1997-05-30 第140回国会 参議院 本会議 第30号
NTTの民営化は、一九八三年、当時、橋本総理が自民党行財政調査会長であったときに決着したということでございますが、それ以来、世界の電気通信が日々大きな変化を続け、電話料金値下げに対する強い国民の世論にこたえるべく迅速にNTTを再編すべきであったのに、なぜ十四年も時をずるずるかけなければならない必然性があったのでしょうか。
NTTの民営化は、一九八三年、当時、橋本総理が自民党行財政調査会長であったときに決着したということでございますが、それ以来、世界の電気通信が日々大きな変化を続け、電話料金値下げに対する強い国民の世論にこたえるべく迅速にNTTを再編すべきであったのに、なぜ十四年も時をずるずるかけなければならない必然性があったのでしょうか。
それは、翌一九八三年、中曽根内閣で、当時、自民党行財政調査会長であった橋本龍太郎私案で決着し、電電公社を民営化するとはしたものの、公社の再編成については十年後に先送りしたからであります。そして、一九九〇年に、政府はさらに五年見送り、さらに一九九六年に一年先送りをしたからでございます。情報通信の世界におきまして十四年間という歳月は、全く決定的とも言える歳月となりました。
なぜなら、総理は、中曽根内閣時代の自民党行財政調査会長としてらつ腕を振るわれ、いわゆる族議員と呼ばれる人々の圧力に屈することなく三公社の民営化を推し進め、その後、運輸大臣として国鉄改革関連法案を通されたという実績がおありになるからであります。 ところが、私がこちらに出てまいりまして五カ月を経過しても先が見えてこない。
橋本総理は、昭和五十年代、自民党行財政調査会長として地方分権に情熱を傾けておられました。私は、総理が今なおいささかも変わらない情熱を持ち続けておられるものと信じ、総理の地方分権に対する基本姿勢を伺って、私の質問を終わります。(拍手) 〔国務大臣橋本龍太郎君登壇、拍手〕
昔私は、橋本自民党行財政調査会長が大変な勉強をなすって行政改革に取り組まれていらっしゃった姿を、私の場合は本当に部分を見ておりましただけでございますから、よしの髄から天井をのぞくような、そういう本当に部分的なことでございましたけれども、かいま見ておりまして、そのときの本当に詰めに詰めた白熱した議論、あるいは当時の橋本会長の気迫のある姿勢というものを思い返してみますと、大変失礼ですが、武村大蔵大臣初めさきがけの
そのころ通産大臣は、自民党行財政調査会長として、三公社五現業の改革を初めとする大改革の陣頭指揮をとられていたということで、取材をした覚えがあるわけでございます。
そのときに第二次石油ショックが起こって、昭和五十五年度が自民党行財政調査会長。その年が財政再建の第一歩でございまして、公債の対前年度減額開始をしたときでございます。昭和五十七年度がゼロシーリング、公務員の定員圧縮、それから老人保健制度の創設、いわゆる老人医療の一部負担の導入等をやったところであります。