2006-05-26 第164回国会 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第4号
だけれども、リベラルで、なおかつ、吉田茂さんは天皇陛下にお会いするときは臣茂と言い、日本であることということを非常に大事にした。 戦前から戦後にかけて国体の護持という言葉があります。日本が日本であり続けることを国体の護持という。
だけれども、リベラルで、なおかつ、吉田茂さんは天皇陛下にお会いするときは臣茂と言い、日本であることということを非常に大事にした。 戦前から戦後にかけて国体の護持という言葉があります。日本が日本であり続けることを国体の護持という。
総理の指導者吉田茂さんは、臣茂と言っているくらい、とにかく皇室に対する考え方を持っているのですから、そのお弟子さんというわけではないでしょうが、やはり同志であり、そしてあなたの指導者ですから、そういうつながりからも、この際断固として一つやってもらう。もしやれないなら、おれはやれないから、国民、君らよろしく何かやれとおっしゃれば、それはだれでも立ち上がる。
そこで総理の指導者というのですか、総理の親分というのか知りませんが、吉田さんなどはまだこういう時代にならぬうちに臣茂なんといって、非常に皇室に対する考え方は確たるものを持っていらっしゃる。
日本の平和と安全を守るということは国民何人も異論のないところでありまして、終戦の詔勅にもたしか「萬世ノ為ニ太平ヲ開カム」という言葉があつたと記憶しておりますが、みずから臣茂と称せられる吉田首相以下現内閣の閣僚は、たとい私どもと政治的見解を異にしましても、日本の平和と安全を確保する方策については日夜真剣にお考えになつておるところだと思うのであります。
吉田総理大臣は、ときたま臣茂などと口をすべらして、新聞紙上で笑われておりまするが、これは単に一片の笑い話ではなく、吉田総理が新憲法を理解せず、旧憲法の観念で政治の衝に当つていることを暴露するものではないかと思われるのであります。(拍手)言うまでもなく、憲法は、国家の性格を象徴した根幹であり、国政の最高絶対の拠点であります。
そのために、文教政策は政策文教と化し、あたかもあめのごとく、右にねじられ、左にねじられ、遂には修身の復活、あるいは社会科の解体、地歴の復活、愛国心の涵養、遂に臣茂の復活を見るまでに至つたのでございます。(拍手)目を一歩外に転ずれば、戦力のない警察予備隊、保安隊、自衛隊という、まことに珍しい戦力が存在しております。
諸君の言う臣茂は、今や文武の大権を掌握して、半永久的な大統領の地位にのし上らんとしておるではないか。(拍手)一九三一年、国会に多数を制したアドルフ・ヒトラーとその徒党が、次々とこのような非常立法をあえてし、遂にみずから総統の地位につき、あの無謀な戦争に全世界をかり立てたヒトラーの道、東條の道は、諸君とこの両法案によつて開かれんとしているのである。
今吉田さんは、臣茂とまで言われて、きわめて伝統的国民感情の旺盛な方であります。吉田首相のもとにこういうことがなされるということは、外務当局としてはまことにこれは慎重なる考慮において欠くるところがあつた、従いまして、この問題は大臣から一言吉田さんにお話すれば、すぐ解決つく問題じやないかと思うのですが、総理のお耳に入つておるかどうか、そのことをお伺いいたしたいと思います。
臣茂は今や元首茂になつたのかと疑われるのでございます。それかあらぬか、総理の福岡入りは、国歌君が代と軍艦マーチをもつてこれを迎え、六メートル間隔に護衛されたと新聞は報じておるのであります。越えて自由党大会においても、国歌と軍艦マーチに迎えられてわが世の春を謳歌したということであります。
もし総理にして援助費を債務として支払うというのならば、総理はアメリカという御主人にまことに忠実な臣茂だと言われてもいたし方がないでありましよう。現在、右の点で、アメリカ政府との間にいかなる交渉が進められているか、債務として支払うというのならば幾ら支払わんとしているのか、またその根処を明らかにしていただきたいのであります。
そうして、そのスローガンを投げると、あなたのぜいたくな生活は何だといつて大衆が非常に非難をするものでありますから、これを入れては損だと考えられて——しかるところ、二十五日の開会式のいわゆるお言葉、昔で言えば勅語を読んでみると、あらゆる困苦、そうしてもう一つは、耐乏のうちにというスローガンを、天皇お一人に、何と言うのですか、持つてもらうようなことをしておられるが、臣茂と言われるあなたが、不人気のそのスローガン
