2016-02-19 第190回国会 衆議院 予算委員会 第15号
薬につきましては、特定の物品やサービスということを対象とすることになったときに、代替品というものとの間にゆがみが生じるとかいろいろなことを考えて、対象がとめどもなく広がっていくということになりますと、薬は風邪はいいけれども腹薬は違うとか、いろいろなことになる。どこまでいくかというところが非常に線引きの難しいことになるんだと思っております。
薬につきましては、特定の物品やサービスということを対象とすることになったときに、代替品というものとの間にゆがみが生じるとかいろいろなことを考えて、対象がとめどもなく広がっていくということになりますと、薬は風邪はいいけれども腹薬は違うとか、いろいろなことになる。どこまでいくかというところが非常に線引きの難しいことになるんだと思っております。
だけど、じゃ、この人たちが買いに来た方に、おなかが痛いと言えば、はい腹薬ですねと、何か風邪引いて熱がありますと、それは風邪薬ですよ。これが対面販売なのかと、会って、ただそうして販売するだけが。それよりもよっぽど、いろいろ状況を聞いて、履歴も残し何もし、そして電話でじっくり話をしながら郵送した方が、これこそ対面販売です、本当の。ただ会ったから対面じゃないんですよ。
地域社会のお年寄りが来ても、ちょっとおなかが痛いと言えば学校の腹薬でもちょっと出すとかいうことになると、大校の先生よりもそういう小校の先生に、むしろ対社会的な使命感等から言うと、社会教育、学校教育、家庭教育、一貫教育から言うと生涯教育の若き時代の教育というものは、これはもう地域社会ぐるみの教育ですよ。そうすると小校の主任の先生の使命は大校の先生の使命にまさるとも劣らない使命が生まれてくるわけです。
○泉政府委員 これは医療費控除を設ける際に、かぜを引いたから薬を買った、腹をこわしたから腹薬を買ったという程度の一々こまかいものまで控除するのは税の執行上煩瑣にたえない。したがって、ある程度のものは各自の生活の消費資金として見ていただきたい。
腹薬を飲ましてくれたのです。胃腸が丈夫になれば結核に対する抵抗力が増すという時代ですから、それも悪くはないでしょう。しかし、体操の先生は私にこう言うのです。療養中の私に対して、体操の点数をやるために、君ちょっとでもいいから三分間機械体操のあれにぶら下がってくれないか、形式的にぶら下がれば点をやるからというのです。まことに体育の何たるかを知らざることはなはだしいものだと思うのです。
出血もいやだ、犠牲もいやだ、痛いのもいやだ、何とかして腹をなでつつ頓腹薬、飲み薬等々によってなおしていきたいというような考え方であったならば、今日の盤根錯節のこの汚職追及も不可能であり、追放ももとよりできません。こういう点につきましては、あなたはどちらの道を選ぶでありましょうか。
十倍あるとしますと、届け出た者が六万、届け出ないけれども、ただ自分のうちで手当をして売薬か何かで腹薬を飲んだりして黙っているのが六十万、合せると六十六万、食中毒や何かで下痢とか何かをしたり、病気にかかった者が推定して六、七十万ある。それから私はおそるべきものは、こういうふうな食中毒の病気にかからなくて、日々に知らす知らずに有毒品を食べて健康をそこねている国民の数というものは何百万じゃないだろうか。