2002-07-04 第154回国会 衆議院 憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会 第5号
ただ、例えば統帥権の独立などでは、これは天皇というものを公共性の象徴というふうに考えますので、そうでありますと、軍は公共的な存在である、政府といういわば幕府、これにつながるものであってはならない、そういった理解でありまして、これは自由民権論者も多く当時はそのような見解をとっていたわけです。
ただ、例えば統帥権の独立などでは、これは天皇というものを公共性の象徴というふうに考えますので、そうでありますと、軍は公共的な存在である、政府といういわば幕府、これにつながるものであってはならない、そういった理解でありまして、これは自由民権論者も多く当時はそのような見解をとっていたわけです。
現憲法制定誕生過程においても、憲法研究会の「憲法草案要綱」や高野岩三郎「日本共和国憲法私案要綱」、社会党を初めとする各政党の新憲法草案や私擬憲法草案等は、これまでの自由民権論の水脈を受け継いで国家を超えた多様な各国憲法を参考にしております。日本の民衆の伝統を踏まえて二十一世紀の国の形を論ずることが重要であると思います。
すなわち、伊藤は、民間の自由民権論者は「英米仏の自由過激論者の著述のみを金科玉条のごとく誤信し殆ど国家を傾けんとする」ものであるとし、「君権赫々」たる当時のプロシャ憲法を模範とすることが、「人権不墜の大眼目」を達成し、わが国情に最もよく合致するものと考えたのである。 「日本国憲法概説 佐藤功著」よりの引用であります。
明治七年、自由民権論者が藩閥政府に迫った民選議院設立建白書に端を発し、その後の血のにじむような運動によって、明治二十三年十一月二十九日第一回帝国議会が開かれました。そして、明治から大正、昭和、平成と続いた国会百年の歴史には、多くの先達の貴重な努力の跡が残されています。この記念する百年を迎えたときに私たちが国会議員であることを大変誇りに思います。
すなわち、伊藤は、民間の自由民権論者は「英米仏の自由過激論者の著述のみを金科玉条のごとく誤信し殆ど国家を傾けんとする」ものであるとし、「君権赫々」たる当時のプロシャ憲法を模範とすることが、「大権不墜の大眼目」を達成し、わが国情に最もよく合致するものと考えたのである。 「日本国憲法概説」佐藤功さんの本でございます。
わが国では明治初期に福沢諭吉・加藤弘之ら自由民権論者に承継された。」こうなっておるわけです。 これは、要するに先生のお考えは、いわゆる明治憲法の時代の、それも古い時代の考え方ですね。新憲法の時代になってこの天賦人権という考え方——選挙権が天賦人権という意味での基本的人権ではないというふうにあなたはおっしゃっているわけですね。
ドイツにおける議会においては、社会民主党がそれを削減することに成功しているので、この問題だけは削減させないように注意しろという、苦労の足りない、ビスマルクにだけ心酔したウィルヘルム一世が、明治十六年八月の二十八日と思いますが、ベルリンで伊藤博文にそのことを注意しておりますが、ビスマルクを神格化して大宰相としてあがめていたあの苦労の足りないカイザー及び日本の自由民権論者が、大隈にしても福沢諭吉にしても
従って民主憲法を擁護するということは、国民主権をどこまでも守り通す、基本的人権を擁護するということは、これは昔からいわれる天賦人権説やあるいは自由民権論などの議論は別といたしましても、いずれにしてもこれは絶対の権利である。