2020-05-15 第201回国会 衆議院 文部科学委員会 第7号
○浅田政府参考人 秋季入学につきましての過去の検討としては、昭和六十二年の臨時教育審議会第四次答申があります。ここでは、全ての教育段階での秋季入学についての検討がなされております。 この答申では、秋季入学は、一つには、効率的な学習、学校運営、二つ目に、国際社会との整合性といった理由から意義があるとされております。
○浅田政府参考人 秋季入学につきましての過去の検討としては、昭和六十二年の臨時教育審議会第四次答申があります。ここでは、全ての教育段階での秋季入学についての検討がなされております。 この答申では、秋季入学は、一つには、効率的な学習、学校運営、二つ目に、国際社会との整合性といった理由から意義があるとされております。
大学入試における英語の民間試験活用につきましては、臨教審、臨時教育審議会の教育改革に関する第二次答申、昭和六十一年の四月でございます、この段階において、大学入試において、英語の多様な力がそれぞれに正当に評価されるよう検討するとともに、第三者機関で行われる検定試験などの結果の利用も考慮すると示されたことから始まっております。
ただ、注意していただきたいのは、英語の民間試験の導入につきましては、今からもう三十三年以上も前、一九八六年の臨時教育審議会で答申をされております。 今回の事態を受けて、今後、慎重に目配りをしながら対応していかなければいけませんけれども、やはりこれは長年の懸案でもございますので、前向きに取り組んでいただきたいというふうに思います。 それで、今回、どこで間違ったのか。
他方、戦後の教育については、例えば昭和六十二年の臨時教育審議会の答申において、権利と責任の均衡が見失われたりした面も現れたなどの指摘がなされており、道徳心や自立心、公共の精神などを教育においてより一層重視すべきだというような今日的課題があるというように承知をしております。私もそのことは就任直後の記者会見で紹介をさせていただいております。
一方で、戦後の教育については、例えば昭和六十二年の臨時教育審議会の答申において権利と責任の均衡が見失われたりした面も現れたなどの指摘がなされ、道徳心や自律心、公共の精神などを教育においてより一層重視すべきなどの今日的課題があるというように承知をしております。 ということで、そういった変更点あるいは問題意識の変化ということがあったというように承知をしております。
戦後の詰め込み教育の批判を背景に、一九七〇年代に日本教職員組合がゆとりある学校を提起して、一九八〇年代に中曽根内閣における民間有識者で構成される臨時教育審議会で、個性の重視、生涯学習体系への移行、国際化、情報化への変化などの対応というようなことでゆとり教育の基本となる答申がまとめられ、一九九六年には橋本内閣の中央教育審議会の答申で、校内暴力や非行、社会問題を背景に、これからの社会に求められる教育の在
委員御指摘の臨時教育審議会が取りまとめました答申におきましては、教育改革の視点といたしまして、まず第一に個性重視の原則、第二に生涯学習体系への移行、第三に国際化や情報化といった変化への対応が掲げられておりました。
そのときに、私はずっといつも注目しているのは、今から三十年前になりますけれども、一九八〇年代の半ばに中曽根内閣の下で設置された臨時教育審議会、いわゆる臨教審ですね、それが一九八六年第二次答申の中で、おおよそ次のようなことを言っているわけです。
こういったことに対して、これを変えていかなければならないということで、臨時教育審議会以降、私どもも高等学校の制度を多様化するための取組は続けてきておるところでございます。
その後、昭和五十九年に、当時の中曽根内閣で、国会で臨時教育審議会設置法という法律ができまして、臨時教育審議会が議論を始めました。昭和五十九年から六十二年まで三年間、これからの日本の教育がどうあるべきかという議論をいたしました。
秋入学に関しましては、これまでも、昭和六十二年に臨時教育審議会、秋入学制への移行という提言がされて、それ以後も、教育改革国民会議や政府の教育再生会議においても検討がされてきました。 平成十九年に学校教育法施行規則が改正されて、入学時期というのは学長の判断で決められるようになりました。
○高井大臣政務官 法人化の経緯でございますけれども、中央教育審議会、臨時教育審議会の答申初め、平成十六年四月に法人化するまでに、政府の審議会等において、国立大学の自主性を尊重しつつ研究、教育の質的向上を図るという観点から、いろいろな議論がこの間なされてまいりました。