(拍手) 驕る者久しからず、旧時代の代表者「臣茂」吉田首相に率いられる吉田内閣打倒の雄叫びは、やがて日本全国の津々浦々から湧き起つて来ることであろうことをここに予告し、私の討論を終るものであります。(拍手) ————————————— 〔戸叶武君発言の許可を求む〕
不逞のやからとか、臣茂、——なことを言うな、————、こういう言葉はみな一連の繋がりを持つものであり、首相の貴族的、封建的な思想の中から生れて来たのが、事実上このスト制限法であります。(拍手) 労働組合法で認められた争議行為というものは、自由党の諸君はどういうことを考えておるかしりませんが、業務の正常なる運営を阻害する行為をいうのでありまして、争議とは労使双方の力と力の対決であります。
総理はみずから「臣茂」と呼び、憲法に違反して事ごとに天皇制の復活に腐心している。岡野文相は又過般の衆議院予算委員会の席上で、教育勅語を千載不磨の法典であると礼讃している。併しながら、「一旦緩急アレハ義勇公二奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」との勅語の中心眼目を一体何と解釈するのであるか。
岡野文部大臣は、日本が四年の間戦争を継続できたことをもつて国民に自信を持たせようと考えたり、あるいは「臣茂」という言葉を、これは主権者である人民に対して臣であるというような、国民を愚弄した答弁を平気でやつてのけておるのである。こういつた時代感覚ずれのした文部大臣の下では、国民の不安がつのるのは当然であります。
首相は昨年衆議院予算委員会で、西村委員から、総理がみずから臣茂と呼ぶのは不穏当ではないか、取消す意思はないかと問われ、不穏当とは思わない、取消す意思はないと答えて、国民に深刻な衝撃を与えました。そのわけは「臣茂」という用語の問題ではない。曾つて天皇の名によつて侵略戦争にかり立てられた国民が、首相みずからその復活の先頭に立つていることを知つて、愕然としたからです。
吉田首相は、いわゆる立太子礼に際して、自分のことを「臣茂」と言い、天皇制再興の陣頭指揮ぶりを発揮したのである。同じ意図をもつて、修身、地理、歴史科等の教育を復活しようとしたり、青年学級の官制化を企図したり、また産業開発青年隊を育成し、これへの農家の二、三男の吸収と組織化をねらつているのである。
昨年の秋の立太子礼の際に、吉田総理大臣みずから「臣茂」と申された。私は、あの「臣茂」という言葉を聞いたときに、天下第一等の発言であると思つた。(拍手「ヒヤヒヤ」)今日の時勢において、あれだけのことをはつきり言い切つた総理の態度を私は賞讃したい。決してこれはいたずらに言葉を飾るのではない。その証拠に、多少の批判はあつたけれども、八千万国民は、「臣茂」という言葉に対して疑問を持たなかつた。
以上述べたところにより明らかなごとく、この改正案の示す賃金政策は、吉田政府が、アメリカ帝国主議者の侵略政策に協力して日本の軍国主義を復活し、官庁機構をフアツシヨ化し、臣茂の指導の下、官僚機構を挙げて国民支配の道具に供せんとするものであります。
先般の立太子礼における吉田さんのいわゆる「臣茂」の問題、それから吉田総理が国民を代表して述べられたあのお言葉、それから泉太子殿下のあのお言葉、ああいうものは法律で行われておる義務教育の場においては用いられない言葉、表現、こういうものが取上げられておるわけなんです。一体これでいいのかどうか。
新聞に何と書いてあつたか私は承知いたしませんが、併し私ははつきり「臣茂」と申したのであります。この気持は八千万国民が皇室の御慶事に当つて或いは私と同じように臣として、臣茂として国民の気持を代表した場合に申述べたことが、多くの国民の気持に副うと考えたから「臣茂」と申したのであります。無論立太子式は国事と考えます。
今大臣の御答弁を聞きますと、主権者が国民だから、その国民から委託されて総理大臣になつた、その国民の臣だから臣茂というふうに言つたということになれば、これは私は総理の見解とは非常に違うし、また少くとも世に常識というものがございます。
と申しますことは、内容に臣茂ということが出ておりまして、最後にやはり内閣総理大臣吉田茂と、こう書いて、そして差上げてあるのですから、これはとにかく少くとも臣という言葉が一貫しておると存じます。
そういたしますと、大臣の御答弁によりますると、この臣茂というのは国民の臣であるからという意味での臣として使われた、こういうことになるわけですか。