1989-12-14 第116回国会 参議院 文教委員会 第4号
今日の教育行政と関連づけて考えますと、臨教審委員の選任経過、教育委員が公選制から任命制になり、文部官僚による支配・統制が強化され、学歴社会における過熱した受験教育が荒廃を招き、「子女をしてその年ごろに必要な一つの生活を創造せしめること」ができない今日の状況に思い至るのであります。 晶子はこの文章を書いた二年後、文化学院を創設して、教育理念としての自由教育を実践いたしました。
今日の教育行政と関連づけて考えますと、臨教審委員の選任経過、教育委員が公選制から任命制になり、文部官僚による支配・統制が強化され、学歴社会における過熱した受験教育が荒廃を招き、「子女をしてその年ごろに必要な一つの生活を創造せしめること」ができない今日の状況に思い至るのであります。 晶子はこの文章を書いた二年後、文化学院を創設して、教育理念としての自由教育を実践いたしました。
この中身については承知をしておりませんけれども、多分臨教審委員の問題あるいは就職協定の問題が話し合いをされたのではないか、このように伝わってきているわけであります。 就職協定問題で既に請託の関係にあった藤波官房長官と江副氏に文部大臣が加わってゴルフをされている。一体これはどういうことなのかという疑念がいまだにぬぐい去れないというふうに私は受けとめているわけであります。
臨教審委員の人数が、九人から十五人が二十五人に増員されました。その増員の理由は中曽根好みの委員を入れるためではないかとよく言われておるのでありますが、その事実関係がもしお答えできればお答えをいただきたい、こう思います。
○佐藤(徳)委員 昭和五十九年三月時点では既に臨教審委員の人選が始まったはずであります。三月六日、中曽根・森会談が行われておりますね。これは人選のお話があったのかどうかおわかりになりますか。
中曽根政権下に行われた権力の犯罪とも言われ、文部省をも巻き込んだ戦後史上最大の疑獄事件の様相を呈しているリクルートコスモス株譲渡側の主役江副リクルート前会長は、高石氏らとの関係を利用して大学審議会等の委員に就任し、文部省関係の各種審議会には、臨教審委員を初め疑惑の関係者が次々と明らかにされております。
最後に、臨教審委員の人選においては国会の同意人事を必要としておりましたが、当法案では国会の同意人事とする考えがないのかどうかを伺っておきたいと思います。 以上の点について誠意ある御答弁を求め、私の質問を終わります。(拍手) 〔内閣総理大臣竹下登君登壇〕
臨教審委員の問題やら教育課程審議会で新たな教育課程をつくるというような問題など、そういう中でリクルートの江副前会長を教育課程審議会や大学審議会の委員に任命するということに深くかかわっていたことだけは間違いがないと思いますし、みずから文教行政のトップにあって采配を振るって、言えば臨教審関連の六法案などについてもその作業の責任に当たってきたということだけは間違いがない。
しかし、一応国会の本会議にかけて臨教審委員というものは選んだにせよ、あの答申について、これが大筋よろしいということを国会で公式に議論をしたというようなことは一回もないんですよ。
でも今までの報道としまして、これは率直に申し上げたいのですが、中曽根首相時代の臨教審委員選任に当たって、中曽根首相が江副をぜひ委員にというごり押しをして当時の話題になったことがあるという報道もありますし、また、江副氏は官邸に出入りして中曽根氏に気に入られていたんだなどと、官邸側から江副氏の名前が挙がっていたことを報道しておる向きもたくさんあります。
これは恐らく私の推測では、当時の新聞その他の状況からしまして官邸側からの名指しはあったと思いますけれども、しかし臨教審委員にはなれなかったのですね。臨教審が発足したのが昭和五十九年の九月でありますから、五十九年の十二月に森元文部大臣に対しましてリクルートの非公開株が譲渡されたわけでございます。譲渡株の中で、今まで既に提出をされております資料を見ますと、一番多い方が森さんでございます。
臨教審の委員の選定に当たってはどういうことが行われたのか、この点について聞きたいわけですが、江副氏そのものは臨教審の委員にはなっておりませんけれども、しかし、いろいろな報道を総合してみますと、臨教審委員選考のときに、官邸側からあるいは文部省に対して江副氏を候補として推薦をしてきた経過があるのではないかと思います。この点はどのように把握されておりますか。
文部省は、臨教審答申を受けてプレ大学審とも言うべき大学改革協議会を発足させましたが、そのメンバーを見ると、財界、産業界の委員が五人、臨教審委員が六人を占めています。
臨教審委員の一部として高等学校等の所管が教育委員会、又知事と行政の二元は改めて一元化すべきであるとの意見も伝えられているが私立学校の設置者と学校運営の特性と自主性、教育内容、学校運営の実態と四十年余にわたる実績について慎重に検討され、且つ今後のあるべき方向について誤りなき結論が下されることを期待したい。
それに対して、この臨教審委員を任命する総理大臣があのような文部大臣とは全然違う意見をおっしゃった、それは私は一つの意見だというふうに思っていたわけでありますけれども、大変強い御意見ですね。総理というのは解散権だけじゃなくてすごい力を持っていらっしゃるのだとしみじみ思ったわけでありますけれども、文部大臣、これは屈服をして入れられたのですか。
