。
従来衆議院においては、予算に関係ある重要法案の審議に手間取つて、その送付が非常に遅れまして、当委員会の審議に支障を来すことがたびたびでありましたので、その都度、参議院議長から衆議院議長に対して厳重な申入れをなして参つたのは、御承知の通りでありますが、このたびもこの弊風は除去されずに、漸く本日に至つて予算関係の重要法案多数の送付を見ましたことは、私ども遺憾とするところであります。
ただこの場合において我々の恐らく関心を拂うべきところは、戰争の犠牲者に対しては国民が相当同情を持つて処理して行かなければならんということと、それと一つは都市の計画にしましても、とにかく敗戰後の今日においては、徒らに雄大なる計画を立てて、あとに至つて予算などの伴つて行かぬようなことをしてもいかん。
六・三制なるものは、どなたも御承知のごとく、我が國敗戰の冷嚴な現実の中から、日本再建の基本的結論として、國民がひとしく確認した新教育制度でありますが、それが完成年度に至つて予算上ゼロとなつたのであります。而も本年度の総予算は七千億の厖大な数字でありまして、その中から僅かな百分の一程の小さな予算がどうしても取れない。
政府は組閣後、二月下旬に至つて予算編成を完了、関係方面と折衝を開始したようでありますが、その後ドツジ声明が発せられ、内示案なるものが提示されるに至りました。その結果政府は、客観的情勢と自己政党の公約との板ばさみとなり、遂に内示案に基き予算案を編成せられたようであります。
まず第一着手に予算大綱を諸君のお手もとに配付し、さらに本月八日に至つて、予算明細書を國会に正式に提出いたした次第でありまして、かように予算の提出が遅れましたことについては、先般も申し上げました通り、政府においては、これをまことに遺憾なことに存じております。 第二の問題は、今回の物價改訂並びに給與水準に対する理論的の根拠を説明するようにというお話であります。
ただいまは、最後に至つて予算的の措置を講ずるということにいたしておつたのでございます。それから國有財産の処分につきましての法律方の関係でございますが、私どもその当時——これは私の考えでございますが、連合軍に引渡されたものを、こちらに指示されて返還をされたわけでございますから、その意向に從つて処分することは、その当時としてはそれで差支えないものと考えておつたわけでございます。