○高井大臣政務官 御指摘ございました大学設置基準の大綱化についてですが、臨時教育審議会において、大学教育の個性化に関する提言という、昭和六十二年のこの提言に沿いまして大学審議会において審議を行って、大学設置基準を可能な限り大綱化し、個々の大学がそれぞれの理念、目的に基づき自由かつ多様な形態で教育を実施できるようにする必要があるというふうに、平成三年の答申の内容をさらに踏まえた上で必要な制度改革を行ったという
そして三番目には、特に一九八〇年代の臨時教育審議会答申以降強調されております日本の伝統、文化の理解と尊重、それに基づく日本人としての自覚としての愛国心。この三つの言わば相貌が、顔が、五〇年代以降の道徳教育政策に即しては指摘されるのではないでしょうか。
それから、臨時教育審議会以降の教育の新自由主義的、市場原理主義的な改革、特にこれは教育の機会構造の再編であります、それは一部の利益を不当に優先し、教育の私事化とモラルハザードを促進していないか。これもよく考える必要のあるところであります。
過去の教育改革論議を踏まえ、中曽根内閣当時の臨時教育審議会、また森内閣当時の教育改革国民会議の十七の提案で述べられたことは、今となっては不十分だったのか、総理に答弁を求めます。 教育再生会議には、教育現場の経験者はたった二人だけ、教育問題の研究者はいません。文科大臣から諮問を受けた中教審は、土日返上の突貫審議を行って、わずかな期間で答申を強いられました。
臨時教育審議会及び教育改革国民会議での議論についてお尋ねがありました。 臨時教育審議会の答申や教育改革国民会議の報告は、それぞれの時代において、重要とされた教育改革についての方針が示されたものであり、これらについては着実に実行してきたところであります。 しかしながら、なお、子供たちのモラルや学ぶ意欲の低下、子供を取り巻く家庭や地域の教育力の低下などが問題となっています。
教育に関する議論を行っているところでは、もちろん中央教育審議会、それから三年間の時限立法で臨時教育審議会等ございましたし、規制改革・民間開放推進会議というのも、たしか規制改革の話の中で教育委員会制度なんかもこのとき議論されていたように思います。
例えば、かつて中曽根首相が設置された臨時教育審議会は先見的な提案を数多く行い、その後の教育改革に非常に大きなインパクトを与えております。また、小渕首相は教育改革国民会議を組織され、私もこれに参加をいたしましたが、教育の原点は家庭であることを自覚する、一律主義を改め個性を伸ばす教育システムを導入するなどの提案を行うとともに、教育振興基本計画の策定と教育基本法の見直しを訴えたところでございます。
一九八〇年代に臨時教育審議会などが開かれまして、その中では生涯教育というよりは学ぶ側のその行動や状況を重視するという形で生涯学習という言葉が多く用いられるようになりまして、そして今では生涯教育は生涯学習の支援という言い方をしまして、私たちの人生において重要な位置を占める教育活動になっています。 その中で、私たちの人生というか生き方が随分変わってきている現状があります。
○参考人(高倉翔君) 前半の部分の不要論云々ということに関連しまして、かつて臨時教育審議会の答申は、制度として形骸化していたり活力を失ってしまったりしているところも少なくなく、制度本来の機能を十分に果たしているとは言い難いということで、不要論ではなくて、何かこれにカンフル注射、あるいはそれの生き返る、あるいは生き生きと出直す道はないかということを模索する提言をされたと私理解しております。
この教育刷新委員会は一九四七年八月から五二年六月まででありましたが、二回目はどこかと申しますと、あの中曽根内閣のときの臨時教育審議会でありました。それ以外は全部中央教育審議会のレベルでやっていました。
当時、総理のもとに置かれた臨時教育審議会で教育改革が議論されておりましたが、私も、当時、最年少委員として教育改革にかかわり、以来二十年、教育をよりよくすることをライフワークとして取り組んでまいりました。 本日、念願の教育基本法改正に向け大きく前進することとなり、感無量であります。
臨時教育審議会が終わった後、ゆっくりと、しかし確実に、文部科学省は教育の階層化に向けて一歩一歩歩を進めているように私には見受けられます。
○松下公述人 これまで教育の問題について、子供たちの犯罪の問題とかいろいろ困った状況が起こりましたときに、例えば臨時教育審議会とか、教育の問題ではあるけれども、いろいろな分野の方々からそれぞれの御意見を聞かなければいけないといって、臨時教育審議会あるいは教育国民会議などが開かれて、その時々の課題についての見通し、それから改定案のようなものは出されてきたというふうに思っています。