1980-11-27 第93回国会 参議院 運輸委員会 第10号
石井提案にも——石井提案があるでしょう、自民党航空対策特別委員会に石井私案として出した。石井私案の中にも同じ数字を使っていますよ。あなたどこを見ているんですか。担当大臣としてあなたはとんでもないですな。私はそれ以上追及しませんから後ほどよく調べてください。 ただ、私が言うのは、文明社会であるから将来に向かってやることは結構でありますけれども、大蔵省もずるいと思うんですよ。
石井提案にも——石井提案があるでしょう、自民党航空対策特別委員会に石井私案として出した。石井私案の中にも同じ数字を使っていますよ。あなたどこを見ているんですか。担当大臣としてあなたはとんでもないですな。私はそれ以上追及しませんから後ほどよく調べてください。 ただ、私が言うのは、文明社会であるから将来に向かってやることは結構でありますけれども、大蔵省もずるいと思うんですよ。
九、昭和四十七年三月二十二日及び五月二十六日の自民党航空対策特別委員会の議事メモのうち、佐藤孝行政務次官がまとめた私案に関する部分の要録。
なお、昭和四十七年三月二十二日の自民党航空対策特別委員会において、航空企業の運営体制についての議論があったとき、私が全日空に手かせ足かせをはめるなと発言したごとく報道されていますが、私の発言内容は全く逆であります。余り小さいことを決めるな、運輸省に任しておけば心配がない、党は運輸省に手かせ足かせをはめるなということを申したのであります。
これは自民党航空対策特別委員会として運輸省、運輸大臣に出されたものなのか、それとも言われるように佐藤孝行政務次官個人が出されたものなのか、その辺についても木村大臣は何ら関知していないので全くわからぬということでしょうか。それともその後何かお聞きになりまして、これに対するお答えがあれば、ひとつお聞かせをいただきたいと思います。
当時の会議の模様につきましては、これは自民党航空対策特別委員会でございますから、運輸省の主催ではございませんことは、私は百も承知をいたしております。きわめて大事な運輸省の案を中心にいたしまして、そこで説明を受け、議論が交わされたということでございまして、その議事の内容につきましては、当時議事録として、あるいはメモとして残されたということでありますが、そのことは運輸省は御存じでしょうね。
○松本説明員 三月二十二日の自民党航空対策特別委員会に対しましては、運輸省の方からは佐藤孝行政務次官、航空局長、それから監理部長、これが出席していると承知をしております。
○中村説明員 まず三月二十二日の自民党航空対策特別委員会に対して運輸省から提出した資料でございますけれども、いわゆる閣議了解の内容を具体化するということについて、運輸省としていろいろ検討をいたしまして、一つの検討のための試案というものをつくりまして、これを委員会に御提出して御説明した。したがって、これがいわゆる検討のまず第一歩であった、こういうふうにお考えいただいていいと思います。
○松浦(利)委員 この自民党航空対策特別委員会が運輸大臣に提出した文書が日航にもある、日航の当時の資料ファイルに公式文書として挿入をされておるということを私は聞いておるわけでありますが、そういう事実がありますか。
五月二十九日には自民党航空対策特別委員会に運輸省から次官、あなたや航空局長も行ったのでしょう。五月二十九日に行くことになっていたのですか。どっちですか。
新聞にも報道されましたように、この六月二十六日付の福永文書は、四十七年五月二十六日付で全日空が「航空企業の運営体制について(要望)」という自民党航空対策特別委員会に出した文書と前文の部分が全く一緒だ。私もこれはほんまかいなと思ってずっと見てみたのですけれども、全く一緒ですね。そうすると、何かが土台にあって順次つくられていっておるという印象を深くするわけであります。これはおかしいと思いませんかね。