1999-04-21 第145回国会 衆議院 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会公聴会 第1号
日本海軍航空隊が一九三八年、ちょうど今から六十年前になりますが、中国の臨時首都であった重慶に対し爆撃を加えたことがあります。私は十年以上前にその現場を、数カ月滞在して調べたことがありますが、日本海軍航空隊の攻撃もまさしく、まず最初は飛行場を破壊する、次に飛行機を破壊する、その次に軍事施設、そして最後は無差別、都市無差別というふうにいくわけです。
日本海軍航空隊が一九三八年、ちょうど今から六十年前になりますが、中国の臨時首都であった重慶に対し爆撃を加えたことがあります。私は十年以上前にその現場を、数カ月滞在して調べたことがありますが、日本海軍航空隊の攻撃もまさしく、まず最初は飛行場を破壊する、次に飛行機を破壊する、その次に軍事施設、そして最後は無差別、都市無差別というふうにいくわけです。
朝鮮の問題は、昨年末御報告申し上げまして以来、ことに昨冬クリスマス前後から活発に活動の情勢に展開しました中共の攻撃によりまして、一月三日には、国際連合軍は京城を放棄し、韓国政府は再び釜山に臨時首都を移すのやむなきに至つた次第でありまするが、その後の戰局は、現在水原、利川、驪州、原州等の線を中心にした一帶におきまする攻防が行われておるようでありまして、最近国際連合軍の態勢の建直し等によつて、有利に展開