2015-03-24 第189回国会 参議院 予算委員会 第12号
お尋ねの葉たばこ問題につきましては、これに明確な定義があるわけではございませんが、昭和五十七年七月三十日の臨時行政調査会の基本答申、行革に関する第三次答申におきましては、国産葉たばこについて、約十二か月分の過剰在庫が生じ効率的な経営が阻害されている、品質などを加味した価格が国際価格の三倍強にあるということから、製造原価を押し上げ、国際競争力に影響を与えているという問題を指摘しているところでございます
お尋ねの葉たばこ問題につきましては、これに明確な定義があるわけではございませんが、昭和五十七年七月三十日の臨時行政調査会の基本答申、行革に関する第三次答申におきましては、国産葉たばこについて、約十二か月分の過剰在庫が生じ効率的な経営が阻害されている、品質などを加味した価格が国際価格の三倍強にあるということから、製造原価を押し上げ、国際競争力に影響を与えているという問題を指摘しているところでございます
そして、十年後の一九八二年七月に臨時行政調査会がまとめられました行政改革に関する第三次答申(基本答申)の中で、特に医師については過剰を招かないよう合理的な医師養成計画を樹立すると提言いたしました。これを受けまして、当時の鈴木善幸政権が一九八二年九月の閣議で医師抑制策を決定いたしました。
このため、第二次臨時行政調査会から始まる行政改革から中央省庁再編に至るまで様々な統治機構の改革が行われてきましたが、十分な成果を上げるに至っていません。 本来、議院内閣制を取る我が国において、国会の信任を受けて行政権をつかさどるのが内閣です。この内閣の機能強化を目的として中央省庁再編が行われました。しかし、行政組織の根幹を成す公務員制度改革の本丸は手付かずのまま残されてきました。
特別会計の制度においては、五十年前、昭和三十九年の第一次臨時行政調査会で議論が始まって以来、五十年間、毎年毎年議論をしてまいりまして、いわゆる特別な会計、別勘定で分けているわけですから、その宿命と言っていいんでしょうか、不透明さが問題にされてきたわけです。
地方分権は、昭和五十七年の第二次臨時行政調査会、いわゆる土光臨調の第三次答申で行政改革の一環で取り上げられ、平成七年に地方分権法が、同十一年に地方分権一括法が、さらに平成十八年には地方分権改革推進法がそれぞれ成立をいたしました。土光臨調の答申では、国の地方公共団体に対する規制や関与の積極的な緩和や地方財政の自律機能の強化が織り込まれながら、長らくそのことが実現をいたしませんでした。
また、かつて、これは私も先輩から伺った話ですけれども、一九六二年、第一次臨調、臨時行政調査会ですが、ここを明確に法的に位置づけをして、このための法律をつくって、そして二年半かけまして、一九六四年に意見書が出されております。この中身が、行政手続法であるとか内閣府の設置など、後の行革の流れをつくる実に基本的な提案が盛り込まれているわけです。
私が勤めた役所というのは、入ったときは行政管理庁でありましたから、各省の幹部と接触する機会が非常に多うございましたし、臨時行政調査会以来、土光臨調以来、民間の人たち、あるいは政府のトップの人たち、政治家と接触する機会が非常に多うございました。
国民負担率という考え方が使われるようになったのは、一九八二年の臨時行政調査会の答申からと言われております。一九九三年の行革審の答申では、高齢化のピーク時において五〇%以下を目標とすることが示されました。一九九七年実施の財政構造改革法第六条では、国民負担率を五〇%以下にすることが法律で明記をされました。
○国務大臣(長妻昭君) 今のお尋ねでございますけれども、昭和五十七年の臨時行政調査会の答申においては、国民の負担感の限度や社会の活力の維持を考慮すれば、当時ヨーロッパ諸国の水準が五〇%前後だったということでございまして、それより低くとどめることが必要であるとして、その時点で設定されたというふうに考えております。
次は昭和五十七年、これは臨時行政調査会、第二臨調のときに一括整理をされたものであります。どうやら、大体三十年置きぐらいに整理を実はかけてこられたようにお見受けするわけであります。 一九八二年から、ことしで二十八年たちました。そろそろ三十年に近づきつつあるわけであります。
