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19件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1977-05-18 第80回国会 衆議院 内閣委員会 第15号

生まれて間もないソビエト共和国の転覆を目的とした日本軍国主義シベリア出兵時に、日本ソビエト領海において自由出漁ということを直言して、軍艦の護衛のもとに大規模な略奪漁業を強行したことは、これは歴史の事実であります。一九二五年、日ソ基本条約締結後も日本略奪漁業を強行しておるわけであります。

上田卓三

1967-04-20 第55回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

もし今月一ぱいであれを妥結せずに、決裂したといたしますと、やはり自由出漁の問題も出てまいります。そういう決意を持つべきであるという考えも一部にはあったやに承っておりますけれども、そういうことがはたして現実の状況に照らして可能であろうか、また業界においてはそういうことがはたしてできるかどうかということも考慮に入れなければなりません。それからまた、このあとに残っております民間の協定の問題もございます。

倉石忠雄

1964-03-25 第46回国会 衆議院 農林水産委員会 第25号

いままでは魚族保存立場からも自由出漁でよかったものが、なぜ今度は許可制許可を受けなければならないのか、これがいわゆる締め出しを受けなければならないのかということになる。たとえばいままで一本釣りが一千五百そう行っておった。   〔小山(長)委員長代理退席委員長着席〕それがある程度に押えられるということが出てくるわけです。それはどうしてそういうような制限を受けなければなりませんか。

井手以誠

1961-04-20 第38回国会 参議院 外務委員会 第12号

森元治郎君 私は、ちょっとソ連も、このまま、ああそうですかでは引っ込めない、一波乱あると思うが、今度の交渉は、事務当局が魚の資源の問題でソ連側に協力する態度に出たためだろう、割合に静かに交渉が進んでいったようだが、やはり最後の締めくくりなりあるいは規制外自由出漁については、大臣クラスといいますか、こちら側では、高い水準での話し合いも予定されていると思うのだが、どうですか。

森元治郎

1958-04-11 第28回国会 参議院 農林水産委員会 第31号

どものこの話を待っておるのは、オホーツク海の問題も禁止というような問題に入らないで、それから全般の数量においては、こちらの申し出通りにはかりにいかぬといたしましても、ソビエト申し出はあまりに過少であるというようなこと等での折衝でいくんじゃないかというふうに思うておりますので、ただいまそういうふうな話がつかなかった場合は自由出漁するとか、あるいはその他の強硬な手段をとるとかいうようなことを言う段階

石井光次郎

1958-03-28 第28回国会 参議院 予算委員会 第19号

国務大臣石井光次郎君) お話のように、ただいま話がまとまらぬときは自由出漁をするということも、考えるものではないと思っております。私どもは、必ず赤城農相妥結点を見出してくれると思っております。それがどういう程度になりますか、漁獲量についても、向うから一応話の出ておるものを、こちらからも出ておるものとの間に相当差があります。

石井光次郎

1958-03-28 第28回国会 参議院 予算委員会 第19号

○曾祢益君 このオホーツク海を含めての問題が、公海の漁業自由、双方が納得する科学的根拠によって妥結する、あくまで妥結を目途として最後まで交渉を粘っていただくように、いわゆる自由出漁ということを言うことは非常に誤まりだと思うのですが、そういう場合には、最後妥結の線と国内の出漁準備とのずれというものがあり得るわけです。

曾禰益

1958-03-20 第28回国会 参議院 外務委員会 第11号

あくまでも、まあ私どもはその点は赤城農相にもはっきり言っておりますが、なかなか相手を説得するというのも時間がかかるだろう、ゆっくり腰を落ちつけて、十分に粘って話をつけてくれということを言うてありまして、決して決裂の場合を想像して、自由出漁するとか何とかいうことをプレス・キャンペーンをするとか、あるいは政府がそういう意向を持っているということは絶対ないということを明確に申し上げておきます。

岸信介

1958-03-20 第28回国会 参議院 外務委員会 第11号

その点についてのお考えを承わりたいとともに、特に私が今日発言を求めたのは、実は今日の新聞記事を見て非常に私は憂えた、それは相当数新聞に、どういう筋かは知らないけれども交渉がきまらなければ自由出漁をする、自由出漁に対して妨害があるならば、これは国連の安全保障委員会に提訴するというような記事が出ている、一体そういう記事がどういう筋から出たのか、おそらくこれは記事の書き方から見て、単なる漁業資本等からのあれでなくて

