1965-03-09 第48回国会 衆議院 大蔵委員会 第17号
そういうような膨大な金融によって、そういう膨大企業が行なわれておれば、全くそれは社会資本によって社会的に経営がなされておる。その効果も社会が効果があればこれを享受するが、被害があれば社会がその被害を受けなければならぬのですから、したがって経営者に社会的責務を付加していく。自由主義、資本主義の経済のもとにおいても、経営の実態に即して、そのような大々企業の経営がいかにあるべきか。
そういうような膨大な金融によって、そういう膨大企業が行なわれておれば、全くそれは社会資本によって社会的に経営がなされておる。その効果も社会が効果があればこれを享受するが、被害があれば社会がその被害を受けなければならぬのですから、したがって経営者に社会的責務を付加していく。自由主義、資本主義の経済のもとにおいても、経営の実態に即して、そのような大々企業の経営がいかにあるべきか。
巷間伝えられておるところによりますと、これは単なる疑心暗鬼かもしれませんけれども、この賠償計画を通じて一部独占大企業が膨大な利潤を確保しておるのだ、国民の税金の犠牲において、膨大企業がその賠償契約にからんでその利益を独占しておるのだ、こういう非難が相当顕著に行われておることは、大臣のお耳にも入っておることだろうと思うのであります。
そういうような関係で、非常に膨大企業におきましては、これは資金が更新に余裕があって、ほかに運用されるという道はほとんどないのが常態であると考えられるわけでございます。