そして具体的には、古い話ですけれども、当時の経団連の会長、土光敏夫さんですが、それを担ぎ出しまして、臨時行政調査会、いわゆる臨調というのを始めたわけであります。土光臨調ということでやりましたが、総論は賛成、しかし各論は反対というようなことで、実質的には余り効果を上げなかった。
もっと早く何でやらないんだ、何でできなかったんだという気持ちはもとより私にもありますが、昭和四十八年の整備計画の決定されました後に国鉄の危機的な経営悪化、これで、昭和五十七年でありますけれども、国鉄経営の危機的な状況にかんがみというので、臨時行政調査会、ここで整備新幹線計画は当面見合わせるというのが出てまいりまして、一時凍結されてまいりました。
○国務大臣(河村建夫君) この問題どう考えるかということだと思いますが、御指摘のように、閣議決定といいますか、当時の臨時行政調査会からこのような指摘を受けて、それで、できるだけ民でやれることは民にやるべきだという指摘があったわけですね。そこで、そういうことがあって採用はしないと、原則として採用は行わないというふうに来ております。
臨時行政調査会の最終答申後における行政改革の具体化方策についてというものでありまして、その一番下に、「乗用自動車運転手の欠員不補充措置を引き続き実施するものとする。」ということで閣議決定をしているんです。ですから、この閣議決定を見直してしまったら運転手は正規雇用にできるんです。ですから、是非これは閣議決定の内容を変えればいいんです。
○政府参考人(外口崇君) 御指摘の閣議決定でございますけれども、これは昭和五十七年の七月に臨時行政調査会がまとめた行政改革に関する第三次答申を受けて、同年九月に今後における行政改革の具体化方策について決定したものであります。
ちょうど今から五十年近くも前になるわけですけれども、第一次臨時行政調査会というのがございまして、佐藤喜一郎という方が会長でありましたけれども、十六項目にわたります包括的な行政改革の提言をいたしました。
御承知のとおり、公務員制度改革は、昭和三十七年に始まった第一次臨時行政調査会を初めとし、昭和五十六年に始まる土光臨調、第二次の臨時行政調査会でございますが、それとか、平成九年の行政改革会議の最終報告、平成十三年の公務員制度改革大綱等々、過去四十年以上にわたり、さまざまな角度から検討され、提言がなされてきました。しかしながら、いろいろ経緯はございましたけれども、さしたる進展は見られませんでした。
それで、ちょっとまた原点に戻るんですけれども、公務員制度改革というのは、一九六二年ごろに第一次臨時行政調査会で話合いが持たれまして、このときにも既に国家公務員の公務の民主的で能率的な運営を保障するが、公務員の現状は相当懸け離れているという、そういった指摘がありました。
昭和三十七年に始まった第一次臨時行政調査会では、公務員の政治的中立性の維持、人事管理の確立、信賞必罰の励行と能力本位の昇進、処遇の改善、人事運用の閉鎖性の排除などを答申いたしました。昭和五十六年に始まる第二次臨時行政調査会、会長の名前にちなんで土光臨調とも呼ばれておりますが、第二臨調の答申では、実現可能性を重視したためか、より各論的な議論がなされました。
○政府参考人(松谷有希雄君) 御指摘の昭和五十七年七月の臨時行政調査会答申及び同年九月の閣議決定では、医師について、過剰を招かない合理的な医師の養成計画を確立することとし、その後、医学部の定員は、ピーク時の昭和五十九年と現在と比較いたしますと七・九%、人数でいいますと六百五十五人減少しているところでございます。
四十年以上前になりますが、昭和三十九年九月、これは第一次臨時行政調査会、そこでも取り上げられております。特別会計の設置は財政の一覧性の見地から厳格に制限すべきである。こうした指摘がありまして、この三十一の特別会計、現在に連なる特別会計の見直しが図られてきたわけであります。
昭和五十六年三月、いわゆる一般に言われる第二次臨時行政調査会が設置され、同七月に第二臨時行政調査会第一次答申として具体的方策を提示しました。第一次答申の中では、緊急に取り組むべき改革項目の、改革方策の項目で、行政の合理化、効率化の推進の内容として、特殊法人の合理化、効率化方策に初めて電電公社の方向が答申されたわけであります。