曾禰益

1958-03-18 第28回国会 参議院 外務委員会 第10号

国務大臣藤山愛一郎君) 新聞紙上には、巷間いろいろ赤城政府代表考え方を推測した議論が出ているようでありますが、赤城代表としては、できるだけ全力を尽して妥結の道に進むという考え方で出発されているのでありまして、その意味において、決心は非常にかたく行かれますけれども、最終的には自由出漁するのだとか、しないとかいう考え方で現に御出発にはなっておりません。

藤山愛一郎

1952-12-27 第15回国会 衆議院 水産委員会 第16号

従つてもし不幸にして北海道側要求がいれられないというようなことになりますれば——こういうことを申し上げていいかどうかわかりませんけれども、あるいは無許可自由出漁というような最悪の事態になることをも恐れておるのでありまして、こういうことになりますと問題は非常に大きくなつて参ります。

山中日露史

1952-07-30 第13回国会 衆議院 水産委員会 第52号

昨年のさんま解禁に対しては、八月の二十五日という大臣告示がありまして、北海道においては、これを不服として自由出漁をいたしまして、八月の十一日に出漁したのであります。その結果が大きな政治問題化したのでありますが、本年のさんま解禁に対しては、幾たびとなく当委員会においても水産庁方針説明されんことを要望したのでありますが、一回も委員会には説明がなかつたのであります。

松田鐵藏

1952-06-30 第13回国会 衆議院 水産委員会 第49号

それを八月の十一日から自由出漁をした。しかもその結果が、正しい漁民の二十五日から出漁した者は漁獲をせずに、不法出漁して漁獲をした者だけ取り得であつて、何ら処罰されたことは見えなかつた。まことに水産庁はこの密漁問題に対しては手ぬるかつたことで、われわれも遺憾の意を表しておつた。しかし本年においては正しい漁民のあり方をはつきりと教えて、しかしてそれを守るようにしていただかなければならないのである。

松田鐵藏

1952-06-23 第13回国会 衆議院 水産委員会 第47号

それならばそこの裏には何があるかといつたら、昨年自由出漁をしたときの、われわれが十日から出た、それをカバーするという彼らの面子を立てる以外の何ものもない。漁民を犠牲にして、彼らの意見の十日なら十日というものが事実とれたのであるから、その日をもつて解禁日に指定することは、われわれはこれは決していやだというんじやない、いけないというのじやないです。

松田鐵藏

1952-06-23 第13回国会 衆議院 水産委員会 第47号

さて昨年廣川大臣が八月の二十五日に、委員会意向水産庁意向も無視して、内地業者の一方的な陳情によつてこれをきめたのに端を発して、自由出漁となつたのであります。漁業規則の上からいつても、まつたくゆゆしき問題で、当委員会としては相当議論になつた問題であります。私は御承知の通り北海道さんま漁業者を選挙区に持つておるのであります。

松田鐵藏

1952-02-11 第13回国会 参議院 水産委員会 第8号

例えば新聞紙上などを見ますと、大体カニ工船につきましてはいわゆる自由出漁というような建前からしていわゆる日水のほうの行き方、それから又大洋、日魯の行き方とこの二つの行き方があるわけでありますが、果して長官としてはつきりと特定の会社として一船団、いわゆる一つの母船による船団というふうにまとめ上げる自信がおありかどうか。その点についてお聞きしたいと思う、こういうふうに考えております。

青山正一

1951-11-10 第12回国会 衆議院 水産委員会 第11号

そのとき、農林大臣は、今日本の国が三国漁業協定をしなければならぬ重大な時期にあたつて、法の定めておる漁期をも踏みにじつて自由出漁したなどというような根室の漁民は、まことに遺憾千万である、かような漁民は民主化された漁民としてわれわれは待遇するわけに行かぬ、こう言うて非常に叱責されたのであります。