たよりナンバー十一に溜臨教審委員がこういうことをおっしゃっている。あの方は現場の教師ですからね。フランスに行きました、低学年は二十六人の生徒に対し正教員のほかに補助的な先生がついている、学力の不足している子供、読み書きのおくれている子供たちに対しては二十人に対して専門の教師が三人ついていると、こういうことを言っているんですね。 だから私は、六十六年完了の日程というのは遅過ぎる。
私はこれ以上言いませんけれども、このことは教育現場なり関連の皆さんに大きな衝撃なり影響を与えていますから、この部分は、後ほどあなたに対する臨教審委員としての私たちの見解を述べますから、このことは以上にしておきます。 それから、十一月十三日の文教委員会でも質問しましたが、七月二十四日の朝日新聞の記事について重ねて質問したいと思うのです。
あなたが臨教審委員として、しかも第三部会長として報道するときに、特定の団体なり特定の活動を挙げて、これは私の信念です、考え方ですという発表の仕方をすることがどうなのか。あなたは個人じゃないでしょう、臨教審委員は。法律で定められた公人でしょう。公の人として公の機関に発表するのでしょう。そのときに、特定のところを挙げて、私の信念ですという発表が適切なのかどうか。
したがって、ここに私は、有田臨教審委員の罷免を求める決議まで用意をしております。これを発動するかどうかということについては留保しておきます。 それで、きょう私が質問した、あなたも答弁された、このことに関連して、これからどういう対応あるいは態度をあなたがとるか、このことについて、この有田臨教審委員の罷免を求める決議を発動したいと思いますから、それまで留保しておきます。
そこで、臨教審委員の一人もこういうことをおっしゃいますね。これも報道されておるのですけれども、四十人学級も実現できないのに幾ら立派なことを言ったって学校現場の教師ははなもひっかけない、こういう言葉を使って臨教審委員が発言されているということがきょうの新聞に載っている。私はしかしこれは国民の意見だと思うのです。
つまり、教育基本法の精神というのは憲法の精神にのっとるということだと思うのでありますが、教育的に中立を標榜している臨教審委員が、犯罪の数々を重ねている集団に顔を出しているのは問題だと思いますが、この点に対する見解をお聞きして、終わりといたします。
○中川(利)委員 国立大学の学長や臨教審委員のあり方でお聞きするのでありますが、まず最初に外務省にお聞きいたします。 御承知の世界基督教統一神霊協会、いわゆる統一協会、あるいは原理運動と言っていますが、その教祖の文鮮明、韓国人でありますが、この方が昨年七月、アメリカで刑務所に収監されたわけであります。どんな理由で収監されたのか、外務省が把握しておりましたならばお答えいただきたいと思います。
第一点は、先ほど文教委員長の質問したことに関連いたしますが、この臨教審委員の臨教審以外での節度のない発言がいろいろな意味で波紋を呼んでいるわけであります。
論議はその審議会の中で、部会にしろまた総会にしろ大いに闘わせていただきたい、こう思いますけれども、我々が期待しておりますのは、そういう論議が闘わされてそれが集大成をされて、そして国民の納得する答申が生まれる、その答申に期待をしているのであって、臨教審委員の一人一人の個人プレーに期待をしているわけではないわけであります。
臨教審委員が教育基本法改正をほのめかすことは教育改革について有益とは思えない、このような言動はいたずらにイデオロギー的対立を持ち込むことになるんだ。さらに、朝日の社説を読みますと、教育基本法は準憲法的な性格を持っておる、その見直し論議は護憲か改憲かという鋭い政治的対立に直結している。これを臨教審で論議するということは、憲法をめぐる争いを臨教審に持ち込むことになる。
むしろ臨教審の委員にしたかったが、どうも二十五名の枠に入らなかった、だから準臨教審委員のような形で登用しようという形になったんじゃないかという、そういう疑問を持っている人はたくさんいるんです。だから、そういうところにも臨教審というものに対して政治的な権力の介入というのが徐々にあるんじゃないかということについて私は指摘したかったのであります。
そこでさらに伺いますが、香山健一委員が臨教審委員として九月の十四日、二十七日に審議会の議題への意見やそれから基本方向に対する提案を行っておられます。
総理の発言であり、臨教審の人選も、その任命権が総理にあるわけで、実際文教懇のメンバーの中から臨教審委員に任命された人もいるわけですね。この報告書も臨教審の審議の中に取り入れられていくのではないかと思うわけでありますけれども、どうでしょうか。
まず初めから政府なり事務局なりで固まったものにしてしまわないで、岡本会長を中心といたしまして臨教審委員の方々で、まずこの審議会をどう持っていくかという御論議をいただいて、そしてその何回かの御論議を踏まえて専門委員等の御委嘱もしていくようにする方がむしろ趣旨に沿うかと、こういうふうに考えておりますので、まだ今の段階では専門委員をどういうふうにお願いをするかという方針を決めておるわけではありません。
一方、森文部大臣は、何を審議してもらうかは臨教審委員の自由にお任せすると繰り返されております。そのうち総理のトーンも落ちてまいりまして、最近では、二十一世紀を担うにふさわしい青少年の教育、まことに空々漠々としたテーマを繰り返されるだけであります。