松田鐵藏

1951-11-06 第12回国会 衆議院 水産委員会 第9号

それに対しまして水産庁といたしましては、解禁日の問題はやはりさんま取締規則の上から申しまして調査の結論に基き、しかも現地において関係者意見を聞いた上で決定するという手続になつておることをよく説明いたしまして、その会合の席上で解禁日の発表をするように約束してございましてその場合に、言葉の上ではありますが、もし漁業経営の問題からいたしまして、解禁日をあまり遅らせるということになると、勢い自由出漁というような

松任谷健太郎

1951-11-06 第12回国会 衆議院 水産委員会 第9号

ただいまお話のございました八月一日以前の自由出漁に関する事件といたしまして、先月釧路地方検察庁において、試験船であると称してさんまの密漁をなしたという事件につきまして、告発を受理いたしました。現在愼重に取調中であります。この程の事件につきましては、検察庁といたしましても、従来特に愼重態度をもちまして取調べに当つて参つた次第であります。

高瀬礼二

1951-10-30 第12回国会 衆議院 水産委員会 第7号

松任谷説明員 さんま違反の問題につきましては、当時の状況におきまして、水産庁方針をその当時発表しました通り自由出漁に対する首謀者並びに責任者処罰するというような方針のもとに、北海道庁の許可漁業になつておりました関係上、あの程度処罰をやつたならば、処罰の効果が上るというような方針でやつたのでございます。

松任谷健太郎

1951-10-18 第12回国会 衆議院 水産委員会 第3号

従いましてこのさんま処分の問題につきましては、以上のような処置をとつたのでございますが、漁業関係全体に及ぼす影響を考えまして、このとつた処置につきましても、関係業者の方々にも、実は内地解禁日の際にこの事情説明いたしまして、自由出漁に対する法令違反処分として、水産庁としてこういう処置をとらざるを得なかつたという事情を申し上げたのでございます。

松任谷健太郎

1951-10-18 第12回国会 衆議院 水産委員会 第3号

ゆえに宮城県においては、事実かどうか知りませんが、二千そうというさんま漁船が待機して自由出漁するのだという、とんでもないことまでが持ち上つたよう新聞に報道されておるのであります。今後漁業取締りの徹底を期するために、水産庁当局一つの課を設けてこの徹底した一本となつた態勢を持つた機関を設ける意思があるかどうか、この点をお伺いしたいと思います。

松田鐵藏

1951-10-18 第12回国会 衆議院 水産委員会 第3号

同村においては、もつぱらたい延べなわ、たい一本づり、たこつぼ、たこ一本づりというものがその漁業の主体でありまして、やむを得ない方法といたしまして自警団が特に警察官の便乗を願い、協力を求めて、決して自警団は暴行をしないというふうな、きわめて穏当な行為によつて、幸いに自由出漁を取押えることに成功いたしたものでありますので、この際検察庁においては、将来の日本水産業のために、快刀乱麻を断つあざやかな判決を

永田節

1951-08-17 第11回国会 衆議院 水産委員会 第1号

それから会議の当日、ただいま川村委員の御指摘のような空気があつたかどうかという点でございますが、これは会議が終了後相当混乱いたしまして、傍聴なさつてつた多数の漁民の方が、期せずし自由出漁だということを口々に言われたことはよく承知しております。但しその間に私としては煽動的なことはなかつたように思いまするが、私の見たところでは、期せずし口々にそういう声が出たということはよく承知しております。  

高橋泰彦

1951-08-17 第11回国会 衆議院 水産委員会 第1号

物がほしいからどろぼうする、どろぼうすれば監獄に行く、その監獄に行く行為を、あえてほしいからとつたのだ、自由出漁したのだ、これを認めたのだというに至つて——しかし林君のごときは、この省令と法律感情が加わつておるというようなことまで先ほど発言をされたのでありますが、感情とは一体何をさして言われるか。法律感情は絶対にありません。神聖であるべきはずのものである。

永田節

1951-08-17 第11回国会 衆議院 水産委員会 第1号

そこで最後北海道側が、どうしてもこれでは了承できない、魚が来ておるのだから、われわれの要求をいれなければ、自由出漁をとめるわけには行かないというふうなお話でありますが、しからば会議の前に自由出漁の船が何隻かあつたかどうかという点と、もう一うは、北海道要求が大体八月の十五日であつた、それが二十五日と十日間遅れたのでありますが、会議が終ると、ただちに出たことになる、というのは、私が十三日に札幌に行きました

川村善八郎

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